カソクキッズ2ndシーズン4話:生命とはなんだ?

生きてるって、どういうこと?

 今回のコラム、ちょっと前回の「物質とはなんだ?」とカブっちゃう内容が多いんだけど、ボクにとっては、とても大事なことなんで、重複してもあえて書くことにした。だから「なんだよ、同じことしか書いてないじゃないか」とか言わないでね。一応は同じじゃないことも書いてるから(笑)。

 さて……。

「生きてる」って、どういうことなんだろう?
 生きてるように見えることと、本当に生きているのは、どこがどう違うんだろう?

 生きているボクたちの身体だって、その材料は生きていない物質たちだ。
 例えば、ボクの身体の約18%は炭素でできているはずだけど、その炭素は特別な炭素とかじゃない。ダイヤモンドだったり、鉛筆の芯だったり、プラスチックだったりする炭素と同じものなのだ。
 そして、その炭素原子だって、原子核と電子でできていて、原子核は陽子と中性子でできていて、陽子や中性子はクォークのアップとダウン3個の組み合わせだ。

 大元を辿れば、万物はなんでもクォーク……それもアップクォークとダウンクォークだけになってしまう。

 そういう全然生物じゃないものが集まって、生物になっている。
 じゃあ、どれだけ集まったところからが生物なんだろ?
 ここまでは単なる物質、ここからが生物っていう線引きは、どこになるんだろう?

 

 ボクはそういうことが、ものすごく気になったんだ。
『カソクキッズ』でボクらの世界を支えている素粒子世界について学んでいくうちに、どうしてもソコが気になるようになっちゃったんだよね。

 科学がどんどん発達して、今では分子レベルでの解析も進んでいる。
 1stシーズンの15話で扱ったフォトンファクトリーでは「放射光」を使って物質の分子構造などを調べ、薬品などは分子の形からデザインするようになってきている。

 こうしたことがもっとずっと発達すれば、いつかは脳の構造なども完全に解析できるようになるんじゃないか?

 もしも、ボクの脳のシナプスがどう発達して、どのように伝達しているかを全て解析できて、それをコントロールできるとしたら、ボクが何を好きになるか、何が嫌いかなども好きなように設定できちゃうんじゃないのか?

 脳だけでなく、身体のほうも本当に全てを解析できて再現できるようになったら、ボクを複製することだって可能じゃないのか?

 クローンとかじゃなく、材料から組み立てていくの。
 人体を構成する34種類の元素を集めて、設計図通りに完璧に組み立てることができたら「まんま同じ人間」を作れちゃうんじゃないの?

 それって、レゴブロックをくっつけて何かの形を作ることと何が違うの?
 ボクらが単なる物質の集まりに過ぎないのなら、生きてるってどういうことなの? 生きる意味って何?

 ……とまぁ、そういうことが気になるようになってきたんだ。

 いや、実際には、そんなことはまだまだ不可能だよ。
 どれだけ未来に行ったらできるようになるのかも、全くわからない。
 そもそも、それほどの技術や知識に達するまで人類が発展を続けるかどうかも、わからない。

 だから、今のところは単なる妄想……SFだ。
 でも……理屈としては、そういうことになるんじゃないのかなぁ。

 単なる物質をきちんと組み立てれば、それは生命にもなる。
 今の人類には不可能でも「生命をつくる」は、必ずできることなんだ。

 だからこそ我々が存在するんだから。

 この宇宙が誕生した直後には星すらなかった。素粒子しかなかった。それが集まり、くっつき、原子になり、さらにくっついて分子になり、もっとくっついて細胞になり、やがて単細胞生物が生まれ、それが複雑になっていって今の生物へと進化した。

 最初は、命でもなんでもないタダの物質で、その物質は今も物質のままで、それがものすごくたくさん集まっている状態が、我々には生命という形に見える、というだけなんだ。

 

人体を構成する34種類の元素

 ちょっと落ち着いて、まず、ボクらの身体を構成している元素はどんなものかを見てみよう。

 人体を構成している元素は、34種類だそうだ。
 もっとも多いのは、以下の6種類。

 酸素=約65%、炭素=約18%、水素=約10%、チッ素=約3.0%、カルシウム=約1.5%、リン=約1.0%(%は重量比)

 これだけで約98.5%になってしまう。酸素、炭素、水素の3つだけでも約93%だ。
 でも、これ以外にまだまだ28種類もの元素が人体に含まれている。

 まず、硫黄、カリウム、ナトリウム、塩素、マグネシウム。
 これらが微量に含まれている。

 もっと微量なのが、鉄、亜鉛、銅、鉛、フッ素、ケイ素、ストロンチウム、ルビジウム、マンガン。
 微量という割には、鉄とか亜鉛とか、健康を維持するのに必須と言われる栄養素もけっこうあるよね。

 そして、さらに超微量なのが、アルミニウム、カドミウム、スズ、バリウム、水銀、セレン、ヨウ素、ホウ素、ヒ素、モリブデン、クロム、ニッケル、コバルト、パナジウム。
 ここまでくると、水銀だのヒ素だの、どう考えても人体には毒としか思えないものが混じっている。
 でも、すべての人に含まれているのだ。どうして含まれてるのか、何のために必要なのか全然わからない元素もあるんだけど、それでも必ず含まれているのだ。

 余談だけど、こういうのを見ると、物事って何でも「量の問題」だって思うよね。

 ボクはカフェオレ好きだけど、コーヒーに含まれているカフェインだって過剰摂取すれば死んじゃうのだ。
 お刺身を食べるときには醤油が必須だけど、醤油もがぶ飲みしたら死んじゃう。
 病気を治す薬だって、用法用量を守って正しく使わないと、薬どころか毒になってしまう。
 お酒も、飲みすぎればアルコール中毒になる。
 ぶっちゃけタダの水だって、多過ぎれば死んじゃう。

 一方で、絶対に手を出しちゃいけない覚せい剤だって、その名の通り「覚醒する薬」で、病院では医薬品として使われている。
 毒性とされている植物なども、使い方次第では薬になる例は少なくない。

 あれがダメ、これがダメ、ではないのだ。
 あくまでも量の問題。適正な量を適正に使っていればいいのだ。

 これは放射能とかも同じ。
 太陽の光に含まれている自然放射線だってあるし、レントゲンやCTスキャンなどでも放射線は使われる。
 大量に浴びたら命に関わるし、遺伝的な影響が出る可能性もあるけれど、微量なら何の問題もないのだ。量を考えずに無闇に怖がるのはオカシイのだ。猛毒のヒ素ですら、超微量には必要な元素だっていうんだから。映画『ゴジラ対ヘドラ』の主題歌で自然を汚染する物質として名前が挙がる「水銀、コバルト、カドミウム」は全部、人体に必要な物質でもあるのだ。

 どんなものも量の問題で、そこを考慮せずに「あれが危ない」というのは、間違ってる。

 人体を構成する元素を知ると、そういうことが理解できるようになると思うんだ。
 その意味でも、このエピソードを描いてよかったなと思ってる。
 

ボクなりの答えを探す道

 さて、話を「生命をつくる」に戻そう。

 自然は、それをやった。
 無生物(物質)を組み合わせて、生命を生み出した。

 だから、その組み合わせ方法がわかって、実際に行えるだけの技術があれば、生命は作り出せるはずだ。

 けど……それはトンデモなく大変なことだ。

 酸素、炭素、水素、チッ素、硫黄を組み合わせると「タンパク質」が作れる。
 でも、その組み合わせは10万種類以上にもなるのだ。その1つ1つが違う機能や役目を持ったタンパク質で、しかも互いに組み合わさったりもしているから、タンパク質だけでもトンデモなく複雑なのだ。

 たった4種類の元素だけでも、これだけ複雑なのに、人体には34種類もの元素が使われている。
 その全部の組み合わせパターンは、まさに天文学的な数字になる。その全てを完璧に解析して組み立てていくなんてことは、SFにも程があるって言いたくなるくらいに難しすぎることなのだ。
 まして、元の人間を解析して、その人固有のセッティングにカスタマイズしていく、なんてのは……。

 なので、理屈としては、物質を完璧に組み上げることができれば生命になるけれど、それを実現するのは容易でなさすぎるのだ。ワープ航法やタイムトラベルを否定しない物理学者(ホーキング博士など)は大勢いるけど、実際にできるわけでもないというのと一緒。
 まだまだ当分の間(少なくとも何百年も間だろう)は、理屈はただの理屈というだけだろう。

 けれど、生命と生命じゃないものが全く同じ材料でできているのは確かなことだ。
 ボクらが自分の心、自分の意思だと思っているものだって、脳内を走る電気信号の結果に過ぎない。

 実際、本編では描かなかったけど、このエピソードを描くときの保護者会では、そういう話題も話し合っていて、研究者さんは「心とか自分自身なんてものは本人がそう感じているだけの幻想に過ぎない」と言っていた。

 そう考えることに個人的に抵抗感はあるのだけど、その考え方もアリだとは思う。
 ただ、カソクキッズの読者(主に小・中学生)に、そういう考え方を今の段階で伝えることが正しいかどうか悩んだので、作中には盛り込まなかった。多感な青少年に虚無論として捉えられちゃうのはおっかないから。

 けど……。

 ボクは、この問題を自分の課題にした。

 はっきりとソレを描けないとしても、生命とは何か、自分とは何か、生きるとは何かについて、それなりの価値観を示せないとマズイと感じたからだ。
 科学の問題ではあるけれど、だからって読者の心を考慮しないというわけにはいかない。読んでくれた人たちに、夢や希望を与えられないのは嫌だ。

 難しい問題だけど、それでもカソクキッズ的な答えを、必ず見つけなきゃいけない。
 生命の仕組みの問題に踏み込んだ以上、それはどうしても必要なことだと思ったんだ。

 技術や知識が追いつかない(それも、ものすごく追いつかない)だけで、理屈では生命は作れるはずだ。本当に完璧に「誰か」を解析して再現できるなら、何人でも同じ人間も作れるはずだ。

 それは生命=一定のシステムであるということを意味するはずだ。

 自分というプログラムに沿って動く、独立型のシステム。
 外部と区別できていて、繁殖(自己増殖)できて、代謝して自身を維持し、外部からエネルギーを取り込める自立型のシステム。

 それが、生命だということになる。

 ナニをどれだけ集めたら生命になるか、どこからを生命と呼ぶかは、未だに結論が出ていない。
 というか、物質と生命の違いさえアヤフヤなままなのだ。

 でも……、そうなら、そういうことができるコンピュータやロボットを開発したら、それも生命ということになるのでは?
 既存の生命とは違う素材で作られていても、生命の条件を満たしていれば、それは生命と考えていいのでは?
 こうした考え方は「代わりの生化学」などと言われて、かなり昔から考察されているんだ。

 けど……自分自身も、そういうシステムに過ぎず、ちゃんと解析できればいくらでも代わりを作れるのだと考えたら、自分のアイデンティティが崩れちゃう。
 いつか(遥か遠いいつか)それが実現できるようになったら、自分という個体の意義は希薄なっちゃうのでは。

 そうなったら、生きていくことにどんな意味があるのか。
 生きることは正しい、死んじゃいけないという価値観は、技術が未熟な現代だけの価値観に過ぎないのか。

 そうじゃないとボクは思いたい。
 ボクという個体が生きることには意味があると思いたい。

 でも、そう思いたいというだけで科学を否定するわけにもいかない。
 科学的に「意味がある」という答えを見つけたい。それを見つけなきゃ、読者に不安を与えてしまう。

 だからボクは、この問題を課題にした。
 ボクだけの課題であって、KEKの課題というわけじゃない。
 カソクキッズという漫画を描く上で、作者としてなんとかしなきゃならない問題だと思ったから、ボクはボクなりの解釈を見出したいと思ったんだ。

 なので、このテーマは、この後もチラホラと出てくる。
 セカンドシーズン第4章では、擬似生命体(ロボット)を登場させて、もっと深く取り組もうとしている。
 (あまり上手くやれなかったのだけど)

 そしてボクは、ボクなりの答えを見つけることになる。
 そこまでに何度も何度も、多くの研究者さんと話をして、様々な意見を聞いて、そして「この捉え方はアリだ」というのを見つけたんだ。そのことについて書くのはだいぶ先になるけど、とにかくボクは「ボクだけの答え」には辿り着けたんだ。

 だから心配しないでね。
 キッズたちは、虚無になったりしないよ。
 そこまで考えないというのではなく、考えた上で、自分なりの意味を見つけるんだ。

 やっぱ漫画はそうでなくちゃ(笑)。

 


※カソクキッズ本編は「KEK:カソクキッズ特設サイト」でフツーにお読みいただけます!
でも電子書籍版の単行本は絵の修正もちょっとしてるし、たくさんのおまけマンガやイラスト、各章ごとの描き下ろしエピローグ、特別コラムなどを山盛りにした「完全版」になってるので、できればソッチをお読みいただけると幸いです……(笑)

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『カソクキッズ』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。KEKのサイトでも無料で読めますが、電子書籍版にはオマケ漫画、追加コラム、イラスト、さらに本編作画も一部バージョンアップさせた「完全版」になっているのでオススメですよ~~(笑)。

うるの拓也の電子書籍シリーズ各巻好評発売中!(詳しくはプロモサイトで!!)