小説版イバライガー/第19話:超時空からの使者(前半)
OP(アバンオープニング)
「なぁ、本当に行かなくていいのかよ?」
ミニライガーブラックは、焦れていた。
今いるビルの屋上からは、現場は見えない。それでも、ジャークの反応は濃厚に感知できる。
かなりヤバイ。援軍なしでどうにかなるとは思えない。
そして今、援軍できるのは自分たちだけだ。たぶん、あいつらも当てにしているはずだ。
なのに、イバライガーブラックは動こうとしない。
「おい、このままオレたちは見ているだけなのかよ!? ほっとくつもりかよ!?」
「……そうだ」
「ったく何考えてんだよぉ!? いいか、お前が何を言おうとヤバイと思ったらオレは行くぞ。ミニライガーたちはオレ様の子分だし、シンやワカナはダチだ。それに、あいつらが死んじまったら『ねぎ』を世話する奴がいなくなっちゃうからなっ!」
「心配するな。誰も死なん」
「へ?」
「……あのとき、時空を超えてきた者。この戦いで、その全てが姿を現わすはずだ。それを見届ける」
「はぁ? 時空のアッチ側から来たアブねぇ霧なら、あそこにいるだろ?」
「奴じゃない」
「なんだって? まさか、他にもヤバイ奴がいるのかよ!?」
ミニブラックは、慌てて周囲を索敵した。何も感じない。
ブラックが気にするほどの奴が近くにいるのなら、すぐに感知できるはずだ。
だが、何も感じない。
「落ち着け。行きたくなったら行けばいい。それまでは、状況を見ていろ」
ブラックは身動き1つせずに、虚空を睨み続けている。
一体なんだっていうんだ? ヤバい奴ってのは誰だ? どこにいるんだ?
くっそ~~、ジッとしてるのは性に合わねぇ。
行きたくなったら行けっていうなら、もうとっくに行きたくなってるぜ。
それでもミニブラックは、寝転んだ。
わかったよぉ。見ろっていうなら見てやらぁ。
ただし……マジヤベェことになったら、てめ~をぶっ倒してでもオレは行くからな!
Aパート
元がPIASであることは間違いない。だが、その姿は大きく変貌していた。
ボディは大きく膨らみ、赤黒く変色している。
頭部は盛り上がったボディにめり込んだようになっていて、だらりと垂れ下がった両腕の先には、長い爪が生えている。
皮膚を剥ぎ取ったナマケモノのような姿で、PIASの面影は、わずかしか残っていない。
しかも今も変形し続けていた。
体表のあちこちに瘤が盛り上がり、そこに顔としか思えないものが浮かび上がる。
その1つ1つが、悲鳴とも溜息ともつかない声を上げては消えていく。
その声が上がる度に、全身は大きく醜く膨張していく。
「くっ、遅かったか!?」
「ううん、まだよ! スーツのほとんどは乗っ取られたみたいだけど……でも、中にいる人間はまだ抵抗している! 今ならまだ……」
イバガールの言う通りだった。
濃厚すぎるジャークの気配に遮られて意識を集中しないと捉えられないが、あの中には人間がいる。
誰かまでは判別できないが、ソウマだろう。まだ人間のようだ。
これ以上、侵蝕が進む前に助け出さなければならない。
イバライガーRは、拳を握った。
イバガールも構える。
「私が奴を抑えるわ! 動きが止まったら、Rは中の人を……」
「そうはいかないわ」
「邪魔はさせんぞ」
声が聞こえた瞬間、Rとガールは、それぞれ反対方向に振り返った。
灯りが消えた施設内の暗がりに妖しい目が光り、冷気が渦巻いている。
崩れ落ちたゲートの向こうに、瘴気に覆われた影が立っている。
ルメージョ。そしてダマクラカスン。
やはり、いた。
「遊んであげるわ、イバガール」
「今日こそ破壊してやるぞ、イバライガーR!!」
声とともに気が弾け、爆炎と氷嵐が同時に撃ち込まれる。
Rとガールが立っていた場所が消し飛んだ。
ワゴンが停車すると同時に、シンが飛び出した。
イバライガーたちより5分以上、遅れている。
現場には、すでにパトカーや救急車、消防車が集まり始めている。
まだ敷地内には誰も立ち入っていないようだ。
「おい、お前たち!!」
怒鳴りつけてきた警官に、シンがパスを見せた。
「あ、あんたらが……あの、イバライガーの……?」
「ああ、この先はオレたちに任せてくれ。状況はどうなってる?」
「わからない。ただ、上からの指示で中には誰も入れるなと……」
「正解だよ。ここは普通の人間にはヤバすぎる。オレたちが入るから、あんたたちは野次馬を近づけないようにしてくれ」
反対方向からも、怒声が聞こえた。
「ちくしょう、どうなってんだ!? 中には怪我人がいるはずだろう! なぜオレたちが入れないんだ!?」
消防の隊長らしい。
ワカナはゆっくりと近づいて、声をかけた。
「落ち着いて」
「なんだ、お前はっ!?」
そっと手を握る。エモーションを送り込む。
「なっ……こ、これは……!?」
「今、見たでしょ。感じたでしょ。これが、今ここで起こっていること。普通の事故じゃないの。だからまず私たちが行く。人を見つけたら必ず知らせる」
エモーションを媒介にして、直接ヴィジョンを伝える。つまり接触テレパスだ。
そういうことが可能なことに最近気づいた。
情報を圧縮して送り込めるので、ほんの一瞬でもかなりのヴィジョンを伝達できる。
イバライガーに関する情報は極秘扱いだったが、今は仕方がない。
「あ、あんたたちは……」
隊長は何かを言いかけたが、ワカナが口元に人差し指を立てたのを見て、黙った。
「……私たちを信じて。化け物はきっと倒す。生きてる人たちも、きっと見つける。絶対に見捨てないし、諦めない。あなたたちのことも信じてる。だから……私たちが呼んだら来て。私やシン、それにみんなを……助けに来て」
本音だった。
自分たちだけでは勝てない。救えない。
むやみに人を巻き込むことはできないけれど、みんなの力が必要なのだ。
「……仕方ない。だが、無茶はするなよ。いいな?」
隊長はしばらくワカナを見つめ、肩を叩いた。落ち着いたレスキューの顔に戻っている。
ワカナが微笑み返すと、隊長は踵を返し、部下に指示を出し始めた。警官たちも周囲の誘導を始めたようだ。
ワゴンに戻った。
カオリに何か指示をしていたシンが、振り返った。
「カオリとワカナは生き残っている人を探してくれ。オレはPIASを……」
「ちょ、ちょっと! 一人で何とかなると思ってんの!?」
「思ってねぇよ。けど、怪我している人をほっとけないし、PIASもほっとけねぇだろ」
確かにそうだった。Rやガールは戦闘中で、ミニライガーたちの到着までには、まだ少しかかる。自分たちだけでやれることをやるしかないのだ。
「わかった。でも、私が追いつくまで無茶はしないでよ?」
言ったときには、シンはすでにゲートを飛び越えて駆け出していた。
常に通信はつながっているから、伝わっていることはわかっている。いや、言葉にしなくてもエモーションでわかりあえる。
「カオリ、エモーション・センサーに反応はない?」
意識があれば、感情もある。その感情をセンサーで感知する。これもイバライガーからのフィードバックで開発したものだ。現代の技術では劣化版しか作れないため、イバライガーたちほど広域に探知することはできないが、この施設全体をカバーするくらいはできる。
「ふえっひょ……ひゃふん……ごっくん……4……5人ほどの反応が……」
たこ焼きを飲み込みながら、カオリが応えた。
4~5人? この施設には数十人がいたはずなのに。
居候していたときに話し相手になってくれた女性研究者を思い出した。お子さんがいたはずだ。まだ3歳だって言ってた。
他の人にもそれぞれの人生があった。その多くが消えてしまったというのか。
あと数分……いや1分でもいい、自分たちが早く着いていたら。
ワカナは自分の頬を叩いた。
今は泣いている時じゃない。
「とにかく反応のある場所に誘導して! 助けられる人は全部助ける。それからシンを追いかける!」
シンは、女性職員を背負って走っていた。
意識はないが、まだ生きている。
外傷は大したことはなさそうだ。額から血が出ている。何かに頭を打たれたのかもしれない。
重大な障害でないことを祈った。
この人は覚えている。ワカナと気が合って、よく話していた。
PIASの制御システムを担当していたはずだ。
一刻も早く病院へ連れていくべきだが、今は無理だ。
PIASを止めないと、この惨事は何千倍にもなってしまう。
屋外の、喫煙所になっている場所にベンチがあった。
女性を寝かせる。ここも安全とは言えない。それでも、ここに置いていくしかない。
この先に、いる。
見えないが、感じる。
これまでに何度も感じてきたジャークの気配だ。
時折、激しい音が聞こえる。イバライガーR。それにイバガール。
戦っている。二人が食い止めている間に、自分たちでPIASを止めなくては。
一瞬、躊躇した。
ここまでに、戦闘員やゴーストがいなかった。
本気でこっちを潰す気なら、こうもたやすくPIASに接近できるとは思えない。
まるで導かれているようだ。何かを企んでいる。
それでも、シンは走り出した。
何があったとしても、行くしかないのだ。立ち止まっている余裕はない。
拳をかざした。エモーション・シールドを展開して突っ込む。
そう思ったとき、横の壁から何かが飛び出してきた。
不意を突かれた。シールドは間に合わない。横っ跳びに転がる。爪のようなものが頬をかすめた。
さらに、何かがくる。転がったままシールドを展開して、受け止める。
雨? だが赤い。血なのか。違う。
雨が当たった場所が、腐食し、溶けていく。
グゲェエエエエエエエエエエエッ!!
凄まじい咆哮が響いた。
声の圧力に吹き飛ばされたかのように、シンは跳ね起きた。
降り注ぐ赤い雨の中に、かつてPIASであったものが立っていた。
ショットアローで氷獣たちの出足を止めて、突っ込む。
連続蹴り。数体が蒸発する。着地と同時にパンチ。目の前に迫っていた牙をへし折って、拳を喉の奥へと叩き込む。そのままブレードを展開して、一気に薙ぎ払う。消滅した氷獣は欠片となって漂い、再び実体化する。
何度倒しても再生する。それでも、エネルギーは消耗しているはずだ。倒し続ける。こいつらを出せなくなったときが勝負。
「さすがね、イバガール。やはり力では、あなたには勝てそうにないわねぇ」
氷の渦の中で、ルメージョが微笑んだ。
「ふんっ、それがわかってるなら、さっさと諦めてPIASを返しなさいっ! ついでに、そのナツミさんの身体もね!!」
「相変わらず、まっすぐな娘ね。ちょっと羨ましいわ」
氷が、無数の槍となって放たれた。
ガールは、その切っ先に向かって手をかざした。ウインドフレアの風で受け止め、振り払う。
全ての槍は軌道を変えられ、側面の壁に突き立った。
「無駄よ、ルメージョ。あんたの攻撃じゃ私は倒せないっ!!」
「……その通りよ。でも、それでいいの。勝つ気はないの。負けなきゃいいだけ。あの霧が、PIASや中の人間をベースにして『本当の身体』を再構築するまで時間を稼げれば十分なのよ」
「ムキ~ッ! あったま来るわねぇ、その上から目線な態度! 頭のいいナツミさんの身体を使ってるからって調子に乗んないでよねっ!!」
言い返したが、状況はイマイチだ。
押しているのは自分だ。
でも、策に嵌まっているのも自分なのだ。
このまま戦い続ければ、最後には勝てる。でも、そのときには全てが手遅れだろう。
ルメージョも最後までやり合うつもりはないはずだ。
つまり、遊ばれている。
それでも、この場を放置するわけにもいかない。
自分がルメージョを止めている間に、Rやシンやワカナが何とかしてくれると信じるしかない。
けれど、Rも苦戦しているようだった。
当然だ。相手は、あの凶暴なダマクラカスンなのだ。
それでもRは負けない。きっと勝つ。シンとワカナはPIASを止める。
それを信じるんだ。そのために、私は私の役目を果たすんだ。
「わかったわ、ルメージョ。あんたに付き合ってあげる。仲間たちが、あんたたちの企てを打ち破るまでね!!」
もちろん、ただ付き合うつもりは全くない。可能なら倒す。倒してナツミさんを取り戻す。
イバガールは、セーブしていたパワーを解放した。
「行くわよルメージョ! 私の風を受けてみなさいっ!!」
爪を躱して、拳を撃ち込む。避けられた。
突進してくる。回転して躱し、その動きのまま回し蹴りにつなぐ。肘で受けられた。構わない。逆の足でさらに横蹴りを、ボディに叩き込む。後方に吹き飛ばした。
数メートル下がって、ダマクラカスンは動きを止めた。
「やるではないか、イバライガーR。こうでなくては面白くない」
まさに、ギリギリの攻防だった。体重もパワーも、奴のほうが圧倒的に上だ。普通の攻撃では押し負かされる。
インパクトの瞬間だけ、拳の質量を上げる。躱す一瞬だけ、動きを加速する。
コンマ以下のタイミングで、全身の質量をコントロールし続けるしかない。
「なるほど、ヒッグス・コントロールか。量子レベルでヒッグス場を制御し、刹那の一瞬だけ、身体の各部の質量を変化させているのだな。それも時空制御技術の賜物というわけか。未来から来たヒューマロイドというのは嘘ではないらしいな」
暴力が目立っているが、ダマクラカスンは十分な知識も持っていた。
奴がジャークとして実体化する際に素体となったのは、ワカナたちの上司であった世界的素粒子物理学者なのだ。
その意識はすでに消滅しているが、知識の一部は吸収されているのだろう。
我々の宇宙は、ヒッグス場というフィールドに満ちている。
宇宙の全てはヒッグスの海に沈んでいるようなもので、物質が動けばヒッグス場の抵抗を受ける。その抵抗が質量と呼ばれるものなのだ。質量は物質自体によるものではなく、ヒッグス場が生み出しているのである。
1964年に存在の可能性が示され、2012年の素粒子実験でヒッグス場実在の証拠であるヒッグス粒子が発見されたが、その詳細は未だに謎のままだ。
だがイバライガーは、時空制御システムの応用で、ヒッグス場をコントロールできる。
制御できるのはわずかな時間、わずかな空間だけだが、それによって本来の筋力や耐久力を大きく上回る力を生み出せる。
実際に力が上がるのではなく「上がっているのと同じ結果にできる」のだ。
ダマクラカスンは、そうした仕組みをわずかな間に見抜いていた。
さすがは四天王。想像以上に手強い。
狡猾で、残酷。しかも変異した肉体は、外見以上の強固さと破壊力を持っている。
ゴーストが何体集まっても、これほどではあるまい。一瞬でも気を散らせば、致命傷を受ける。
実際、初代イバライガーは、それで大ダメージを受けているのだ。
それでもイバライガーRは、周囲の状況にも気を配らざるを得なかった。
イバガールはルメージョと対峙している。
シンも敷地内に入り、すでに変貌したPIASと接触しているようだ。
アレは今、自らの身体を構築している最中だろう。
アレが身体を作り上げる前に、シンたちはソウマを救い出せるのか。
上手くいけば成長を止められるはずだ。
ジャークは、無機物には憑依できない。ネガティブな感情を持つ生命体=人間にしか取り憑けない。
今回はPIASスーツも素体として取り込んでいるようだが、それでも核になるのは人間のはずだ。
あの中からソウマを助け出すことができれば、奴の復活は阻止できる。
猶予はあまりない。ソウマの意識が完全に飲み込まれてしまえば、終りだ。
取り憑いているのが四天王級なのは間違いない。動き出せば、人間などひとたまりもない。
満足に動けない数刻だけがチャンスなのだ。
だが、それ自体が罠かもしれない。
シンたちだけを行かせたのは間違いではないのか。
助けに行きたい衝動を、イバライガーRは必死に抑えた。
今は他に手がない。それぞれが自分の役目を果たすしかないのだ。
「どうした、イバライガーR? 人間どもが気になるか。だが貴様はどこにも行けん。俺は時間稼ぎなどする気はない。『奴』の力など必要ない。この俺が、貴様らの全てを引き裂いてしまえば済むことだからなぁ!!」
声とともに、爪が伸びた。
Rのいた場所が、数メートルにわたって引き裂かれ、爪痕から瘴気が吹き出す。大地が沸騰した。
くっ。ミニライガーRがいれば。
彼を動かすことが出来れば、あの技が使える。一気に勝負を決められる。
時空突破クロノブレイク。
前回は失敗した。巨大な時空の力を制御するには、エネルギーが足りなかった。
だが、ミニRがいれば。
ダマクラカスンの追撃が来る。自分を叱咤した。
ダメだ。今は考えるな。いない者を当てにするな。
「避けるか。躱すか。無駄なあがきだ! 貴様も、人間どもも、この世界も、すでに終わっているのだ! 貴様らにあるのは、蹂躙され破壊される未来だけよ!!」
「そうはさせないっ! お前の爪は誰にも届きはしない! 私たちが必ず防いでみせるっ!!」
握りしめた拳が白熱した。引けない。負けられない。
ブレイブ・インパクト。
イバライガーRは、炎となって突っ込んでいった。
通路に倒れていた人を壁際に運んで、マーカーをつけた。
これで8人。カオリのセンサーでは、意識のある5人しか確認できなかったが、ワカナは8人を見つけることができた。
幾人かは、先行したシンが動かした気配がある。仲のよかった女性研究者も無事だった。
まだいるかもしれない。でも、もう限界だ。時間がない。後はレスキューの人たちに任せるしかない。
全員にマーカーをつけてあるから、場所はカオリのセンサーで確認できるはずだ。
本当は、立ち入って欲しくない。
危険な現場に慣れているとはいえ、彼らではジャークに対処できない。
それでも、任せるしかない。
すでに、だいぶ時が経っている。Rとガールも、それぞれ強敵と戦っている。
PIASに取り憑いたのが本当に四天王級だというのなら、シンだけで止められるはずがない。
止められなければ、被害は何百倍、何千倍にも広がる。
これ以上、遅れるわけには行かないのだ。
ワカナは、走りながら悪態を付いた。
ブラックのバカ! この大事なときに何処にいるのよ? 気づいてないとか言わせない。絶対に見てるはず。なのに、来ていない。私たちだけで、どうにか出来ると思ってんの? それとも、やっぱりアイツは敵で、私たちがどうなろうが知ったことじゃないってわけ?
心の中で言いたいだけ文句を言って、少し、落ち着いてきた。
ブラックにどんな思惑があるのかは分からない。
それでも、自分やシンを必要だと考えていることは間違いない。
ヤバいヤツだけど、私たちが本当に危なくなったらアイツは必ず来る。
来ないということは、何とかなる可能性があるってことだ。
そう思って全力でやるだけでいいんだ。
建物の角を曲がった。シンが見える。
その向こうに、4~5メートルはありそうな赤い塊が見えた。
ブヨブヨと蠢いている。表面に、無数の顔のようなものが次々と浮かび上がっては消える。
その顔が歪むと、口から血のような液体が吹き出す。それを浴びた場所は、腐食して朽ちていく。
まさか、あれがPIAS!? あの中に、ソウマがいるっていうの?
「シン!!」
「ワカナ、近づくなよ。あの赤いのを浴びたら怪我じゃ済まない」
「どうなってるの? アレ、本当にPIASなの!?」
「さっきまでは、もうちょっと人っぽい姿をしてたんだけどな。あっという間に、ああなった。たぶん……前回の自爆ゴーストと同じだ。増殖し、膨張し、繭のようになってる。本来の身体を再構築しようとしてるんだろう。PIAS本体と、中にいるソウマを素体にして、な……」
また、血が噴き出し、シンとワカナはジャンプして躱した。
「オレたちを狙ってるんじゃない。ただ、のたうっているだけだ。近づくと爪で襲ってくるが、それも動くものに反射的に反応しているだけらしい」
「……つまり、アレは今、自分の身体を構築することだけに集中しているってこと?」
「ああ、だから可能性はある。まだソウマの意識が完全に消えていないのなら……」
そうだ。完全にジャークに取り込まれていないのだったら、こちら側に引き戻せるはずだ。
それは、自分たちで経験している。
全てが始まった、あの日。
シンと私も、ジャークに身体を奪われそうになった。
ティクス博士の身体を奪ったダマクラカスンに追い詰められて、ジャークの侵食を受けた。
イバライガーに助けられたけれど、あのときの、心が汚染されていく恐怖と、自分がおぞましいものに変わっていく絶望は、今でもはっきりと覚えている。
ねぎのときも、そうだ。
エモーション・ポジティブの輝きが、ネガティブの属性を反転して浄化してくれた。
ほとんど怪物化していたねぎを、救えたんだ。
今回も、やれるはずだ。
ただし、その方法でいいのかどうか。
「シン、どっかで戦闘員とか、見た?」
「いや、1人も見ていない。いないらしいな」
「おかしいと思わない?」
「思う。けど……やるしかないさ……」
またしても、ルメージョの策に踊らされているのかもしれない。
こっちに他の選択肢を与えない。罠と気づいても、引き返せない。そこまで読んで仕掛けてくる。
「心配すんな。いざとなったらオレが守る。絶対にな」
わかってる。シンは、必ず私を守ろうとする。
だからこそ心配なのだ。
何かを覚悟している気がする。
自分にも覚悟はあるけど、それとは違う何か。
シンは、自分自身でも気づかないまま、何かを感じているように思えるのだ。
「とにかく、行くぞ。今回はオレたちだけだ。二人のエモーションだけでやるには……」
「接触して直接流し込むしかなさそうね……」
エモーションをできるだけ温存しつつ、あの雨をかいくぐって、爪も躱して懐に飛び込んで、あのブヨブヨにありったけの感情エネルギーを流し込む。
かなりハードなシナリオだ。
しかも思った通りにやれたとしても、期待した結果になるかどうかはわからない。
でも躊躇していられない。
どうなるかわからないのは、いつものことだ。今は、できることをやるだけだ。
時間が経てば、ソウマは完全に乗っ取られてしまう。そして恐ろしいジャークに生まれ変わる。
ダマクラカスンやルメージョに匹敵する、あるいはそれを上回る怪物が生まれてしまう。
ソウマを救うだけじゃない。もっと多くの人たちを守るためにも、ジャークとPIASの融合を阻止しなくちゃならない。
チャンスは今だけだ。
目標まで、約20メートル。左に瓦礫が突き出ている。右には植え込み。
それらを避けると、走れるスペースは意外に狭い。
「オレが先に飛び込む。ワカナは道を作ってくれ」
「仕方ないわね。シンは不器用だし、私は最近読んだ漫画のおかげで、また新しい応用技を覚えちゃったし」
銃を抜き、MCB弾を確認する。
今日はまだ一発も撃っていない。これだけあれば、やれるはずだ。
「新しい技? これ本番だからな? 失敗すんなよ?」
「わかってるって。とにかくシンは中央を全力で。絶対に止まらないでよ!」
シンが身構え、タイミングを計り始めた。
ワカナも、正面を睨んだ。やれる。やれるはずだ。
でも、もしダメだったら。
シンの『何か』が起こったら。
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