広告漫画家物語20:時空戦士イバライガー
この「広告漫画家物語」シリーズも、本記事でいったん終了。
なので最後に、先の『カソクキッズ』のスタートと、ほぼ同時期から関わり続けている茨城のご当地ヒーロー(と呼ばれている)を紹介したい。
時空戦士イバライガー。
ボクはその活動に関わっていて、ファンでもあり、このブログ&電子書籍で小説版まで連載しているけれど、ここで紹介するのはそれだけの理由じゃない。
彼らの活動が、フリーランスでオリジナル作品を作っていきたい人たちの希望にもなると思うからだ。
ボクが彼らの活動に感じた希望。
それを、多くの人にも伝えたいと思う。

絶望から生まれたヒーロー
時空戦士イバライガーは、新エネルギーを生み出すための実験の失敗で誕生した悪の軍団「ジャーク」によって荒廃してしまった未来からやってきた正義のヒューマロイド。そうした悲劇の歴史を食い止めるために現代で戦っている……というのが、ステージショー冒頭のMCで毎回解説されている基本ストーリー。
この時空戦士イバライガーを生み出したのは「茨城元気計画」代表の卯都木睦(うつぎあつし)氏。
デザインも、造型も、変身も、全部ご本人がやっている。
彼は元々、日本を代表するサーファーの一人で、事業家としても若くして大成功を収めた人物なのだけど、若さゆえの失敗というか、とにかく事業は頓挫し、大失敗となり、借金を抱え、一時は自殺すら考えたという。
だけどギリギリで踏み止まり、彼はヒーローを目指して再起した。
もうお金に振り回されるのは嫌だ。
裏切られるのも嫌だ。
それよりも人々を励ます仕事をしたい。
幼い頃から憧れていたヒーローになりたい。
元来、手先が器用で、しかもサーフィンづくりでFRP加工技術などを学んでいたため、マスクもスーツも自分で作れた。
自殺を踏み止まった夜、思いついたデザインを描き留めた。
それが現在のイバライガーなんだ。
シンプルでオリジナリティのあるデザインって、今どきはかなり難しい。
とにかくヒーロー多すぎるからね。他の何かに似ないようにしようとすると、どうしてもゴテゴテしちゃう。
でもイバライガーは実にシンプルだ。
ああいうアイデアは、そうそう出て来ない。考えた本人だって、もう一度は無理だろう。
彼が長年、心の中で温めていたナニカ。
それが成功と絶望を経て、その夜に浮き上がってきた。
たぶん、そうだったんだと思う。
卯都木氏自身が、絶望から立ち上がるために生みだしたモノ。
それが『時空戦士イバライガー』なんだよね。
ボクとイバライガーの出会い
そうして活動を続けて、11年(2018年現在)。
デビュー当時は卯都木氏一人だったけれど、今ではキャラクターも増え、正義と悪それぞれのキャラクターを合わせると総勢30人ほどがいて、スタッフ全体では40名前後になっている。ちょっとした劇団に匹敵する規模だ。
毎週のように各地でステージショーやサイン会、握手会などを行っていて、ご当地以外にも多くのファンがいる。
ボクは、このイバライガーと深く関わっている。
公式サイトを作ったり、様々なポスターや広報物を作成したり、ショーのシナリオを書いたり、運営に助言したり、スポンサー獲得のための企画をまとめたり、写真集をリリースしたり、揚げ句の果てに、設定から全部見直したオリジナル・ノベルの執筆まで始めてしまった。
ボクがイバライガーの存在を知ったのは、2008年初夏だ。
カソクキッズ連載開始前の打ち合わせの席で
「うるのさん、イバライガーっていうご当地ヒーロー知ってますか?」
と聞かれたのだ。
KEKのイベントのゲストとして考えてみようかと思ったらしく、ボクなら知っていそうだと。
でも当時は全然知らなかったから、そのときはその場の話題だけで終わった。
その数ヶ月後、別なお客の福祉イベントポスターを担当することになり、資料を預かったら、そこにイバライガーがいた。
ゲストとして出演するらしく、写真が添付されていたの。
イバライガーの姿を見たのは、このときが最初。
へ~、なかなか本格的じゃないか。かっこいい。
茨城も捨てたもんじゃない。
そして、この1年後、2009年初秋から、ボクは本格的にイバライガーと付きあうようになる。
そうなるまでの間に山ほどの衝撃的な展開があって、それらを知ったからこそボクはアツくなって本気で関わることになったのだけど、そのへんを語り出すと長くなりすぎちゃうので、今回は割愛させてもらう。
(興味ある人は、当ブログの「イバライガーコラム」にまとめてあるので読んでみてね)
とにかく、ボクはイバライガーと出会った。
このときに出会わなかったとしても、必ず関わることになっただろうと思う。
危うい活動基盤。それでも止まらないヒーロー
さて、この「時空戦士イバライガー」というコンテンツは、県とか市町村とか市民団体とかが立ち上げたモノじゃない。
完全なオリジナル作品で自主運営。
つまりは、同人とか自費出版と同じだ。
しかも本業。
ボランティアでも何でもなく、職業=ヒーローなのだ。
個人出版で漫画を連載し、それで食っていくなんてのは大変なことだけど、それ以上に大変なコトを実際に、しかも茨城県でやっている、というのはボクにとって衝撃的だった。
茨城ってね、全国で唯一、テレビ局がない県なのよ。
この手のモノの常とう手段ってのは、地域で名を上げて地元テレビで番組化してもらって……というのが鉄板なんだよね。
メディアと上手く連動していくことで事業化させていく。
でも、そのメディアが茨城にはないんだ。
他の地域と同じ方法が使えないの。
そもそも茨城って広報に積極的じゃない体質でね、ボク自身もずっと茨城の事務所で仕事しているけれど、取引のメインは茨城じゃないのよ。
主要なお客のほとんどは都内、あるいは茨城じゃないどこか。
地元が嫌いなわけじゃないし、ちゃんと営業活動や地域とのつながりも作っているけれど、それでも地元からのオーダーは少ない。
目立つ大きな仕事をいくつかやっているけれど、総量で考えると泣けてくるほどに少ない。
たまにオーダーがあっても、ものすごく安い額面での注文だったりするから、正直採算が取れない。
これには茨城の地勢的なアレコレも関係していると思っているのだけど、面倒くさいので今は省略。
とにかくクリエイター泣かせな土地だなって、ずっと感じていた。
なのに、そういう場所でヒーローを立ち上げ、しかも本業にして続けていこうとしているというのは、すっごくショックだったんだ。
メディアの力も当てにせず、自分たちの「大好き」っていう想いと作品自体の力だけで、無茶も無理も押し通す。
そんなことが本当にできるのか。
上手くいくとは、とても思えなかった。
作品としてのイバライガーは、素晴らしいと思う。
デザインもキマってる。
特に「黒き孤高の戦士イバライガーブラック」は、たまらん。
女性ファンが大騒ぎするのも分かる。
主役の「時空戦士イバライガーR」も正統派熱血ヒーローでイイ感じだし「時空天使イバガール」のダイナマイツなボディは、ネットでも話題騒然になったりしたもんだ。
けど、どれだけ人気が出ても、事業として大勢を食わせていくなんてコトは、並大抵じゃない。
無理なんじゃないかなぁって思ってた。
いつかは根を上げるだろう、やっていけなくなるだろう、そういう危惧を感じていた。
でも、イバライガーは止まらないんだ。
ボクが予想した通り、彼らの活動はいつもギリギリだ。
イベント会場までの交通費を払うと昼飯が食えないとか、オフィスの電気代を払うと電話が止まるとか、そんなのは日常茶飯事。
そのくせバリバリと活動しまくるから、地元でさえ「あれだけやれてるってコトは公共機関等がやってるんだろう。個人のはずがない」って思い込まれて、タダでアタリマエと言われたりする。
そういう状態に耐えてステージに立ち続けるイバライガーを見ているうちに、ボクはどんどんアツくなってしまった。
彼らが成功する姿を見たいと思った。
好きなことを貫いて、ちゃんと社会的にも経済的にも成り立つ。
そういう夢を見せて欲しいと思ったんだ。
それでボクは応援し、積極的にイバライガーに関わるようになっていった。
一番最初は「飲酒運転撲滅ポスター」の制作。
その次に公式ホームページ。
やがて様々な広報物、企画書、ショーのシナリオなどなど、アレにもコレにも関わるようになっていった。
全部ボランティア。
ギャラをもらったことはほとんどない。
予算がないのは承知の上で関わってるんだから当然のことだ。
ただし、イバライガーのためにボランティアしてきたつもりもない。
イバライガーが成功する姿を見たいというのは、ボクの夢なんだ。
ボクはボク自身のためにやっているに過ぎない。
ボクは「ボクのイバライガー」のためにやっているだけなんだ。
そして代表の卯都木氏は、そういうのを分かってくれて自由に関わらせてくれたおかげで、ボクはどんどん深みにハマってしまった(ある意味でいい加減とも言えるのだけど、ボク的には感謝しかない)。
「ボクのイバライガー」に向かって踏み込んだ小説版
その一番深いトコがイバライガーの小説化だ。
いや、本当はコミック化したかったんだけどね。
でもね、仕事の合間にチョチョイと描く程度の漫画じゃ嫌なのよ。
世の中には優れた作品が溢れている。
精魂込めて、寝食を忘れて打ち込んで、それでも売れるとは限らない世界だ。
そういうトコに片手間で描いた程度の作品を出しても、多くの人が振り返ってくれるとは思えなかったんだ。
やるなら全力で打ち込みたい。
ボクの表現力で及ぶかどうかは別として、本気で全力でやらなきゃ戦えるはずがないのはハッキリしてる。
でも、仕事を止めてイバライガーの漫画だけに打ち込んだら生活ができない。
つ~か、仮にソレができたとしても、ボクにはボクの夢や志もある。
イバライガーに惹かれたからって、自分のやってきたことを捨てるわけにもいかない。
今まで支えてくれたお客様やスタッフにも申し訳ないしね。
でも、やりたいものはやりたかった。
それで小説化を考えたんだ。
小説が漫画よりラクなわけじゃない。
むしろ、絵で表現できない分だけ難しいと思った。
ボク、語彙力高いわけでもないし。
でも漫画よりは他の仕事をしながらやりやすかったんだ。
アシスタントもいらないから、コストも抑えられる。
漫画もアシなしでもやれると思うんだけど、ボクの画力じゃ1ページに何日かかるかわからなくて、とても継続的にやっていけそうにないののよ。
なんせボクが構想しているモノを描き上げようとしたら、単行本20巻以上は確実なんだもん。
それだけ描くのに何年……いや何十年かかるのか。
それに、ボクの画力じゃボクが描きたいと思うものに届かないのもわかってたし(笑)。
そういうわけで、小説版を考えたわけ。
そういうものが必要だと思ったのは、イバライガーっていう世界をファンが体系的に理解することができないという問題を抱えていたからだ。
なんせ単発のステージショー形式だからね。
あのキャラはナニ? どういう設定なの? などなど、いちいち毎回説明できないコトがたくさんあるのよ。
そのへんがわからなくても楽しめるように構成はしているつもりだけど、やっぱり全体像が見えてないというのはイタイな~って思い続けていた。
仮面ライダーや戦隊ヒーローも各地でショーをやっているけど、アレはテレビシリーズがあるから成り立っているわけで、イバライガーにはそれがない。茨城県にはテレビ局自体がないんだから、ローカル放送すら期待できない。
だから、そうした部分をフォローする意味もあっての小説企画だったんだ。
なお、イバライガー自体の原作者は卯都木氏であって、ボクじゃない。
小説版としてはボクが作者だし、卯都木氏公認で書いているので本当にステージショーのハードバージョンではあるのだけど、イバライガー全体の著作権者は、どこまでも卯都木氏なんだ。
それでもボクは伸び伸びと、本当に自由に書かせてもらっている。
卯都木氏に内容についてツッコまれたことは、一度もない。
卯都木氏はいつも「ボク、ストーリーとか設定とか全然知らないんで好きにしていいですよ」というんだ。
あれだけのキャラを生み出していながら、本当にストーリーは考えてないんだよね。
そういう人なの(笑)。
だから、本当に好きにさせてもらったんだ。
小説版とステージショーは基本設定の部分ではつながっていて、小説はステージショーを下敷きにして描写している。
そして小説からステージショーにフィードバックされた設定や背景もある。
小説とステージショーでは、発表の場、表現形態、対象年齢などが全然違うから、色々と異なる部分も多いのだけど、根っこの部分では同じになるように工夫はしているんだ。小説は小説単体で楽しんでもらう他に、ステージショーのイメージを補完する役目もあるんだからね。
小説を読んだ人は、ステージショーを今まで以上に楽しめるようになる。
ショーを見た人も、小説でもっと深く楽しめる。
そういうふうに、お互いがお互いをフォローしあう関係になる。
それが小説執筆の理由の1つなんだ。
(第一の理由は、言うまでもなく「ボクが書きたかったから」だ)
子供向けショーをガチで再解釈していく苦労と喜び
そういう意図だから、これまでのステージショーで演じた物語を肯定する方向で考えた。
つまり設定も曖昧で、バラバラに浮いている個々のエピソードをつなぎあわせて、大きな1つの物語にしていくってコトだ。
いやぁ、これが大変で。
例えばイバライガーは未来からやってきたヒューマロイド(人型ロボット)という設定なんだけど、これだけだって「何年後の世界から来たのか」「どんな理屈でタイムトラベルしたのか」「過去の改変は可能なのか」「なんで人型ロボットなのか」「誰が過去に送り込んだのか」「なんでああいうデザインなのか」など、山ほど疑問が出てくる。
そもそもタイムトラベルものって厄介なんだよ。
だって、自由に過去を改変できるとしたらイバライガーなんか必要ないんだもん。
事件の原因となること自体を起こさせなきゃいいだけなんだ。「こぼれた水を拭きに来る」必要はないんだ。こぼれること自体を防いでしまえばいい。失敗したって関係ない。成功するまで何度でもトライできるんだから。
つまりイバライガーが過去(現在)に出現して活躍し続けるためには「事件発生後の時間軸にしかタイムスリップできない事情」が必要で、なおかつ「過去を改変する以外の選択肢がない事情」も必要なんだ。
過去を変えるってのは、ものすごくリスキーなことだもんね。
ホンの些細な何かが未来に大きく影響する。もし今、タイムトラベルが可能になったとして「第二次世界大戦では大勢の人が亡くなったから、アレをなかったことにしよう」と考えるだろうか。
ボクには、とてもそうは思えない。
悲劇の歴史を全部消してしまったら「今」もなくなってしまうに違いないから。
ステージショーでは「環境が破壊されてしまって手遅れになってしまった未来」ということになってるけど、過去に戻って環境問題を解決したところで、その未来の人々は救われまい。
全く別な歴史に変わるということは「元の歴史がなくなる」ということだもん。
地球は救われても、元の歴史を生きた人々までは救えない。
生物学的に同じ人物が生まれたとしても、その人は全く別な人生を歩むのだから「自分」ではないはずだ。歴史を変えた時点で「自分」は消滅しちゃう。
過去の改変は、救いにはならないとしか思えない。
だから普通は過去の改変じゃなくて、その時代の問題はその時代で解決しようとするはずだ。
しかもイバライガーのような「世界を一変させるような事件を丸ごと解決できるほどの超兵器」の開発に成功しているとしたら、なおさらだ。
そんだけの技術があるなら、歴史改変しなくても何とかできるだろ。
キチンと物語をまとめるというのは、そういう齟齬や矛盾をなくしていくことだ。
子供向けのステージショーなんだから、そんなのテキトーでいいだろ、じゃないとボクは思う。
ボクが夢中になった作品たちは、どれもこれも、そういう問題にちゃんと向きあっていた。
多少の矛盾が残ってしまっている作品も少なくないけど、それでも考えもしない、いい加減でいいと思って描かれてはいなかった。
そういう作品たちに育ててもらったんだ。
ボクだって、できる限り本気で向きあわなきゃ先人たちに顔向けできないじゃないか。
作品としての筋を通す。
それがSF設定というものだ。
でも……。
本当に大変なのよ~~。
なんせイバライガーはボクだけのコンテンツじゃないからね~~。
ステージショーのシナリオだって、毎回ボクが書いているわけじゃない。
その場その場でやれるシナリオを誰かが即興で書いているようなモンなんだ。
時々は知らないうちにキャラが増えていたりもする。
ミニライガーという子役のヒーローが大勢出てくるんだけど、これなんか気付いたときにはステージに立っていたという感じで「おいおい、そのキャラどこからどんな理屈で出てきたんだよ!?」ってコトが少なくないの。
で、それを可能な限り合理的に解釈できるように整え直している間に、また次のアレコレが起こる。
うわぁああ、どうすりゃいいんだよ~~~!!
まぁ最近は、多少ラクになった。
ボクが設定を整え直していることを卯都木代表が理解してくれて、何かを仕掛けるときには事前に相談してくれるようになったからね。
なので新キャラ登場とか、設定に深く関わりそうな内容のショーになるときには、ボクがシナリオ担当することが多い。
キャラが増えたりするのは、仕方ないのよ。
マンネリを避けるためにも色々工夫しなきゃやっていけないし、二箇所、三箇所で同時にイベントがカブることも少なくない(そういう機会をちゃんと押さえていかないと経営が成り立たない)から、一定数のキャラがいて、それを回していけないとダメなんだよね。
(一応ディ◯ニーのように、同じキャラが同じ時間に別々の場所に出ることがないようにやってるのよ)
だから、そういう「大人の事情」までも基本設定でカバーできないとマズイんだ。
当初は考えていなかった不測の展開になっても矛盾が起こりにくい自由度がありつつ、全体としてしっかりまとまる設定にしておかないとダメなの。
ZもZZもVも、どころじゃない。
WもGもXも1つの宇宙史にまとめなきゃならんようなモン。
ターンエーかスーパーロボット大戦かってなモンなんだ。
(しかも執筆中にベースになる設定が微妙に変化し続けている)
でも、大変だけどやりがいはあるのよ。
信じて任せてもらえるっていうのも嬉しい。
おかげでボクのイバライガーワールドは、ものすごく大きくなったし、それなりの屁理屈もちゃんとあるんだ。
イバライガーのエネルギーは、観客のみんなの応援の声=感情エネルギーなんだけど、これについても「感情子(エモーション)」という架空の素粒子を設定して、いちいちKEKの博士に相談したりしたんだから。
タイムトラベル理論についてもね。
もちろん、本職の博士がそんなアホなことを是としてくれるわけがないんだけど、それでも聞くだけ聞いてみて、少しでも妥当っぽい雰囲気(あくまで雰囲気だけなんだけど)になるようにしている。
イバライガーが格闘主体なのは「ステージショーだから」なんだけど、それも「敵を倒すにはイバライガーのエネルギーを送り込まなければならず、大気中にエネルギーを放つと敵に到達する前に著しく減衰してしまうので、直接打撃で流し込む必要がある」という理屈に。
予算と時間がなくて、敵の四天王が二人しか登場していない理由も「本来の歴史ではもっと早く登場しているはずのキャラが歴史が変わったせいで出てきていない」ということに。
イバライガーはトライク(見た目はバイクの三輪自動車。自動車扱いなのでヒーローの姿のままで公道を走れる)に乗っているけど、これだって本当はそんなモノに乗らないほうが移動が早いはずなんだ。だから「トライクに擬態したオプション」ということに。
こうやって、子供向けステージショーをガチで設定していくのよ。
これ、すっごく楽しいんだよ。
現在のステージショーの全部がボクの設定に基づいているわけじゃないのだけど、それでもかなりの部分で受け入れてもらっているので、よく注意して見ていると「何かの設定上の理由がありそうだ」と、気付く人は出てくるだろう。
例えばイバライガーたちを上回る謎のヒーロー「ハイパーイバライガー」ってのが時々登場するんだけど、彼は稼働時間も短く、また直接打撃で戦っていない。
ショーの制約上、格闘アクションには違いないのだけど、よく見ていると気みたいなモノで敵を吹っ飛ばしていて、接触はしてないのよ。
これはそうしておいてくれとボクからも頼んであるんだ。
なぜ打撃技を使わないのか、ハイパーとは何なのかは、イバライガー最終回に通じる大事な鍵だから。
寄りかからずに、ともに歩む
これだけ色々やって、イバライガーたちも毎週のように活躍し続けていても、その台所は相変わらず苦しいままだ。
活動規模が大きくなると収入は増えるんだけど、支出はそれ以上に増えるからね。
むしろ年々厳しくなってる感じ。
ボクも経済的余裕があるわけじゃないから、そっち方面ではあまり支援ができない。
企業スポンサー獲得のために企画書を書いてあげたり、一緒に営業に同行して商談してあげたりはするんだけど、現金をポンと出してあげるようなコトはできない。
だから、ある日突然、活動続行不能に陥る可能性は少なくない。
むしろ、今活動していることのほうが奇跡だろう。
ボクだったら、とっくの昔に根を上げているもん。
だからこそ、ボクは「ボクのイバライガー」を続ける。
もしものときにも、ボクの取り組みは続けられるから。
そうやって継続させる。
そして、もしもがあってもイバライガーは必ず復活する。
卯都木代表にとって、イバライガーは本当に魂を込めたモノなんだ。
彼が自殺しかけるほどの絶望の中から生み出したものなんだ。
ここで詳しくは書かないけれど、それだけの重たいものも背負っているんだ。
だからこそ、決して投げ出すはずがない。
一時的にやれなくなっても、必ず、何度でも立ち上がるはずだ。
これまでもそうだったんだから。
どう考えてもチェックメイトとしか思えない状況を乗り切ってきたんだから。
ボクは彼とイバライガーを信じている。
そして信じているからこそ、寄りかからない。
ボクはボクの取り組みを、ボクのためにやる。
そうすることが彼らに協力し続けることになるから。
今まで何度もイバライガーを利用しよう、便乗しようとして近付いてきた人がいたけど、そうした人たちは大抵は数ヶ月、長くても数年で立ち去っていった。
こういうモンに関わるなら、寄りかかっちゃダメなんだ。
それでは支援どころか、負担を増やすだけなんだ。
利用しても構わないけど、自立してやるべき。
自分の関わり方、それによるお互いのメリットなどをしっかり考えて、自分の戦略と距離感で関わるべきだと思う。
フリーランス・クリエイターの希望になってほしい
彼らがどれだけ踏ん張り続けられるか、ボクがいつまで関わり続けられるかは、誰にもわからない。
それでも、ここまで10年近く、彼らは自主活動で生き抜いてきた。
自分で考え、作り上げた自分の作品を、メディアなどに頼らずに自主運営だけで続け、メシを食ってきたんだ。
自分の作品を自分で売っていく。
そういうことができる、できたというのは、まさに希望だとボクは思う。
ボクなどは、彼らよりもずっとコンパクトな体制で同じことができるハズなんだ。
それなら、周囲がどうであろうがボクはボクのやりたいことに挑める。
自分自身の覚悟だけで立ち上がることもできる。
そういう希望を、ボクはイバライガーの活動で学んだんだ。
だからボクはあきらめない。
落ち込んだり、迷ったり、ナーバスになったりすることはあると思うけど、あきらめはしないで済むのではないかと思っている。
実際に見せてもらったんだから。
次は自分の番だ。
そのために、ボクはイバライガーに協力し続けているんだ。
自分自身の希望だからこそ。
※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。









うるの拓也












