広告漫画家物語07:絶望と再起

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すべてが消える、すべてが終わる

 大手企業との契約は夢じゃなかった。

 でも、その数日後、総務を担当していた社員から、恐ろしいことを報告された。

 開発元のシステム会社から、ボクたちとの関係を断つと言ってきた、と。
 ボクたちは蚊帳の外。何の恩恵にも預かれない。

 そんなバカな。

 今までずっと一緒にやってきたじゃないか。
 成功したらみんなで山分けだねって言い合ってきたじゃないか。

 裏切り?
 いや、そんなハズがない。あの人はそんな人じゃない。

 直談判してやる。これは何かの間違いだ。そんなハズないんだ。
 ボクはクルマを飛ばして、システム会社に駆け込んだ。

 そしてトンデモないことを知る。

 ウチの社長が、資金の使い込みをしていたのだ。

 既存の客が支払ったグループウェアの月額使用料。
 それは、こっちの利益分を差し引いた上でシステム会社に支払うべきものだ。
 ところが、それを1年以上も払っていなかったというのだ。

「やっぱり、うるのサンは知らなかったんだね。普通なら、支払いが止まったところでサービスも止める。でも、うるのサンとは長いつきあいだからね。止めたら困るだろうと思って、そのまま使わせていたんだ。そもそも、実際に使っているお客様はちゃんと払っているのだからね。
 でも、いくら催促しても、そっちの社長は払ってくれないままだった。
 今回の大手との契約は、あのグループウェアそのままというわけではなく、アレをベースにカスタマイズしたモノの話だ。つまりウチのシステム開発力自体を買ってくれたということだ。だから厳密には、うるのサンたちは部外者になる。
 でも、それはうるのサンたちがグループウェアの販促に励んでくれたおかげだ。
 私はビジネスを重んじる。ビジネスにこそ、情が、信義が必要なんだ。
 だからこそ今回の契約でも、うるのサンたちを含んだ契約としてもらえるように先方に申し入れていた。それが契約条件だった。そして、そういう契約ができそうだと、そちらの社長にも伝えた。これまでの分を振り込んでくれれば、これからも事業パートナーとして認めると言ったんだよ。
 でも……それでも振込みはなかったんだ。連絡すらも……だから……」

 怒鳴り込んだつもりだった。頭に血が上っていた。
 それがすうっと引いた。

 そういえば、1年ほど前から社長は浪費が酷くなっていた。
 再婚し、自宅を改築し、新車を買っていた。
 ウチはすごい、儲かってるぞと、浮かれているようにも見えた。

 確かに業績は上がり続けてきただろう。
 でも、まだまだ小さなモノで、ただの過渡期だったはずだ。浮かれるような段階じゃなかった。
 それなのに何かを掴んだかのように浮かれる姿に、不安を感じていた。

 あの頃から使い込んでいたのか。
 あの程度で満足してしまったのか。そろそろ、いい思いをしてもいいと思ってしまったのか。

 経理を担当していた者が、突然倒れて救急車を呼んだことがあったのを思い出した。
 大したことはなく点滴を受けて戻ってきたが、そのときにボヤいていた。

「電話があったんです。これまでも何度も掛かってきて、その度に謝って、胃が痛くなって……とうとう今日は……電話番号の表示を見て同じ相手だと思ったら、気が遠くなって……」

 借金があるらしい。あくまでも社長の個人的な借金だ。
 それを会社に押し付けているというのか。

「それだけじゃないんです。子供のオムツ代まで会社の伝票で処理しろって……。そんなの無理に決まってるのに……社労士さんや税理士にも注意されるんですけど、それでもやれって……」

 あのときボクはあきれ果てたが、それでも経理の彼を慰めただけだった。

 もうちょっと我慢していてくれ。
 嫌なコトは、終わる。ボクが終わらせてみせる。
 手が届くところまで来ているはずなんだ。だから辛抱してくれ。

 そう言った。
 それが甘すぎた。

 辛抱なんていう段階じゃなかったんだ。
 社内で隠しておけるレベルじゃなくて、こうやって取引先やお客まで巻き込んでいたとは。

 ボクは、システム会社社長に土下座した。
 本当に申し訳ない。ボクらのことなんか見捨ててくれていい。

 そう言うしかなかった。
 あのときの惨めさ、情けなさは、今でも忘れない。

 またしても、失った。
 届くはずのものに届かなかった。

 戻ったボクは、使い込みしやがったバカを呼び出して、怒鳴りつけた。

 なんてバカな真似したんだ。
 ほんのちょっとの我慢すら出来ないのか。それでも経営者か。
 社員や客や取引先の信用を台無しするのが経営者なのか。

 彼は逆上した。
 出ていけ。二度と顔を出すな。

 ボクもそのつもりだった。

 自分の荷物の全てをまとめて、クルマに積んだ。
 一度には運べない量だった。

 自費で買った資料や機材。この数年間に注ぎ込んだもの。その残がい。
 この全部を使って打ち込んだモノは消えた。
 何もかもがなくなった。

 最後に、経理の者や、部下たちに声をかけた。

「今までご苦労様。社長とやりあってたのは聞こえていたよな。ボクはもう二度とここには来ない。客や取引先を騙すようなコトの片棒はかつげない。お前らも辞めるべきだ。ここにいれば巻き込まれるぞ」

 彼らは黙ったままだった。

「そうか。なら好きにすればいい。もう会うことはないだろうけど……」

 その通り、その後ボクは、当時の仲間たちと二度と出会っていない。

 会社は、ボクが離れた数ヶ月後に様々な問題が明るみに出て消滅し、残った者たちのその後の消息はわからない。
 ただ、10年近く経ってから一度だけ、あの社長が別な会社から訴訟を起こされて逃げ回っているらしいと、先のシステム会社社長から情報を聞いたことがあるだけだ。

 一方、システム会社のほうは大きな取引をモノにして、自宅兼事務所から、一気にお台場の一等地にオフィスを持つ有力会社へと飛躍していった。

 ボクらは今でも、何年かに一度くらいは会う。笑って話し合える。
 けれど、あの頃の話をすることはない。

絶望:もう何も残っていない

 ボクは全てを失ったと思った。

 成功させるために私財まで注ぎ込んでしまった。
 だから文無しに近い。

 社長はボクを何が何でも解雇扱いにすると言い張った。
 社労士が依願退職扱いにすべきだと助言しても聞き入れなかった。
 アイツの職歴に汚点を作ってやる。そう言ったのだそうだ。

 ムカついたけど、もう顔も見たくなかったから、間に立ってくれた社労士さんにはそれでいいと答えた。
 解雇なら待機期間なしで失業保険がもらえるしね。

 ただ、それで娘の治療費を賄えるわけではなかった。
 治療を止めるわけにはいかない。治るまで払い続けるしかない。
 なのに、あと数ヶ月……いや2ヶ月と待たずに払えなくなりそうだった。

 なんとかしてお金を作らなきゃならない。
 けれどボクがやってきたコトは、すぐにお金になるようなコトじゃない。
 信用を積み上げて、ようやくお金になる。そういう仕事のしかたをしてきたつもりだった。

 頼みの綱は信用だけ。
 それを失った。
 もう、お金は作れない。

 せめてフリーランスとしての取引先だけでも確保しておけば、そちらに掛け合って仕事をもらえた可能性もあった。

 けれど、グループウェア事業を成功させるために、それに打ち込んでもらう代償として、ボク個人の客も、あの会社に差し出してしまっていた。
 もうボクの顧客ではないのだ。

 当てが、何もない。
 それでも娘は見捨てられない。

 死のうと思った。
 死ねば保険金が入る。そうすれば、妻がパートで働けば娘が大人になるまで持つだろう。
 そして、それまでには病気も治る。

 生きて、再起して働き続ければ、いつかはそれ以上を稼げるだろうとは思ったけど、カネがいるのは今なのだ。
 全てを賭けたモノを失った以上、今すぐにお金は作れない。
 気力も萎えて、絶望していた。前を向いて立ち上がろうなどとは考えられなくなっていた。
 死ぬしかない。それしか家族を救えない。
 ボクはそう思ったんだ。

 どうやって死のうか。痛いのや苦しいのは嫌だなぁ。
 そんなコトを考えながら、カミサンに話した。
 彼女は、死ぬなら自分が死ぬと言い張った。

 死んだときにもらえる保険金額は自分のほうが少ないけれど、それでもアンタが再起するまでは持つはず。
 アンタは再起すれば、きっとまた何かができる。可能性を持っているのはアンタのほう。だから死ぬなら自分だ。

 冗談じゃなかった。
 そんなコト絶対にさせられない。
 自分が死ぬのは自業自得だけど、家族を死なせるなんて絶対にできない。
 けれどカミサンも一歩も引かない。
 とうとう、どっちが死ぬべきかで夫婦げんかになった。

 そんなときに、あのシステム会社社長から電話がかかってきた。

差し込む光:その1

 ちょっと会わないか。

 恥知らずなコトをして迷惑をかけたのはコッチだ。合わす顔がない。
 それでも、会いに行った。

 きっと怒っているだろう。
 だからこそ、会わなきゃならない。謝らなきゃならない。
 土下座1回くらいで済むことじゃない。
 死ぬ気になっているんだ。何を言われても構いはしない。

 訪ねていくと、彼は笑顔で迎えてくれた。
 そして1枚の紙を差し出した。

「urutaku・com」というドメインがプリントされている。

 以前ボクが、いつか独立したら取得しようと言っていたドメインだ。
 名義はボクの名前になっていた。

「大変だったねぇ。こんなコトになるとは。こうなったのには私も責任がある。だから、うるのサンのためにサーバとドメインを用意した。代金は払ってあるから、5年間は無料で使える」

 言葉が出なかった。

「大変だったろうけど、私は、むしろこれはいい機会だと思う。うるのサンは力はあるんだから、自分でやるべきだ。誰かと組むんじゃなくて自分でやるんだ。きっと、やっていけると思う。私も応援する。だから自分で立つべきだ

 ここは思わず、泣くところだよね。

 でも泣かなかった。
 泣けないほど空虚になっていたんだ。

「ありがとうございます。でも考えさせてください……」

 ものすごくありがたいことを言ってくれたのに、ボクはそれに応える気になれなかった。
 彼も、それ以上は言わなかった。けれど、ドメインをプリントした紙だけは、しっかり持たされた。

「いつでも、使える。使わなくても5年間はそのままだ。使いたくなったら使えばいい」

 それだけを言われた。
 ドメインやサーバがあっても、何にもならない。
 本当に必要なモノはもうないんだから。
 ボクは終わっている。
 再起したところで、家族の命には間に合わない。

差し込む光:その2

 数日後に、また電話があった。
 以前にホームページを担当していた建設会社社長からだった。

「辞めたと聞いた。事情も知っている。それでだ、実はウチの会社の離れが空いている。使う予定もないから、そこを丸ごと使ってくれていい。家賃はもちろん、電気も、ガスも、水道も、電話やネット接続も、全部ウチが持つからカネは一切かからない。ただ、今まで通りにウチのホームページの面倒は見てくれ。前の会社は関係ない。オレはアンタに任せていたんだ。これからも任せたい

 信じられないような申し出だった。

 でも、これもまた即答はできなかった。

 甘い話には罠がある。裏がある。ずっとそうだった。
 罠でないにしても、やはり事務所があっても仕事があるわけじゃない。
 自分はゼロだ。サーバやドメインや事務所があったとしても、ゼロなボクに誰が仕事を出す?
 それに、もう一度同じ目に遭うのは嫌だ。こんな甲斐のない生き方はもう続けたくない。
 やっぱり死にたい。死んで楽になりたい。

 引きこもった。
 最後の時間だと思った。邪魔しないでくれ。ほっといてくれ。

 けれど、訪ねてきた人がいた。

差し込む光:その3

 市町村ホームページをやっていた頃に、一緒に企画を考えてくれた女性のコピーライターさんだった。
 ボクよりずっと年上で、フリーランス。
 ボクと出会った頃は、コピーライターというよりもプランナーと呼ぶべき仕事のほうが多かったと思う。

 若い頃は雑誌の編集者だったという。
 手塚治虫の担当になったこともあるそうだ。
 テレビ局に勤めていたこともあるらしく、業界人らしい言動を聞くこともある。

 彼女は、目先のことに囚われない。
 市町村のホームページを考えるときも、その地域の地勢、歴史などまで調べ、現代の状況と照らし合わせ、問題点や課題を洗い出し、その町が目指すべきアイデンティティを打ち出すところから取り組む。

 発注書や仕様書では、そんなコトまで求められてはいない。
 それでも彼女はソコからやる。ナニが書いてあろうが縛られない。
 やるべきこと、その意義。
 それを見据えて、指示に従うだけでなく、こちらから提案していく。

 だから、時にはあっと驚くようなアイデアが出てくる。
 予算100万以下のWEBサイトの企画に、地域を丸ごと変えてしまうようなスケールの大きなネタが書かれていたりするんだ。

 そういう彼女の提案を、ボクがデザインに落とし込む。
 そして彼女と一緒に、プレゼンなどに赴く。

 気難しそうな役人たちを前にしてボクが緊張していても、彼女はいつも通りだった。
 自分の考えを述べ、それに基づいた企画内容を語る。
 先方が驚くほどに地域の問題点や魅力も把握しているから、できることだ。

 時に激高する人も出る。
 彼女の考えが、仕様書で指示されたスケールに収まっていないからだ。
 飛躍しすぎだ、条件を無視するな。

 それでも彼女は、一歩も引かない。感情的にもならない。
 冷静に、自分の意見を述べ、気持ちも伝える。

 しっかりした理屈を持ちながら、理屈だけで論破したりはしないのだ。
 静かだけど燃えてもいる。その熱気は、隣りに座っているボクにも伝わってくる。
 本当にね、ゾワっと来るんだ。彼女は静かに座っているだけなのに。

 そして最後は、役人たちも彼女を認める。
 企画じゃなくて、彼女の人間に惚れ込む。
 そういうシーンを何度も見た。

 今はできないということと、目指すべきコトは別のこと。
 できないことをやろうとするのはバカだけど、志は捨てちゃダメ。

 帰りのクルマの中で、彼女はそう言って笑った。

 彼女と一緒に手掛けた仕事の勝率は、必ずしも高くない。
 発注側が彼女のスケールを理解できないことも少なくないからだ。
 プレゼンに勝つというだけなら、ボクのほうが上だったと思う。

 けれど、彼女の意見が受け入れられたときには、ボクには到底届かないモノが生まれた。
 それは、まさにコンテンツだった。創作だった。

 仕様書通りにやるだけでは絶対に届かない場所。

 彼女はいつもソコを見ている。ソレが見えている。
 当時のボクらが連戦連勝だったのは、陰で彼女が見守ってくれていたからだ。

 ボクは彼女に憧れた。
 心酔していたと言ってもいいかもしれない。

 彼女は勝つためだけに仕事していないんだ。
 お金にも執着してない。

 もちろん、筋は通す。
 不当な賃金を受け入れるなんてことは絶対にしない。

 でも、カネのためだけに力を出す人じゃないんだ。

「面白いからやるのよ。仕事は楽しまなきゃ。自分が楽しんで、それが周囲の人のためにもなる。そういうことを仕事と言うの」

 そういう人だから、大勢に慕われていた。
 あちこちの会社から顧問とか相談役とかの肩書きでウチに来ないかと誘われていた。

 それでも「私はフリーがいいのよ」とケロっとして、誘いのあった会社たちの面倒を見る仕事をしていた。
 それも謝礼程度だ。もっと稼げるだろうに、そういうことには無頓着なのだ。

「本が好きなように読める。それだけで十分でしょ」と。

 男女平等なんてコトバがない時代から、バリバリ戦ってきたハズだ。
 悔しい思いもたくさんしたに違いない。
 けれど、彼女はそれを笑い飛ばす。
 今も決して裕福じゃないはずなのに。もっと楽をして、もっと贅沢になれるはずなのに、そうしない。
 それでいて誰よりも豊かに見える。
 いつも自由で、ケラケラと笑い、飄々としている。

 そんな人がボクを訪ねてくれた。

 カミサンが心配して連絡していたようだ。
 ボクが素直に意見を聞く唯一の人だと思ったのだろう。

 落ち込んでいたボクを、彼女は一喝した。

「あんたねぇ、そろそろ自分でやりなさい。あたしはコピーライターだから、誰かや何かのセールスポイントを見つけ出すのが仕事。そのあたしの目から見て、あんたは売れる。だけど、あんたの売り方をわかってない人に任せているうちはダメ。
 あんたはまだ本気で戦ってない。面倒から逃げ回ってるせいで、自分の力を生かしてない。甘え続けている。もう、自分でやりなさい。
 上手くいかなくなってピンチだと思ってるようだけど、あたしに言わせれば、あんたのピンチなんかピンチじゃない。あんたはまだ、何も失ってない。やるべきことをやってないだけ。あんたはやれる。やれば、きっと次が見えてくる」

 何も言えなかった。
 ボクは彼女がどんな苦労を乗り切ってきたかを知っている。

 旦那さんとは早くに離婚して、育ち盛りのお子さん二人を抱えて、年収が200万以下でしかなくて、それでも授業参観や学校行事を欠かしたことはなく、ノドから手が出るほどお金が欲しいハズの状況でも、筋の通らないことは頑として認めなかった。

 そして、そうしていたからこそ、彼女の魅力をわかっている人たちは離れなかった。
 だから貧乏でも彼女は落ち込まず、いつも溌剌と笑っていた。
 彼女はボクにとって「カッコイイ大人」そのものだった。

 そういう人に「お前のピンチはピンチじゃない」と言われちゃったら、返す言葉が無い。

 自分でやりなさい。

 それは、先のシステム会社社長にも言われた言葉だ。
 建設会社社長も、似たようなことを言っていた。
 そして彼女まで。

 みんなが、同じことを言う。
 ボクに何かができると思っているのか。本当にそうなのか。

 何も失ってない?

 いや、失ったはずだ。
 長年頑張って集めた取引先は、もういない。
 何をどう考えたら「失ってない」になるんだ?
 ボクはちっぽけだ。空っぽだ。
 それなのに、どうしてみんなボクに期待するんだ?

光はもう見たくない。光を信じるのが怖い。

 彼女が帰った後も、ボクは悶々としていた。

 ただ、少しだけ気持ちはラクになった。

 死ぬのはやめよう。
 死なずにやっていくことくらいは、できそうな気がする。
 考えてみりゃドコカの会社に就職できるかもしれないもんな。

 就職しちゃえば、ボク自身のやりたいことはできなくなるかもしれない。

 でも家族を守ることのほうが大事だ。
 娘の苦しむ姿は、もう見たくない。
 アレに比べたら自分の夢なんか、どうなっても構わない。

「自分でやる」というところまでは、思い切れなかった。

 だって、何もないんだもの。
 また何かを作ったって、きっとまたブチ壊す。
 そうに決まっている。

 求人誌を買い、何社かに電話した。
 訪問して面接を受けたりもした。

 2社ほど、いい手ごたえの会社があった。
 30代半ば過ぎての再就職はキツイ。
 採用してもらえそうというだけでも御の字だ。

 けれど、2社共にしっくりとは来なかった。
 何かが違う。自分とはズレていると感じて、返答を保留した。
 保留しているうちに、話は立ち消えになった。

 一日も早く収入を得られるようにならなきゃいけないのに、自分の中のナニカが引っ掛かって決断できなかった。

 ナニカの正体は知っている。
 でも、それを見ないようにしていた。

 自分がやりたかったモノは、すでに消えてしまったハズだ。
 妥協しなきゃ。あきらめなきゃ。
 自分は大したコトができる人間じゃない。これまでの失敗だらけの人生が、その証拠だ。
 できもしないことを追いかけちゃダメだ。

 そう思っているのに、いざとなるとナニカが顔を出す。
 あきらめなきゃいけない自分の邪魔をする。

 そしてまた、電話が掛かってきた。

 4回目の、そしてコレが決定的な電話となった。

差し込む光:その4

「週末にイベントの打ち上げがあるんだ。来るよな?」

 当時ボクは、とある音楽イベントに関わっていた。
 ボランティアでやっているイベントで、年に1回、真夏に野外音楽ライブをやる。

 ボクはそのスタッフだった。
 それほどヤル気があったわけじゃない。
 取引先の1社がイベントの代表者で、営業上の付き合いで関わることにしただけだ。

 デザインや漫画はともかく、音楽のことはよくわからない。
 だからイベントのホームページを作ってやったりしたくらいで、大したコトはしていない。

 そして、その年のイベントには顔を出していない。

 イベントのための打ち合わせは、例年春先から始まる。
 毎月1回集まって、それぞれの担当を割り振り、進捗を報告しあう。

 途中までは出席していた。
 けれど、今回の出来事が起こってからは、一度も顔を出していない。
 再三電話はあったのだけど、その全部を無視していた。

 落ち込んでいて気乗りしないというのもあったけど、本当は、現地までの、わずかな電車賃すらなかったからだ。
 片道500円。それが払えなかった。
 家計を管理しているカミサンに言えば出してくれただろう。
 でも、言えなかったんだ。
 情けない自分を見られたくなかったんだよね。

 だから今回も断るつもりだった。

 けれど、どうしても来い、という。
 かなり強硬な口調で、今年のイベントをすっぽかしてしまった手前、断りきれなかった。

 打ち上げには会費もかかる。
 お一人様三千円。

 恥を忍んでカミサンに打ち明けた。
 往復千円の電車賃を含めて四千円をもらった。

 これを使ってしまうのか。今はそれどころじゃないのに。

 強引に呼びつけたイベント仲間を恨めしく思った。
 こんな惨めなボクを呼び出して、さらし者にするってのか。
 ちくしょう。行ってやる。もう、どうなったって知ったことか。

 打ち上げ会場では、みんなが楽しそうに飲み食いしている。
 会費はしっかり取られた。
 ボクは黙って隅っこに座っているだけだった。

 いつもなら、みんなと話す。
 でも今は、そんな気分にはなれない。
 むしろ、楽しそうな連中が腹立たしく感じた。

 やっぱり、こんなモンだ。来なきゃよかった。

 時間が過ぎて、打ち上げも終わろうとしている。
 大半の者は、このまま二次会に行くのだろう。

 例年ならボクもソコにいた。
 今年は行かない。行けない。
 そしてたぶん、もう二度と来ない。

 いたたまれなくて、こっそり帰ろうとした。

 電話してきた代表者が、ボクを呼び止めた。

 くそ、見つかってしまった。
 きっと二次会に誘う気なのだろう。誘っても無駄なんだよ。
 もう、ほっといてくれよ。そう思った。

 彼は、人だかりから少し離れた場所にボクを誘うと、一通の茶封筒を差し出した。

「無理に誘って悪かったね。事情はみんな知っている。知っているからこそ呼んだんだ。諦めずに頑張るんだよ。そうそう、これはみんなからのカンパだ。これまで無料で作ってくれたホームページ代だと思えばいい。持って帰ってくれ」

 なんと言っていいか、わからなくなった。

 頭を下げて、会場を出る。
「また来年もやろうね」
 そういう声を背中で聞いた。その声から逃げるように、ボクは外に出た。

 速足で遠ざかり、駅の近くまで行ってから、ネオンの下で封筒を覗いた。
 10万円入っていた。

 ボクは泣けてきた。
 何かも知っていたんだ。

 知っていて、呼んだ。
 平等な仲間だと思うから、会費もしっかり徴収した。
 そういう筋は通した上でコレだ。

 たまらなかった。
 黙ってサボり続けて、イベント当日にも顔を出さなかったというのに。

 代表は小さな布団屋のオヤジだ。
 今どきは郊外の大型ホームセンターに押されて、決して羽振りがいいわけじゃない。
 他の人もそうだ。
 それなのに、ボクなんかを気遣ってくれた。

「また来年もやろうね」

 ボクに来年があると思ってくれている。
 みんなが、そう思ってくれている。

 本当にあるのかもしれない。
 あるのなら、掴みたい。夢を捨てなくて済むなら、そうしたい。
 あの人たちと、これからも付きあいたい。

再起:待っていてくれた人たちの元へ

 イベント仲間との打ち上げの翌朝、建設会社社長に電話した。

 事務所を借してください。

 システム会社社長にも電話した。

 ドメインを、サーバを使わせていただきます。

 前の会社から運び出したままになっていた機材を、新しい事務所に運び入れた。

 物置のようになっていた場所だと聞いていたが、行ってみると片づけられていた。
 たくさんの荷物はあるものの、仕事をするスペースはキチンと空けてある。
 荷物運びを手伝ってくれた社員に聞くと、数日前に社長が片づけておくように指示していたのだそうだ。

 四畳半の別室もあって、そこには布団も用意されていた。
 夜遅くまで泊まりの仕事になることもあるだろうから、と。

 気遣いが嬉しかった。

 この社長も、ボクが必ず来る、もう一度やると思ってくれていた。

 何か、熱いものがこみ上げてくる。

 パソコンを立ち上げ、メールを設定する。
 システム会社社長から贈られた、ボクのドメイン。ボクのメールアドレス。
 まず、以前に取引のあった人たちに、挨拶のメールを送った。
 最初にすべきことだったけど、ボクは自分のコトでいっぱいになっていて、そんなコトすらしてなかったんだ。

 突然消えてしまって、申し訳ありませんでした。
 そういう謝罪のメールをたくさん送った。
 イベントの仲間たちにも送った。

 数日後、電話が掛かってきた。

 以前に何度かお会いした、とある大手企業の部長さんだ。

 接待のゴルフコンペで茨城のゴルフ場サイトを利用し、そのサイトが気に入り、それを作ったのがボクだと調べ上げて連絡してきた方だった。
 その後、その会社の仕事を担当させてもらうことになったが、プレゼンまでで止まっていた。

「あの会社とは別れたんだってねぇ。いや、メールをもらうまで知りませんでしたよ。けどね、私たちは会社に頼んでいたんじゃない。アナタに頼んでいたんだ。これからも頼みたいんですよ。フリーランスでやるのですよね。なら、近々ウチにも来てください。プレゼンで止まっていた件も仕上げてもらわなきゃならないし、他にも任せたい案件があります」

 他のメールの返信も届いた。

 イベント仲間を含む、これまでに知りあった数多くの中小企業さんからだった。
 どの人も、先の部長さんと似たようなお返事をくれた。

 会社じゃなくてアナタと付きあっていたつもりだ。
 独立したというのなら、それで構わない。今まで通りにやってほしいだけだ。
 とりあえず、すぐに大きな仕事はないが、名刺とかハガキとか、細かいモノならある。
 額面は小さいが、独立のご祝儀代わりに引き受けてくれ。

 そういうオーダーが、あっという間に100件を超えた。
 1つ1つは1万円にも満たないけれど、全体では100万円。
 宙ぶらりんになっていた大手企業の案件は200万円近い額面だ。

 奇跡のようだった。娘の治療費の心配もない。
 まさに元気玉だ。
 みんながオラに元気を分けてくれた。

「何も失っていない」は、本当だった。
「自分でやりなさい」も、本当だった。

 会社の仕事をしてると思っていた。
 けれど本当は、ボクはボクの仕事をしていたらしい。
 みんなはソレを見ていた。見ていてくれた。

可能性は奪えない、奪われない

 ようやく、わかった。

 ボクはクリエイターだ。自分の頭の中身を売っている。
 それは誰にも奪えないんだ。
 失うことがないモノなんだ。

 売ってきたモノ、買ってもらっていたモノは、会社でもサービスでもなく、自分自身だったんだ。
 自分では気付いてなかったけど、ボクは自分を売っていた。
 出来上がったモノは「結果」に過ぎなかったんだ。

 考えてみればアタリマエのことだった。

 請け負う契約をする段階では、まだモノはない。
 これから作るのだから。

 けれど、売買契約をするときにモノが存在しないというのはヘンだ。ツジツマが合わない。
 つまりナニカがある。お客は、そのナニカを買っている。

 それは可能性だ。
 結果に届く可能性をお客は買っているのだ。

 その可能性とは、ボク自身のことなんだ。

 お客はボクに賭けている。
 賭けに勝つかどうかはわからない。
 いい結果につながらなかったコトは何度もある。
 それでも、こうしてお客たちはボクに期待してくれる。

 次こそ勝つだろう。いつかは勝つだろう。
 そう思ってくれてるんだ。

 なら、本気で走るだけだ。勝つために走るだけだ。

 コピーライターの彼女がそうだった。

 勝てるかどうかはわからない。やってみなきゃわからない。
 それでも勝つ気で走る。どんなに可能性が小さくても、やるからには勝つ。勝つための道を探す。
 負けるつもりでは決してやらない。だから、みんなが彼女に期待するんだ。

 ボクも同じだ。
 彼女を見習い、追いかけてきたんだ。
 彼女の域には達してないけど、いつか追いつこうと思い続けてきた。

 それは伝わる人には伝わる。
 伝わる人に伝わりさえすればいい。

 自分は自分の味を売ればいいんだ。

 他所の店の味に合わせることはない。
 他の味のほうが売れたとしても知ったことじゃない。

 自分の味を好きになってくれる人に、全力で応えるだけでいいんだ。
 それがどんなに少数だって、自分と家族が食っていける程度にはなる。
 そうであることは、今回のことでハッキリしてる。
 ボクはボクの味に自信があるわけじゃないけど、それでも買ってくれる人たちがいるんだ。
 それで十分じゃないか。

 小さな仕事がどれほど大事か。それもわかった。

 何千万、何億の仕事じゃなくてもいいんだ。
 小さな力しか集めていない元気玉は『ドラゴン・ボール』では最大最強の技だ。
 きっとそれは、小さな力の1つ1つをしっかりと受け止めているからだ。
 集まった大きなモノじゃなくて、その元である小さくて大きなモノ。
 それを大事にするからこその必殺技。

 奇跡は起こる。

 それをボクは二度も体験した。

 娘のときは、全国のお医者さんたち。
 次には、ボクがナメていた小さなお客さんたち。

 娘を救ってくれた人々に恩返しもせずに死ぬなんて、バカげている。

 世の中には、ちゃんと善意がある。
 普段は感じなくても、いざってときに、それはとてつもなく大きなモノになって姿を見せる。
 大きな災害などのときに、ボクらはそういう光景を何度も見てきたじゃないか。

 ならば、何も恐れることなんかないんだ。

 そもそも日本は、そう簡単に破滅できない。
 どこかの国みたいに死体がうち捨てられたままになっていたりはしない。
 誰かが倒れていたら救急車が呼ばれ、病院に運ばれ、治療され、食事も与えられる。
 例え、その人が文無しでもだ。

 そして、その後も保護される。
 その人が保護を受けなくてもやっていけるようになるまで。
 色々問題もあるけど、基本的にはそういうコトになっている。

 どうにもならなくなったら、家族みんなで人通りの多い場所に行って倒れりゃいいんだ。
 そうすりゃ少なくとも娘は救われるはずだ。
 逮捕されちゃったとしても、それはそれで救いだ。

 どんなに悪くなっても、可能性だけは途絶えない。
 自分があきらめない限りは。

 なんだ、怖くないじゃないか。
 やれるとこまで、やっていいんじゃないか。

(「広告漫画家物語08」につづく→)

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。

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