ボクが気にしている3つのビョーキ

 作品をつくるときに、陥りがちなビョーキがいくつかある。
 作画面でも色々とあるけれど、ボクは主に監督・演出・脚本・構成など、作画以外をメインに担当しているので、ここではシナリオ面でのビョーキに絞って書いている。

 挙げたのは3つのビョーキだけど、本当はもっといっぱいある。

 でも、全部にツッコんでいくとキリがないし、ボクが自覚していないビョーキもあるだろうから、とりあえず思いつく3つについて書いてみようと思う。

考えなしのキャラクター病

 ボクは、B級映画を山ほど観ている。

 大半(いや9割以上かも)は、低予算すぎの酷いCG、ご都合主義のシナリオ、センスない演出、棒読みの役者などのどれか……あるいはそれら全部のせいで他人にはオススメできないんだけど、それでも稀に光る作品に出会うこともあるから、それで地雷を踏み続けちゃうんだよね(笑)。

 で……。

 そういう作品で一番気になっちゃうのが「考えなしのキャラクター描写」ってやつ。

 この場合の「考えなし」というのは、未熟という意味じゃない。子供(若者も多少は含む)など、まだ経験が浅く論理的思考力も未発達なキャラクターが無茶な行動をしてしまうのは自然なことだと思うから、そういうのには抵抗がない。

 でも、それなりの知識や経験値を持ってるはずのキャラクターが設定に反する行動をすると、とたんにストレスを感じちゃうんだ。頭のいいはずのキャラが予測できて当然レベルの罠に引っかかるとか、武術の達人という設定のキャラが相手の力量も読まずに突っかかるとか、そういう展開になるとボクはシラケちゃうんだよね。

 物語の構成上、ここでピンチになってもらわなきゃ困るというようなことはよくあるのだけど、だからってキャラクターの人格や設定を無視して無謀な行動をさせるようなシナリオには納得できない。

 キャラの設定というのは、その人を描く上での前提のはずだ。
 どういう人生を経て、その時点に至ったのかというのは動かせない。キャラクターは生きているのだ。
 キャラクターの人格と合致しない行動を取られちゃうと、キャラが死んじゃうんだよね。

 だからピンチにさせるなら、その人物がピンチになるのはやむを得ない展開を考えなきゃならない。
 熟考できるはずの人物が安易に突っかかるような描写をしたらキャラクターに失礼だし、そんなバカならピンチになっても自業自得で、応援も共感もできないと思うんだ。

 傍若無人なキャラだって、傍若無人がまかり通ると考えている理由があるはずだ。
 身勝手で軽薄なキャラだって、そういう自分を肯定しているからこそ身勝手に振る舞ってるはずだ。

 自分(作者)とは全然違う価値観であっても、その人にはその人なりの理屈が必ずあるはずで、そういう意味で「考えなし」というのが、ボクは苦手なんだ。

 なので、自分の作品でも、そうならないように気を使ってるつもりなんだけど……。
 これがまた、気づかないうちにそうなってしまってることもあって……。

 特にヒーローものだと大ピンチ、大逆転といった盛り上がる展開にしたくて、ついつい無茶をさせがちだ。
 30分程度のヒーローショーのシナリオなどでは、一人ひとりのキャラクター描写などをしっかりやってる余裕もない。見ている観客には小さなお子様も多いから、凝ったストーリー構成にはできないといった制約もある。
 そういう条件でアレもコレも詰め込むとなると、シナリオに無理が出やすいんだよね。

 でも……。

 それでも、考えなしに行動させてしまうと、キャラの泣き声が聞こえるような気がしちゃうの。
 オレ、そんなやつじゃないよ~~、やめてくれよ~~って言ってるように感じちゃうの。

 それに、どうせ子供にはわかんないだろと、テキトーなご都合主義にしちゃうのって、やっぱ耐えられない。
 それで客から文句は出ないとしても、下手にきちんとしようとするとかえって厄介なことになるとしても、気づいちゃったらほっとけなくなる。

 それで、手直しする。
 周囲にやらんでいいと言われても、やらずにいられない。

 直したら直したで別な歪みが出たりもして、結局は歪んだままになっちゃうこともあるけど、それでも、できるだけのことはしたいんだよね。だって聞こえるんだから。頭の中で、キャラの泣き声が聞こえ続けるんだから。何もしないと、こっちの身がもたないのよ。正常でいられなくなっちゃうのよ。

 で、そういうことにならないためには、最初にキチッと設定をまとめておくべきなんだよね。
 キャラを雑に扱う羽目になるのは、根本がそうなっちゃう程度の雑な状態だからなんだ。
 行き当たりばったりでやってるから、キャラの人格と矛盾した行動をさせちゃうんだ。

 ボクが『時空戦士イバライガー』の小説版を書いているのも、そのへんに納得できなかったからだ。
 キャラがブレてるのに耐えられなくて、その根っこになる部分からしっかり考え直したかったからなんだ。

 ちゃんと考え直せているかどうかは、わからない。
 やれてるつもりでやれてないことも、まだまだあるだろうとも思ってる。

 それでも、できるだけ、ちゃんとしたいのよね。
 百点満点の親になれなくても、子供が泣いているのにほったらかし、あるいは泣いてるのに気付けないような親にはなりたくないんだ。

 だから、設定から徹底的に考え直しているわけだけど……。
 そこをしっかりやってると、また別なビョーキを発症しちゃうこともあって……(苦笑)。

 

シズル感じゃなくシズルそのものを見せたくなる病

 ボクは漫画や小説を書くだけでなく、WEBサイトや各種広告などを企画制作する仕事もやっている。
 つ~か、事実上はそっちが本業だ。
 あくまでも「事実上は」のつもりではあるのだけど。

 で、その広告の仕事では、ポスターとかパンフとかチラシやリーフレットとかカタログやマニュアルなど、色々作ってきたんだけど、出来れば避けたいな~と思ってるのが飲食関係の広告。

 あれ、大変なのよ。

 野菜がみずみずしく見える、ドリンクが冷んやりして見える、というように撮影するのが、すごく大変なの。
 霧吹きでそれらしく水滴を作ったりするんだけど、撮影現場は様々なライトに照らされているから、すぐに乾いてしまう。何度も何度もやり直しても、ベストな水滴になるのは一瞬。そこを捉え損ねると、また全部やり直し。アイスクリームなんかだと水滴を作ってる間に溶け始めてしまう。いや、本当に大変。

 今だったらフォトショップでレタッチしてゴマかせることも多いのかもしれないけど、それでもねぇ、例えばお刺身の赤みをベストに調節するのって大変なの。基本的なカラー印刷ってCMYKの4色だけど、インクって混ぜれば混ぜるほど暗くなるでしょ。RGBでは活きのいいお魚に見えてもCMYKにすると死んだ魚になっちゃったりして(いや死んだ魚なんですけど)。

 とにかく、そういう「シズル感」を出すってのはけっこう面倒なんだけど、その手間を惜しむと美味しそうに見えないわけで、四苦八苦してソレらしくしなきゃならないのだ。

 で、それはフィクションでも同じだと思うの。

 物語の背景になる設定や世界観を構築するのは、ものすごく手間がかかる。

 色々な専門知識や用語やウンチク(架空の用語やテクノロジーなども含む)も勉強しなきゃならないし、それらを作品に組み込んで、ほどよく提示しなきゃならない。
 設定が雑だと、どこかでツジツマが合わなくなったりもして、そういうときは、そこまでの描写に反しないように追加設定を考えたり、解釈を調整したりしなきゃならず、それを成り立たせるために、またまた勉強もしなきゃならない。

 本当に厄介。

 でも、そういうのは作品にシズル感を出す上で、ものすごく大事だとも思ってる。
 会話の中にチラッと「その道の専門家っぽいセリフ」が混じるとかさ、そういうのがないとキャラの個性を表現しにくいってのもあるし。

 だからボクも、そういう「ソレっぽさ」をできるだけ盛り込もうと毎回思ってるんだけど、あくまでもシズル感だから、本物じゃない。霧吹きでシュッシュしないと美味しく見えないのと一緒で、リアルをそのまま描写してもシズル感って出ないんだよね。

 つまり、シズル感ってのは「リアル」じゃなくて「リアリティ」。
 本当のリアルじゃなくて、読者がリアルを感じるように仕掛ける嘘八百。
 そのためにリアルを勉強したり取材したりして、それをベースにソレっぽく作り直して出す。

 そういうもんだと思うのよ。

 フィクションだから、読者も嘘なことはわかって読んでるわけだけど、それでも、できるだけ上手に騙してもらえないと気が散ってしまうから、作者はシズル感を出すために苦労する。
 学習漫画や広告漫画などでは嘘を描くわけにはいかないんだけど、そういうときでも「ソレっぽさ」は必要なので、お遊びや息抜きのシーンで「そういうカット」を盛り込んだり、ちょっとした立ち振る舞いで表現したりする。

 でも……。

 ……あくまでも、作品を面白くするためにやってたはずなのに、時々それが逆転しそうになることがあるんだよな~~。

 シズル感を出すために山ほど苦労をしたせいで、シズルのほうを見せたくなっちゃうんだ。
 手間かけて考えたことだから全部見せなきゃもったいなく思えて、ついつい余計なことまで語りたくなっちゃうんだ。
 そして読者が「そこまで聞いてない」って思うところまでやっちゃって、引かれちゃったりするのよね……。

 これ、自分では気をつけてるつもりなんだけど、後で読み返すと「うわ、ここクドいわ」って思うことがあるの。
 作品にシズル感を出す苦労は避けちゃダメだと思うんだけど、その苦労に自分が引っ張られてもいけないんだよな~~。

 わかってんだけど、つい語りたくなるんだ。
 気をつけなきゃな~~(苦笑)。

※この手のアレコレで割とありがちなのが「登場人物の過去」とかだよね。キャラをしっかり作るために、その人物の誕生から……いや、その親や先祖の人生まで考えちゃったりするのだけど、それを全部披露しちゃうとクドいし、本編から脱線しすぎて物語の勢いも死んじゃうんだよね。
個性的なキャラであればあるほど、その過去にも劇的な物語があって、それも語りたくなるものなんだけど、そういうサイドストーリーに引っ張られて、メインストーリーを死なせちゃったら元も子もないんだよな~(あくまでも自分への戒めで書いてるんで、特定の何かを批判してるわけじゃありませんよ、念のため)。

 

何が何でもハッピーエンドにしたい病

 これは、必ずしもダメなビョーキじゃないとは思うんだけど、ボクは「何が何でもハッピーエンドにしたい病」というのに罹患している。

 だって、ハッピーエンドな作品が好きなんだもん。
 どうしても、好きなんだもん。

 バッドエンドな作品を全否定とか、そういうのじゃないよ。
 そういう作品だってたくさん見てるし、バッドエンドならではの良さがある作品だってあるし、そもそも何がハッピーで何がバッドなのか自体、人それぞれだとも思うし。

 若い頃は、救いが全くないようなダークな話もけっこう楽しんでたと思うんだけど、歳を重ねるごとに「やっぱハッピーがいい! フィクションでまでストレス抱え込みたくない!!」って思うようになった。

 ボクの場合は、これぞ大団円! って感じのエンディングが一番好き。

 現実では、そういう一点の曇りもないようなスッキリって滅多になくてさ、みんな多少のモヤモヤを抱えているじゃん。
 だからさ、フィクションの世界くらいは、気持ちいいエンディングに連れて行って欲しいのよ。ああ、よかったね、幸せになってねと主人公たちを祝福したいのよ。

 だから自分の作品も、必ずハッピーエンドにしちゃう。

 というより、そういう作品しか描けないんだ。
 ハッピーなラストシーンが最初に頭にないと物語を始められないのよね。
 キツいラストに向かって走ってくような根性ないのよ、ボク(笑)。

『カソクキッズ』を連載した時も、そうだったの。
 第1話……いや、その前のイントロダクション(0話)を描くよりも早く、29話(実際には30話まであるけど事実上の最終回は29話)のシナリオが頭にあって、そのシーンにたどり着くためにジタバタし続けていたようなもん。
 なので、最初に思い浮かべた通りのエンディングを描けたときは、ものすごく嬉しかったよ。

 幸せになった主人公たちの笑顔を思い浮かべて、その顔に出会えるのを心待ちにしながら描く。
 ボクは、そういう感じが多いんだ。

 ただし。

 そういうゴールを最初から思い描いているからこそ、その過程では鬼にもなれる。
 最後には必ずハッピーだと確信しているからこそ、地獄の底に突き落とすのも平気でやれる。

 まぁ、時には強く突き落としすぎちゃって「やべぇ! どうやって助けりゃいいんだ!?」と慌てることもあるのだけど(苦笑)。

(ブログ連載中の『小説イバライガー』などの場合は、全話のプロットを最初に固めてから執筆スタートしているんだけど、書いている間に考察が甘かった部分にぶつかったり、予定外のアレコレを起こしちゃったりして、確実なゴールが見えてるはずなのに四苦八苦している感じ。作者は神の視点を持ってはいるけど、それでも先って見通せないものなんだよな~~)

 とにかくボクはいつも、ハッピーエンドを目指して作品を描いている。
 それはボクはそういう奴というだけで、そうするのが正しいわけじゃない。ハッピーエンドにこだわって、作品を台無しにしちゃう危険だってある。ハッピーエンドを捨ててこそ、真のハッピーに辿り着けることもあるはずだ。

 だけど、それでもボクはハッピーエンド大好き病なので、どうしても目指しちゃう。
 自分自身に元気をあたえてくれる作品を描きたい。
 読者のみんなと幸せを分かち合って、大喜びして笑いたい。

 アレもコレも、そうなるといいなぁ(笑)。

 

※追記
 ボクはそういう奴なので、続編ものには警戒することが多い。
 特に、前作でハッピーエンドになったのに、それをひっくり返して不幸にしちゃうような続編は苦手なんで、例えば『エイリアン3』は受け入れられない。リプリーは「2」で幸せを取り戻したはずなんだ。命を賭けて救ったニュート、回復したヒッグス、ビショップとともに幸せに生きたはずなんだ。囚人惑星なんかに行かないし、お腹にクイーンが取り憑いていたりもしないんだ。彼女の頑張りを無駄にしちゃう「3」なんか、ボクは永遠に受け入れない(犬型エイリアンなど面白いシーンはあるんだけどね)。
 他にも『ジョーズ』シリーズなんかもね、かろうじて受け入れられるのは「2」まで。「2」もそんなに面白くはないと思うんだけど、あれは一応はハッピーエンドだから。でも「3」以降はねぇ……。

 なお、またまたトラブルに巻き込まれちゃう系の続編でも、最後はやっぱりハッピーなものなら全然OKなんで、そうした作品は楽しませてもらっている。なのでボクの作品でも、そういう続編の可能性は十分にあるよ。

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。

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