漫画家ってかなり特殊な職業だと思う
そんなコト知ってるよと総ツッコミされそうだけど、ここではあえて、ドコがどう特殊なのか、改めて確認しておきたいのよ。
知ってるのと本当に実感しているのは全然別なことだからね。
どこにも所属できないのが漫画家
漫画家というのは基本的に「個人事業主」だ。
これ、プロを目指す若い人の多くが「そりゃそうだ」とわかっていながら、それがどれだけ無茶でオソロシイことなのか、ピンと来ていないケースが多い気がする。
例えば、ボクが属する広告の世界でも、会社を辞めてフリーランスになるデザイナーは珍しくない。
だけど、それは「会社を辞めて」なのだ。
学校卒業して、そのままフリーという例は(ないわけではないけど)とても少ない。
当初から「ゆくゆくはフリーで」と計画していたにしても、まずはどこかのデザイン会社なりに就職し、仕事のしかたなどを身に付け、コネクションも育て、下準備を十分にしてから独立というのが普通なのだ。
ところが漫画家は、その「まずは就職」が不可能に近い。
出版社でデビューして連載する場合でも、ボクのように広告漫画を手掛ける場合でも、いずれであっても就職はまずあり得ない。
この世界に長くいるけど、社員として漫画家を雇う会社なんて聞いたことがないもん。
いや、漫画広告を売り物にしている会社はあるよ。
でもデザイナーやプランナーや営業マンは雇っても、漫画家やイラストレーターは雇わない。
外部の「個人事業主である漫画家」に外注するだけなんだ。
これはちょっと考えればアタリマエのことだ。
最近はほとんどの広告のどこかに、漫画もしくは漫画的なイラストが使われていることが多いのだけど、それでも広告全般として考えれば、様々な表現・演出の1つでしかない。他のグラフィック(写真とか)でも広告は作れるんだから。増えたといっても、仕事全般の中では、やっぱりレアな職能なのだ。
そんなレアな機会にしか役立たない社員を固定給払って雇うなんてコストの無駄。
短期的な契約社員ならあるかもしれないけど「漫画家で正式社員」は、まずないと考えたほうがいい。
現代では、就職できない(所属できない)職業というのは、とても少ないと思う。
スポーツ選手だって、どこかのチームに所属したり、企業の社員という立場を与えられていたりする。
現役引退した場合も、例えばゴルフのレッスンプロ、コーチ、スポーツインストラクターといった道がある。
どこの街にもスポーツジムやフィットネスクラブがあるしね。
芸能人だって、今はほとんどがプロダクションの「社員」だ。
社員ではない場合でも、劇団などに所属しているケースが多いでしょ。
かつては「個人でやるしかなかった職業」でも、今は「どこかに所属してやっていく」のが普通になってきているんだよね。
でも、漫画でそういうのって、まずないでしょ。
連載作家だって、その出版社に所属してるわけじゃないもんね。
つ~か連載っていうのは、1回ごとの日雇いがずっと続いてるような感じだと思うんだ。
少なくともボクのときはそうだったな。
いついつまでとか、契約期間なんかなかった。
だから、あるときバッサリ。
こっちがまだまだ続けるつもりで描いていても、そんなの関係なく、突然切られる。
専属契約している場合は少しマシかもしれないけど、それだって所属しているのとは違うだろうし、ずっと続くわけじゃないでしょ。
結局どんな状況だろうと、漫画家には所属してやっていくような受け皿ってないんだよね。
漫画家だったことを生かして別な職業に就くというのなら、いくつも可能性を考えられるけど、漫画をメインにやっていくのなら個人業しかない。
ツブシが利かないんだよね。
しかも多くの漫画家は、デビュー時には若い。
ロクな社会経験もないままに、普通の会社員よりずっと厳しい「個人事業主=自分で自分の経営を律していかなくてはならない」となってしまう。
これは小説家なども同じだと思うけれど、漫画家とは決定的にちがう部分があると思うんだ。
小説は一人で書けるもん。
漫画だって一人でもやれるけれど、かつての1960年代から70年代頃の漫画や、あまり緻密な絵ではないギャグ漫画などならともかく、現代の、しっかり描き込まれた作品を、単独で描いて毎週の締切に間に合わせるというのは、かなり無茶なことだ。
だからほとんどの漫画家がアシスタントを雇わざるを得ないわけで、個人事業主というよりも、いきなり会社経営者になるようなモノかもしれない。
漫画家って、こういう部分がフツーじゃないって思うんだ。
一般的じゃない職業の中でも、かなり一般的じゃない部類だと感じるの。
※追記
漫画家として、そこそこの実績を上げていれば、先々では所属先がないとは言えない。例えば、漫画を教える専門学校や大学講師などだ。
実はボクも大学講師をやったことがある。ゲスト講師として数年招かれた後に、レギュラーの講師(非常勤講師)として授業を受け持ってくれと頼まれて、これも経験になるかなって思って引き受けた。
だけど非常勤講師のギャラって、信じられないほど安いのよ。
カリキュラム考えて、資料をつくって、課題も出して、成績もつけなきゃならない。学生たちに対する責任があるんだ。ゲストでテキトーに喋ってりゃいいときとは全然違うわけで、当然ながら、その責任に見合ったギャラが支払われるもんだと思ってた。
ところが、毎週2単位、90分ずつ受け持っても、月収2万円ちょっとにしかならないのよ。ゲストで年に1~2回やってたときは1回7~8万円だったのに、もっと責任が重くて、拘束時間も長くなったのにギャラは4分の1。唖然としたよ。資料作成だの、教えるための自分の勉強だの、学生一人ひとりへの対応だの、やらなきゃいけないこと全部から考えたら、時給700円にもなりゃしないんだから。
いやぁ、学校の先生って大変なんだなぁって思ったよ。非常勤講師で生計立てて家族養っていこうと思ったら、どんだけ働かなきゃなんないんだろ?
漫画ばっかり教えていられる漫画専門学校ならソレ専属でもやっていけるかもしれないけど、色んなカリキュラムの一部だけを請け負うようじゃ、とてもやっていけないわ。
それでも引き受けちゃったからにはやるしかないんで、1年間だけは一所懸命やった。2年目は断った。もう、最初に始まった時点で断った。こんなこと何年もやれるわけがないもん。
結局その年は、講師やるために本業をセーブしたりしなきゃならなかったから、差し引きで考えたら百万単位の売上減になっちゃったよ。いやぁキツかった。
自分を信じるのは正しいけど、根拠にはならない
作品が売れてヒット作家になってしまえば、こういう心配はどうでもいいのかもしれない。
出版社側でアレコレ面倒見てくれたりもするだろうし、そもそも編集者たちは、漫画家という人間の扱いを心得ているから、そうしたケースにも慣れている。
漫画家が個人的事情でトラブって執筆が進まないようでは出版社も困るんだから、売れている限りは漫画さえしっかり描いていれば、それ以外は何とかする、というところまでお世話してもらえるんじゃないかな?
いや、ボクは売れてなかったから経験がなくて、はっきりはわからないけれど。
ただ、どっちにしても、それは「そこそこ売れてから」だろう。
そうなるまでは、あんまり構ってもらえないハズ。
結局、自分の経営は自分でやらなきゃならない。
オレの漫画は面白いはずだ、次回作はきっと売れると信じていても、その次回作が世に出るまで生き抜けなきゃ何にもならない。
え? 自分はちがう?
自分の漫画は絶対に面白いから、きっと売れて成功するはずだ?
うん、それはそうだろう。ボクだってそう思ってる。
投稿したり持ち込みしたりする人の多くは、そう思っているんじゃないかな。
そう思うからこそプロを目指すわけだし。
でも実際には「オレはやれる、売れる」と信じている人のほとんどは、期待したほどには売れずに苦労しているのよ。
自信を持つことは大事だけど、それと「リスク対策」は全く別のことだと考えるべきだと思うよ。
ボクがデビューしたとき、月例賞の応募者は毎月平均して千人以上だった。
1つの雑誌で年間1万人以上の応募者(実際には重複も多いだろうけど)がいるのだ。
そういう漫画雑誌がたくさんある。
その全部が毎月千人じゃないにしても、それでも年単位ですら数万人のライバルがいるのは確実だろう。
各社の漫画賞には大賞、入選、佳作、努力賞など、いくつか受賞対象があって、1つの応募ごとに数名がプロ予備軍となれる可能性がある。
ボクのときは同時に受賞したのは3人だったから、確率的には1000分の3、0.003%ということになる。
これは、あくまでもプロ予備軍になれる可能性で、プロとしてやっていける可能性じゃない。
そういうことを踏まえた上で……現在、雑誌で継続的に連載している漫画家を、あなたは何人くらい知っているだろう?
100人言えたら相当の漫画ファンだと思うけど、それだって世の中にいる漫画家のホンの一部でしかない。
雑誌で1年、2年と連載できる人は、ホンの一握り。
10年20年となれば、宝くじ1等当選より低い確率かもしれないよ。
しかもヒットした作品の多くは長期連載だ。
昔の漫画は、長編でもせいぜい10巻程度までが多かったけれど、今は100巻(続編などのシリーズ累計も含むとして)を超える作品すらゴロゴロある。
これは、それだけ新人が雑誌に登場できるチャンスが減っているということだ。
先の0.003%は、実は0.00003%くらいだと思ったほうがいいかもしれない。
漫画に専念して生活者として成り立つようにするのは、かくも厳しい。
ヒットして一安心できるのは、オレはイケルと信じている人の中の、数万人(もしかしたら10万人以上かも)に一人でしかないと考えるべきだろう。
※追記
もっと言うと「かつての人気漫画」も、恐ろしいライバルとして立ちふさがり続けている。有名作品のリメイク、続編は数多い。元々の作者ではない誰かが描いていることも多い。つまり、先輩漫画家が例え故人となったとしても、その席は空かないのだ。新人が自分のオリジナルで勝負できるフィールドは、本当に狭い(いや、著名作品のリメイクだって描き甲斐はあると思うんだけどさ)。
宝くじに当たる前提で人生設計するのはオカしくない?
とにかく、それなりの成功者になれるのは数万人に一人という世界なのだから、トンデモなくリスキーなのだということは理解すべきだ。
そして……連載を勝ち得て、一定の人気も得たとしても、実は安心できないらしいんだ。
ボクは何度か、ボクよりもずっとキャリアのある漫画家さんから売り込みメールをもらったことがある。
お仕事ください、というメールだ。
持ち込みにいらっしゃった方もいる。
中には、びっくりしちゃうようなキャリア(アニメ化、実写化などのレベル)のある方もいた。
そういう方でも、仕事がなくて困ってしまうことがあるらしい。
他にも、子供の頃に夢中になって読んだ作品の先生が、今ではとても苦しい生活をされているといった事例もたくさん見聞きした。
どうやら1回ヒットを飛ばしたくらいでは、全然安心できない世界だと思ったほうがいいようだ。
しかも、たった1回のヒットですら至難なのだから、漫画家になって成功して、自分と家族を生涯にわたって養っていくというのは、本当に大変なことだと思うしかない。
……と、オドすようなことを書いているけど、それでもボクは漫画家を目指すことは素晴らしいと思っている。
リスクがどれほどあろうが、やりたいものはやりたいのだ。
チャレンジもせずにあきらめたくはない。
宝くじ並みに低い確率でも、インチキでない限り誰かは当たる。
その確率を自分で引き上げることだってできる。
なにより、こんなにやりがいのある仕事は、滅多にないとも思っている。
ファンの子と出会ったときの、あの感動。
キラキラした目で、ボクを見つめてくれる。
漫画の内容を丸暗記している子もいて「第○巻の○○ページのネタが……」とか言ってくれたりする。
ゴメン、そのネタは覚えてるけどページ数までは、ボク覚えてないや(笑)。
でも、かつての自分がそうだったように、今、目の前にいる子はボクとボクの作品に憧れてくれている。
それをビンビン感じて「うぉおおお! キミのためにボクは頑張るよ! ありがとぉおおおっ!!」って本気で思えるときの、あの気持ちっていうのは、ナニモノにも代えがたいボクの宝だ。
ボクくらいの無名漫画家ですらそうなんだから、これが何百万部も売れている先生だったら、どれほどのものなのやら想像がつかない。
本当に、漫画って素晴らしいって思うんだ。
ただ、どんなに素晴らしくても、その感動の感情パワーだけで生きていけるわけじゃない。
漫画家という仕事が素晴らしいからこそ、それを維持する工夫は必要だとも思う。
一般的な職業と同じように考えていると危ない仕事だから、目指すならリスク対策も考えたほうがいいとは思うんだよ。
つまり漫画家になっても、なかなか売れないときにどうするか、ということだ。
プロになるというのは「生活者になる」ということだからね。
宝くじに当たったときの心配は、しなくていいと思う。
問題は当たらなかったときのことで、そっちに対してはちゃんと対策を立てておかなきゃならない。
どんな職業を選んだって、多少のギャンブル性はあると思うけど、宝くじに当たることを前提に人生設計するのは間違っている。
当たるつもりでやるにしても、当たらないときのことをちゃんと考えておかなきゃダメだと思うのだ。
事業から逃げ回ってみたんだけど……
かくいうボクも、こういうことをあまり考えないで漫画家になった。
事業主なんだから事業しなきゃならないのはわかってたんだけど、正直「事業」とか「経営」とかってのがピンと来なかった。
でも、ずっと「見ないことにしておく」わけにもいかなくなって、フリーランスとして独立したとき(漫画家デビュー時じゃなくて広告業者として独立したとき)に、事業計画書なるものを作った。
でも今にして思えば、アレは「どうやって事業から逃げ切るか」を考えただけだった気がする。
考えなきゃいけないことを、考えたくなかった。
とにかく経営なんかやりたくない。
漫画家は、漫画のスペシャリスト。
経営のコトは経営のスペシャリストがやるべきで、門外漢がやったってロクなことにならね~だろ、と思っちゃう。
自分で経営するなんてコワイ。
事業主なのは確かにそうだろうけど、ボクに「事業」なんかやれるわけがない。
仕事はするけど事業はしたくない。
そういうのは誰かにやってもらいたい。
そう思って「経営」や「事業」から逃れようしてアレコレ足掻き続けてきた。
そして失敗し続けてきた。
ボクは漫画家デビューした20歳のときから、ずっと個人業をやってきて、2016年現在で約31年になる。
でも、本当に個人だけでやってきたわけじゃない。
実は、ボクのキャリアの半分は「会社員」との兼務なのだ。
最初に会社員になったのはデビュー直後。これは1年で辞めている。
読切描いたり、ちょっとした連載をもらったりしていたけど、人並みの生活を満喫できるっていう程ではなかったから、会社勤めもしていたという感じ。
2度目は24歳のときで、3年半勤めた。
この会社で本格的に、広告デザインと広告業というものを学んだ。
この3年間が、その後のボクの核になっている。
最初から「広告業界で漫画をやっていく」と決めて入社し、今日までずっとソレをやっているからね。
このときから広告と漫画が1つになったんだ。
当時はまだバブルで、バカな広告企画でもけっこう売れた。
その上、入社した会社には漫画に理解のある上司がいたから、ボクは広告と広告漫画の基礎をしっかりと作ることができた。
その後、27歳のときに広告漫画と広告デザインを請け負うフリーランスとして独立し、以来、現在までずっと個人業を続けている……んだけど、個人を続ける一方で会社にも所属していたりしたんだ。
合計5つの会社に各1年、6ヶ月、3年、3年、3年だから、最初の2つも合わせると、通算では7つの会社で合計15年の会社員生活をしていることになる。
常に個人業と兼務だったので個人業歴30年には違いないんだけど、会社員やってるときは、個人業のほうは開店休業に近い状態(どうしても会社のほうを優先せざるを得ないからね)だったから、実際には会社員と個人業を交互に繰り返していたようなモンだった。
最初の2つの会社はともかく、独立開業してから会社に所属したのは「自分のやりたい仕事以外」から逃げるためだった。
漫画の仕事でもデザインの仕事でも、とにかく漫画だけ、デザインだけに集中したい。
創作、制作だけをやっていたい。余計なコトはしたくない。
そう思ってた。
毎月決まった額面のお金をもらえて、先の読める生活ができるというのも魅力ではあったんだけど、それよりも作品を作ることだけに集中したいって気持ちが大きかったの。
仕事好きだから見張ってなくてもバリバリやるし結果も出すように頑張るから、その代わり制作以外のコトは、誰かソレが好きな人がやればいいじゃん、と。
そういう考え方だったんだよね。
特に面倒くさいのが、営業活動だった。
つまり売り込み。
いくら仕事したくても、自分に何ができるのかを多くの人に知ってもらって、しかも魅力を感じてもらわなきゃ仕事は生まれない。
当時はインターネットもない時代だったから、どうしても自分で動いて営業しなきゃならない。
けど、ボサボサ髪でTシャツ姿の頼りなさそうなヤツが「ちわ~す、漫画いかがですか~?」と、フツーの会社やお店に声を掛けて回ったところで変人に思われるだけで、そうそう売れるもんじゃないんだよね。
だから独立当初のボクは、主に広告制作会社や広告代理店にターゲットを絞って売り込んでいた。
そういう会社なら、漫画で広告を作るというのを広告企画のバリエーションの1つとして扱ってもらえる可能性があるからね。
(その頃のボクは、自分の屋号を「イニット」と名乗っていた。これは当時のMacコンピュータの機能拡張ファイルのことで、つまり「御社の機能拡張としてボクを使ってみませんか?」という意味だ)
ただ、それでもやっぱり営業は嫌だった。
漫画のコトなんかロクに知らない人を相手に、アレとかコレとかソレとか、漫画家同士や編集者相手なら言うまでもないことから説明しないと売り込めない。
うまく売り込めた場合でも、理解してくれたわけじゃない。
彼らは利用したいだけで、漫画の専門家になる気がないからね。
どんなに説明しても、あくまでもそのときだけだから本気では聞いてくれないんだ。
だから疲れちゃって、気力も萎えてくるの。
そういうときに、社員に誘われたりするとフラフラっとね。
最初は漫画広告なんか胡散臭いと思ってた代理店でも、それが上手くいってクライアントに誉められたりすると「イケるじゃないか。他の客にも提案してみようか」となる。
そして積極的に扱っていくのなら、アイツを社内に抱え込んじゃったほうがいいんじゃないかと考えて「社員になってみないか」と声をかけてくれるの。
ボクの会社勤めは、ほとんどがこのパターンなのよ。
ただし、漫画をアテにされて社員になったときでも、漫画家の肩書きで雇われたことはない。
会社勤めのときの肩書きはグラフィック・デザイナーだったり、プランナーだったり、WEBプロデューサーだったりした。
社長という肩書きだったときもある。
代表権のない「取り締まられるだけの社長」だったけど。
とにかく漫画家というのは1度もないんだ。
というより、漫画だけしかやれなかったら、そういうことにはならなかっただろう。
漫画は色んな広告企画の1つに過ぎない。
1度ウケて上手くいった客でも、毎回漫画の広告を採用してくれるわけじゃない。
裏技みたいなモンで、漫画じゃないフツーの広告を手掛けることのほうが圧倒的に多いんだ。
だからレアな機会にしか使えない人間を社員として抱え込むなんて、まず考えられない。
1年間給料払っても、実質2~3ヶ月分しか働かせられない可能性のほうが高いんだから。
漫画専門の代理店になりたいと思うような会社なら別だろうけど、そんなモノズキは滅多にいないし、1度や2度上手くいったくらいで調子に乗って専門家を自称するようなお調子者ではアブなくて、こっちも付きあえないしね。
ボクの場合は、漫画以外に広告デザイン、WEBデザインなどもやれたから社員に誘われたんだ。
色々やれて、オマケに漫画までやれる。
あくまでも漫画はオマケだったと思うんだよね。
そして、ボクのほうも営業の大変さにいつもヒーコラしてたから「こんなに大変じゃ割が合わないし、いっそ会社に入って、ソコで自分の仕事を作り上げていくほうがいいのかも」と応じて、社員になるんだ。
オマケ上等。今はそれでいい。
けど、やがてはオマケどころじゃないモノにしてやる。
内側から変えてやる。
アチコチに声かけて回るより、ここを自分に都合のいい場所に変えてしまうほうが効率がいいハズだ。
今に見てろよ、ふっふっふ。
ま、そんな腹黒い考えだったわけ(笑)。
最初は上手くいくけど、歯車がズレていく
ボクが何を企んでいようが、会社が期待してくれていようが、自分の思惑通りにコトが進むとは限らない。
でもコトが進まなかったら会社に勤めている意味がない。
収入のことだけじゃないからね。
自分のやりたいことをやるためなんだから、ソコがズレちゃったら、会社員なんかやってられなくなる。
だから、会社に入っても個人業の部分は手放せなかった。
世間には副業禁止の会社も多いけど、ボクの場合は、何らかの腕を買われて会社に招かれるカタチだったから、副業(ボクにとっては本業)を認めてもらえたっていうのもある。
会社の仕事に支障がない範囲での個人業を認めてくれるなら入社します、ということで納得してもらえたの。
とはいえ、会社に入るときは、いつもソコに骨を埋めるつもりでもあったよ。
そこが自分のベストプレイスになってくれて、居心地良くやりたいことをやらせてくれる場所になるように願った。
そうなるために、会社の仕事に打ち込んだ。
アレもやる、コレもやる。
そして漫画もたまにやる。
それを繰り返して、ちょっとずつ自分の場所に変えていく。
本気で頑張るから、いつも最初は上手くいくんだ。
根っこが漫画家だから、デザインするときもフツーのデザイナーと違うアイデアを出せたりするし、漫画も、漫画自体が売れなくても、そういうコトもできるというカードを見せ札として使えるだけで、広告営業が有利になることもある。
そして客が興味を示したら、本当に描ける。
そんなわけで、入社2年目くらいまでは思惑通りに行くことが多かったんだ。
けど、その後に陰りが出てくるの。
必ず、そうなっちゃうの。
会社っていうのは、利益を上げることが目的。
仕事は、利益に達するための手段に過ぎない。
ところがボクは、最初からソレが逆転しちゃってるんだ。
もちろんボクだって利益は出したい。
ボクは強欲だから、そりゃもぉデッカい利益を出したいのよ。
切実にソレを願ってる。
でも、それでも利益のためにやりたいことを犠牲に出来ないのよ。
やりたいことをやった結果として利益が出てくれることを望むだけで、利益だけが目的じゃないの。
むしろ目的は、やりたいことをやり続けることのほうなの。
普通の会社員とは手段と目的が逆転しちゃっているんだよね。
そんな具合だから、どうしたって組織とはズレちゃうんだよ。
最初は上手くいく。
会社のほうも、ボクみたいな奴を雇うってことは、これから新しいナニカにチャレンジしていこうとしている時で、ようするに、その新しいナニカではまだ利益が出てない段階なのね。だからボクがとても頼もしく見えるのだろうし、ボクのほうも水を得た魚のようにバリバリやれる。
けれど、利益がハッキリと見え始めた辺りから、少しずつ歯車がズレていく。
多くの人っていうのは、頑張って戦って土地を手に入れたら、そこを耕して収穫を得て、豊かで穏やかな暮しを続けたいって思うものなんだ。
もちろん、それは正しいと思うんだけど、ボクみたいな人間はそこで止まれないのよ。
なんせ戦い自体が目的なんだから。
土地を手に入れたのは、次にもっと大きな戦いをするため。
豊かな暮しを求めるのも、兵站がしっかりしてないと困るから。
次の戦いも、その次も、全てはさらにデカい戦いのためにやってること。
どんだけ戦っても、血を流しても、それでも戦いに魅せられちゃっていて、戦わずにいられない。
どこまでいっても絶対に満足しない。
戦い続けたいの。
敵を両断したいの。
頭から血を浴びたいの。
殺すために殺したいの。
もっと、もっと、もっと。
……そんなヤツにマトモな領民がついてくるわけがない。
当然ズレる。ハミ出す。
いや、本当に殺し合いをしたいわけじゃないからね。
でも、商売の上での戦いってコトなら、体力が続く限り、いつまでも戦っていたいのが本音。
だから戦乱の時代にはチヤホヤされるのよ。
で、平和を勝ち取る、もしくは勝ち取れそうになると邪魔者になっちゃうんだ。
会社や他の社員たちの変化に合わせて、自分を調整していける人なら自分のほうを周囲に合わせるのだろうけど、ボクみたいなヤツは、それができない。
自分が変わってしまった場合でも、やっぱり合わせられない。
だって、やりたいことにしか力を出せないんだもん。
正しかろうが間違っていようが、とにかくやりたいことしかできない。
他人に合わせるなんて無理。
意地でも、やりたいことで結果を出すしかないの。
だからまた同じことをやる。
今度こそ。
この会社となら最後までやっていけるハズだ。
もしもズレが起きたとしても、そんなものボクが補正してやる。
そう思って、懲りずに別の会社に所属するのだけど、いつも蜜月関係は長続きしない。
どんなに「ここで止まるなよ! この先にもっとデッカいモノがあるんだよ! そこに行こうぜ! きっと行ける、届く。何があろうとオレが届かせてみせる。だから止まるなよ! 食っちゃったメシなんか忘れてくれよ!」って叫んでもダメなのよ。
元々の目的が違うんだから。
結局「ボク個人の夢」っていう部分を捨てない限り、組織ではやれないんだ。
でも、それだけは捨てられないんだ。
だって、そこがクリエイターってモノだから。
クリエイターというのは「創作業」だ。
創作である以上、それが漫画であれデザインであれ、ボクの作るものはボクという個人に依存している。
広告物の機能としては、別な人が作った別なモノでも、それはそれでちゃんと機能すると思うから、自分でなければといった思い上がりはしていないつもりだ。
けれど、それでもボクの作品はボクにしか作れないというのは間違いないし、ボクがボク以外の誰かの作品を作ることもできはしない。
つまり個人を切り離しようがないんだ。
だから、どこに所属していようが常に個人なんだ。
組織の一員となったからには個人のアレコレは我慢してねと言われても、それができない。
クリエイターは、どうやっても狼なんだ。
犬にはなれない。
自分のイメージを形にしたいというのが全ての元にある。
あてがわれた餌では満足できない。
己の牙と爪で捕まえた獲物を食らいたい。
コレ、どうしようもない本能なのよ。
逆らえない血の渇望なのよ。
でもソレを、普通の人は恐れる。
だから、ズレてハミ出すのは必然なんだよね。
人を当てにしてないで自分でやれと叱られた
ボクは、こういう展開になることを最初から薄々感じていたと思う。
だからこそ、個人業をやめないことにこだわった。
どこかでダメになりそうだと不安だったから「個人」を手放せなくて、そのせいで、なおさらズレる。
そんな感じだったように思う。
それで会社を辞めて、するとまた自分で営業しなきゃならなくなる。
会社でやってるときは個人の営業は止まっているも同然だったから、再開してもスグに仕事になるわけじゃない。
ゼロに近いトコからやり直すようなモノ。
だから苦労する。
すると面倒くさくなって嫌になり、そのうち、またどこかの誘いに乗って……を繰り返す。
そしてまた、ズレてハミ出す。
ボクってアホだよな~。
そんなコトを30代半ばまでずっと繰り返してたんだから。
しかも自分では、その状態を変えることができなかった。
わかっていても、ついつい「楽に見えるけど絶対に楽にはならない方向」に行ってしまうんだ。
今度こそ誰かが何とかしてくれるんじゃないかって、すがっていた。
自分にしか作れない家を求めてるクセに、自分で建てようとせず誰かが建ててくれるのを待っていたんだ。
そんなボクに喝を入れてくれた人たちがいた。
色んな仕事で知りあった人たち。
お客さんだったり、仕事の関係者だったり、同業の先輩だったり。
そういう人たちが、口を揃えたように同じことを言った。
自分でやれ。
いつまでも人を当てにしてないで、自分でやれ。
アンタには力がある。
それはアンタをずっと見てきたから、わかる。
でも、その力はアンタ自身でないと引き出せない。
誰かにくっついている限り、アンタの力は生きない。
誰かの道具になるだけだ。
それが幸せな人もいるだろうけど、アンタはダメだ。
アンタは、アンタの道しか歩けないヤツだ。
どんなに自分をゴマかしても無駄だ。
アンタはアンタの道に戻ってしまうに決まっている。
だから自分でやれ。
もう逃げ回るな。
逃げても逃げ切れはしないんだから。
これは、今までで一番ドン底だったときに言われた言葉だ。
一字一句、この通りだったわけじゃないけど、ボクが全てに絶望して、何もかもオシマイ、もう自殺しようと思っていたときに言われた。
言うだけじゃなくて、色々な支援もしてくれた。
それで一気に立ち直ったわけじゃないのだけど、それでも死ぬのは思いとどまることができて、半信半疑のまま自分でやるようにしてみたら、本当に何とかなった。
本当に、誰かじゃなくてボクに、ボクがやりたいと思い続けてきた仕事を任せてくれる人々が現れた。
そうしてボクはようやく、自分で事業主をやっていくつもりになれた。
それまでもフリーランスはやっていたけど、事業主じゃなかった。
事業ってモンから逃げ回っていたから。
でも、自分でやってみたら、逃げてたときよりもラクになったんだ。
自分のやりたいことも続けていけるようになった。
やりたいことを評価してもらえるようにもなった。
正しくは「評価してくれる人と出会えるようになった」かな。
他人任せだと、自分とズレてる人とばっかり出会っちゃうんだよね。
そういうことだったんだと、ようやく気付いたんだ。
今でも自分でやるのは面倒くさいし、実はやれてないこともたくさんあるから、代わりにやってくれる人がいたらいいなと思うことはある。
それでも開き直ることはできた。
やれるように努力はするけど、やれてない自分も受け入れちゃう。
そうやって、いつかやれるようになるか、やれないまま乗り切っちゃうか、どっちでもいいやって。
やれなかったことでしっぺ返しを食らうかもしれないけど、それも仕方ないやって。
そこまで思うことができると、やれなかったこともやれたりするのよ。
逃げ切れないなら戦うしかない
漫画家は、漫画家を本業とする限り、就職して働く道はほぼゼロの職業だ。
だから事業主であることからは逃げ切れない。
ボクは、そんな当たり前のコトに気付くまで、20年以上かかった。
だから、他の人には言っておきたい。
例えちゃんとやれなくても、事業主であることに向きあっておくことを。
やれなくて困ることも多いだろうけど、それでも、やれることをやりながら自分の道を歩く。
誰かの道じゃなくて自分の道を。
そうやっているうちに、何とかなっていくと思う。
若いうちからそうしていれば、ボクよりずっと楽だろうとも思う。
どんなに逃げても、どうせ追いつかれちゃうんだから、それなら抵抗力があるうちに戦ったほうがいいんだよ。
疲れ果ててヨロヨロになってから戦うのはキツイからね。
※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。