広告漫画家物語13:漫画はわかりやすくないぞ

ボクは必ず「企画やシナリオ段階」から関わってる
さて、そろそろ2つ目の事例にいこう。
保険会社のアレコレだな。
最初はいつも通り、ネットでお問い合わせをいただいて、お付き合いが始まった。
保険会社そのものじゃなくて、保険関係専門の広告会社。
社長さん以下社員も含めてファイナンシャル・プランナーでもあって、つまりは保険を売っていた人たちが、現場で培った知識を生かして保険関係専門の広告会社を立ち上げたわけだ。
そして漫画に目を付けた。
今までと違う、わかりやすくて特徴のある保険パンフを作れるんじゃないか。
というわけで、三つ折りリーフレット漫画をいくつか手掛け、それが期待通りに好評だったことから、漫画広告を積極的に扱ってくれるようになり、次々と大手各社の保険広告漫画を手掛けることになったんだ。
この会社の場合は、最初に大雑把なシナリオ案が来る。
それをボクがチェックして、漫画(ネーム)にまとめる。
シナリオ案は、あくまでも「案」に過ぎなくて、ボクが大幅に変えちゃうこともある。
時には全然別なモノに丸ごと変えちゃうことも。
先方の「案」を読めば、基本的な主旨はわかるから、そこを踏まえた上で、より読者にわかりやすく、なおかつ楽しめて、興味も持ってくれるようにまとめ直すんだ。
最初にやったリーフレット漫画が上手くいったおかげで、先方もコッチの力を認めてくれているから、ボクがチェックして修正することも認めてくれている。
むしろ、それを望んでいる感じなので、ボクも遠慮なくイジることができたの。
この会社に限らず、ボクは原作なりシナリオなりを渡された場合でも、必ず自分で内容を精査して、必要な手直しをしてから描く。
それがダメなら引き受けない。
だって広告業界で出会う人たちは、漫画の素人なんだから。
どんなにソレっぽく見えたとしても、素人が作った設計図のままで家を建てるなんてオソロしすぎるでしょ。
だから自分で設計し直す。
自分でもやってみて、それで問題がないのなら元のシナリオ通りに描いてもいいけど、大抵はね、ヤバイんだよ。
多くの場合はやってみるまでもなくヤバい。
広告漫画は広告だ。
漫画という手法で伝える広告であって、漫画であることより広告であることが優先される。
どんなに面白い漫画にしたところで、広告としてダメならダメなんだ。
広告会社や広告主は、あくまでも広告を作るつもりでやっている。
それはそれでいいんだけど……でも、広告漫画は漫画でもあるのよ。
いつも通りの広告を作る感覚じゃダメなのよ。
漫画には絵があるし、ストーリーってモノもある。
そのへんを考慮しなきゃ漫画にする意味がない。
だけど、広告会社も広告主も、漫画のことはわからない。
わからないから軽く考える。
コマ割されてれば漫画だろ。文章がフキダシに入ってればソレっぽいだろ。
そんなモンなのよ。よ~するに前後を考えずに言いたいことを言ってるだけなの。
いや、普通の広告ならそれでいいけどさ、漫画じゃダメだろ。
ストーリーつながってないじゃん!
セリフもつながってない。そのセリフ、そのキャラが喋るのはヘンだろ。
そのコマにその図は入らないってば。
山場、谷場どころか起承転結自体がないし。
座って喋ってるだけじゃ漫画にならないって。
とにかく、そういうシロモノな場合が圧倒的に多いんだ。
これじゃほっとけないよ。このまま描いたらボクの名折れ。
こんな仕事を世の中に出したら、自分の評判を落とすだけじゃないか。
依頼者がよくてもボクにはよくない。
読者だってよくない。
そういうわけで、ボクは必ずシナリオに手出しする。
だから原作があってもシナリオ作成分の料金を値引きしたりもしない。
常に全部コミコミ。それを認めないというのなら引き受けない。
ボクは自分がダメだと思っているままでは描きたくないし、お金のためと割り切っても、そういう仕事はお金にならないことのほうが多いんだ。
ダメだと言ったのに直さず押し付けてくるような人を相手にすると、その後もトラブルが絶えず、採算が悪いんだ。
難癖つけられて直しが多かったり、予定外の変更なんかも出て、とにかく厄介になりがちなの。
受注時に取り決めた額面じゃ合わない。
そういうことになりやすいのよ。
しかも、それを我慢して仕上げても、元々がダメなんだから反響は出ない。
それでも相手はボクのせいにする。漫画家がダメだからだろうと。
漫画を知らないから正しい原因分析が出来ず、こっちのせいにするんだよね。
まぁ、ダメなモノを押し付けるような人でもあるわけだしねぇ。
そういうわけで、その人には嫌われて、広告主にも嫌われて(あることないこと吹き込まれたりすることも)、作品自体は読者に嫌われて、それを見た「将来自分に依頼してくれるかもしれなかった人たち」にも嫌われて……と、いいことないのよ。
目先の仕事どころか経歴にまで傷付けられちゃったら、10万円の仕事で100万円もらったって割が合わないもん。
これからも生きていかなきゃならないんだから。
だからボクは、ダメなモノはダメとはっきり言う。
そんでシナリオから自分でやらせろと言う。
そうでないとやれないんだ。
「漫画でわかりやすい」の正体
この保険広告会社は、そういうボクを認めてくれて、たくさんの保険漫画を手掛けさせてくれた。
名の通っている大手保険の大半はやったと思うよ。
保険っていうのは決まった形がないんだよね。
それぞれの人生の形、将来設計に合わせて特約を組みあわせて、その人ごとにカスタマイズして組み上げるものだから。
だからピンと来ない。アレを買えばいいといったモノじゃないから、イメージしにくいんだよな。
人生設計なんて言われても、この先どうなるかなんか誰にもわかんないんだし。
だから漫画でピンと来させる。
架空の家族、架空の会社などを舞台に、読者が今度出くわすかもしれないトラブルなどをコミカルに描いて、なるほど、そういうコトもあり得るなと思わせる。
そうやって保険に興味を持たせるんだ。
そこまでが漫画の仕事。
その先の保険商品の解説はしない。
漫画ではしない。
ボクが手掛けた保険漫画パンフレットのほとんどは、見開きの左が漫画、右が商品紹介という構成になっているの。
目立つのは漫画だけど、本当の主役は右ページの商品紹介のほうなんだ。
漫画の役目は、商品紹介を読んでみようという気にさせることなの。
解説なんかしない。
そんなコトは漫画じゃないほうがわかりやすいんだから。
ここでちょっと触れておくけど、よく「漫画でわかりやすい」とか書いてある解説本があるよね。
ボクはアレは勘違いだと思ってる。
この数年後に、ボクがKEKで連載した『カソクキッズ』という科学漫画が『マンガでわかる素粒子物理学』という書名で出版されたんだけど、この書名は出版社側で決めたことで、ボクは関与していない。
ボクが描いたのは、あくまでもカソクキッズ。
生産者が育てた産品を仕入れたお店が、独自のブランドネームで売ってみたというだけ。
ボクはお手並み拝見といった気持ちでソレを認めただけなのよ。『マンガでわかる~~』なんて一度も思ったことはないよ。
ハッキリ言って、漫画化なんて回りくどいことしないで、解説に徹したほうが絶対わかりやすいと思うなぁ。
何かの解説書がわかりにくかったとしても、それはその本がわかりにくいのであって、ちゃんと普通に解説することよりも漫画のほうがわかりやすいとは思えないよ。
ボク自身、漫画じゃないパンフやカタログやマニュアルをいくつも編集してるけど、わかりやすいように作ってるつもりだし、実際そうだと思うもん。
皆さんの身近にあるマニュアルや設計図だって、漫画ではなくてもわかりやすくなってるハズだよ。
それなのに漫画にすればわかりやすいと思われがちなのは、漫画じゃないパンフはそもそも読まれないからだ。
よほどヒマか、どうしても読まなきゃならない理由がない限り、広告なんか読まない。
新聞に折り込まれたりポスティングされてたりする広告も、ざっと眺めただけで、ほとんどはゴミ箱に直行。
だけどコレが漫画だと、つい読んじゃう。
漫画自体も1ページとか、せいぜい4ページとか短いものが多いから、面白そうかどうか判断する前に読み終えちゃう。
そんで「なるほど」とか「面白かった」とか、そういう印象を受ければ、その楽しかった余韻で隣りの解説ページも、つい見ちゃう。
わかりやすかったから、じゃないんだ。
楽しかった、面白かった、ウケたから、解説も見てやる気になるんだ。
わかるのは、それから。
漫画はわかりやすいんじゃないのよ。
漫画は「とっつきやすい」のよ。
他の方法のほうがわかりやすくても、それでは読まない。
だから、わからない。
一方、漫画なら読まれる。目を通してもらいやすい。
だから、わかる。正しくは少しだけわかる。
ちゃんと解説したときほどには、漫画ではわからないのよ。
なんせキャラとかストーリーとかギャグとか、広告的には余計な要素がすごく多いんだから。
同じスペースで伝えられることは、どうしても少なくなる。
だけど、ゼロよりはマシ。
ようするに、クスリをジュースに混ぜて飲ませるようなモンなのよ。
普通の方法なら錠剤1つを飲めば済むんだけど、それでは飲んでくれないからジュースに溶かす。
溶かすには一定量のジュースが必要で、2グラムくらいしかない錠剤を溶かすために300ccのジュースがいる。
そういうコトなんだと思うの。
なので、広告情報の密度で言えば、漫画は効率が悪い。
漫画にしないで、普通に広告を打ったほうが、わかりやすく、より多くの情報量を盛り込めるのは間違いないんだ。
そういうことを踏まえた上で、ほっといたら飲まない客を何とかするために広告漫画があるんだ。
その「とっつきやすさ」で、ゼロをイチにするために。
なので、漫画で広告情報の全部をフォローしようとすると、かなり効率が悪いの。
仮に倍に薄めなきゃならなないとしたら、普通にやったら1ページで済むことにページを割かなきゃならないってコトだもんね。
それだけ予算も労力もかかる。しかも回りくどい。
「わからせる」「ちゃんと伝える」を目的にしちゃうと、漫画はトンデモなく非効率的なのよ。
しかも「漫画でわからせるために必要なページ数」を用意できないケースのほうが圧倒的に多いしね。
ジュースの量が、クスリを溶かすには足りないの。大抵はそうなるの。
それでチグハグな広告漫画が多くなるの。
溶けきれないクスリが見えちゃっていて、漫画にならないんだよね。
だから企画段階で、どんな人たちに伝えるのかを明確にイメージして、どれだけ薄めるべきかを考えなきゃいけないのだ。
不純物を多くすればするほど、より多くの人を狙えるけれど、本来伝えたかった情報量は低下する。
不純物を減らせば、その分だけ情報の質は上がるけど、狭い範囲の人しか反応しなくなる。
100%の濃さの広告なんてモノはない。それでは、その道の専門家しか振り向かない。
広告する必要のない人しか反応しないの。それじゃ何の意味もないのよ。
ターゲットが誰かをしっかり考えて、ちょうどいいバランスを目指さなきゃいけないんだ。
広告効果につながっていれば自由に描ける
そういうわけで、ボクは広告効果と情報量のバランスを色々考えて、最終的に「わからせる」を捨てた。
元々、広告漫画はとっつきやすいだけで分かりやすくはないんだから、それなら「とっつくこと」「興味を持たせること」「本文を読んでもいい気にさせること」だけに集中することにしたんだ。
つまり、弱点をカバーするより長所を伸ばすほうを選んだの。
弱点は漫画じゃない広告部分でカバーしてもらえばいいや、と。
これは先の4コマ漫画連作も、その後の色々な漫画も全部そう。
ボクの漫画では、教えようなんて気は全然ない。
解説シーンはあるけど、それらはソレらしく感じさせるための、いわゆるシズル感ってヤツでしかないんだ。
漫画はツカミ。
授業の前に、先生が脱線話をして生徒の注意を引きつけようとするのと同じ。
つまりはキャッチコピー。手間のかかったキャッチコピー。
そういう考え方で、ボクは保険漫画を手掛けた。
読者を引き込む。それだけを重視する。
あらゆるコトは、その後の解説を読ませるための布石。
これは、とても上手くいった。
ギャグで気持ちをほぐしたりもできるからね。
その気がなかった人でも、つい先まで付きあっちゃうんだ。
そして解説がしっかりと、読者をさらに深みに引き込むように編集されていれば「やっぱり保険に加入しておいたほうがいいかも」と思う人も出てくる。
興味の喚起→理解→欲求の芽生え→契約あるいは購入……というステップの、最初の入口をつくる。
キッカケを生み出す。そこが漫画の仕事なの。
興味を持たせるってのは、ものすごく強力なんだ。
150ページくらいしかない教科書は1年経っても覚えないクセに、その4倍はブ厚いゲームの攻略本はあっという間に暗記しちゃったりするもんね。
アイテムの種類とか、その組みあわせとか、ワールドマップとか、ユニットごとのアレコレとか、とにかく何でも覚えちゃう。
ヤル気があるってのは、本当に強い。「やらなきゃ」とか「やりなさい」じゃなく「やりたい」が常に圧勝なの。
だから読者をそういう心理に、ホンのちょっと近づけることができれば、広告漫画としては大成功なんだ。
ハナシを聞いてもいいっていうお客を連れてきたぞ。これで売れないなら、それはアンタの売り方がマズイか、商品自体に問題があるんだ。
そう言えちゃうもん。
そういうわけで、ボクは読者を楽しませる広告漫画をたくさん描けた。
ゾンビやランプの魔人が出てくるわ、悪の怪人やスーパーヒーローも出てくるわ、リヴァイアサンを召喚するわ、深海魚が舞い踊るわ、タイムスリップするわ、そりゃもうドコが保険漫画やねん! ってなモンで。
そんだけ自由にやれたのは、それがちゃんと広告効果につながっていたからだ。
結果が出ていれば、広告主も広告会社も認めてくれる。任せてくれる。
広告だってコトを理解した上で、広告としてどういう役目を果たせばいいかを押さえた上でなら、広告用でも自分もノッて描ける楽しい漫画を手掛けることもできるんだよ。
ずっと、そういう漫画を描きたいって思い続けてきたけど、それがようやく実ったという感じだね。
この保険広告会社とは10年近く取引が続いた。
社長さんが会社を創業し、躍進して社名変更し、本社を移転して、やがて「別な事業」を目指して会社を次の人に手渡すまでずっとだから、ほとんど丸ごとお付き合いしたことになる。先のオプショナルツアーの会社と同じような展開だよね。
今でもツイッターでフォローしあったりしてるから、今後も何かで思い出してくれて、またボクの出番があるかもしれないし、それ以前に「手渡された次の人」からも漫画の広告を頼まれているから、母体や経営者がどう変わろうが事業自体が存在していれば、ボクにとっては何の変わりもないんだよね。
5年に一度、年に一度でもいいんだ。
そういう縁を積み重ねて、全体としては毎年、毎月、何かがあるという状態になっていれば、それだけでやっていけるのよ。
そして、そういう中から「そのときだけではない作品」が生まれてくることもある。
広告用に描いたのに、広告漫画の枠を超えて広がっていける作品がね。
※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。









うるの拓也












