広告漫画でオリジナル作品って、やっぱ無理かな?
全然無理じゃないよ。
ここまでの各項でも度々触れたけど、ボクは全然広告っぽくない「これは自分のオリジナル作品」って本気で思える広告漫画をいくつも手掛けてきた。
言っとくけど、ボクはネームバリューなんかないからね。
基本的に無名。
コネもないし、お金はもっとない(笑)。
基本的に裸一貫。
だから著名な作者だからやれるんだっていうことじゃないよ。
まぁ、そういう作品をやれる機会が多いわけじゃない。
仕事の9割は、皆さんがイメージするような、いかにもな広告漫画。
それらも自分の作品には違いないから自分なりに工夫して描いているけど、自分の思いとか、自分なりのテーマとかを思う存分盛り込めるわけじゃないので、そのへんは広告は広告だよね。
でも、そういう仕事を続けている中に、ポコっと、自分の思いをそのまま描かせてもらえる機会が訪れたりするんだよ。
広告漫画でオリジナルを描いた例:その1
広告漫画なのに、限りなくオリジナル作品に近い例として「広告漫画でNGなジャンルや表現は?」で紹介した幕末歴史漫画を紹介しよう。
色んなことに配慮して描いたのは「広告漫画でNGなジャンルや表現ってある?」の記事中で触れた通りだけど、ストーリーそのものは、ボク自身のテーマが色濃く出たオリジナル作品になっている。
主人公は、歴史なんか何も知らない陸上部(長距離ランナー)の女の子だ。
大事な大会で転んで恥をかいて、やる気を無くし、大好きだった部活もやめてしまった子。
元々は元気いっぱいだったのに、今はちょっと落ち込み気味。
そんな子が、幼なじみの誘いで歴史部へ。
暇つぶしのつもりだったけど、地域の歴史を知っていくうちに、先人たちも恥をかき、それでも立ち上がり、未来を目指していたことを知る。
歴史の多くは悲劇で終わる。
それでも、その悲劇の先に「今」がある。希望がある。
そうした歴史の積み重ねの上に自分もいる、自分も歴史の一部なのだと気付く。
いいか悪いかじゃない。
うまくいったかどうかでもない。
立ち上がること、生きること。
歩み続けること。
それだけで、過去のバトンを受け取って未来につなぐことができる。
それに気付いた主人公は再び陸上部に戻り、元気を取り戻していく。
……とまぁ、こんなお話を描いたわけ。
幕末歴史漫画なのに、あらすじだけ書いたら幕末も歴史もほとんど出てこない。
依頼された幕末史はたっぷりと盛り込んだけれど、ボクが描いたのは、依頼条件には全く含まれていなかった「現代の一人の女の子が立ち直っていく物語」なんだ。
言いたかったコト、描きたかったコトを上手く描けたかどうかは微妙だけど、それでもボクはボクのテーマに挑み、ボクの主張ができたとは思っている。
立派なオリジナル作品でしょ。
広告漫画でオリジナルを描いた例:その2
同じく、過去の実際の出来事を描いた、これもご当地漫画な作品もある。
ボクは生まれも育ちも茨城県土浦市で、今もそこで漫画の仕事をやっているけど、かつての土浦、霞ヶ浦湖畔には、かの「予科練」があり、1929年に世界一周の旅に出た史上最大の飛行船「ツェッペリン伯号(LZ-127)」が来訪しているのだ。
当時、土浦の料亭には軍の将校が滞在することも多く、山本五十六が滞在した部屋なども当時のままに残されている。
そんな店の坊主は将校たちに可愛がられていた。
そして運命の日。
来訪したツェッペリン伯号を歓待する宴席が、料亭で開かれる。初めて見た飛行船に圧倒された坊主は、仲の良い将校の計らいで、こっそり飛行船に乗せてもらえることになる。もちろん非公式なことだから、公式史料には記載されていない。
でも事実なのだ。
証拠写真もドイツに現存している。
飛行船に同乗していたカメラマンが撮影したもので、飛行船内に着物を着た日本の少年がいることがはっきりとわかる。
その後、坊主は成長し、料亭を継ぐが、その時のツェッペリンの思い出を忘れることができず、店内に私設の飛行船博物館を造るなど、生涯を飛行船の思い出に捧げた。
一方、飛行船の生まれ故郷ドイツでも、数十年の時を経て、最新テクノロジーで生まれ変わった「ツェッペリンNT号」が誕生する。
そして時を隔てた思いが、現代で巡り合う。
年老いた坊主は、70年の果てに憧れに再会し、それが街の活力に、さらにはドイツとの友好へと広がっていく。
ボクは、ひょんなコトでこの料亭のご主人のインタビューに同席し、この物語に感動した。
そして漫画にしたくなった。
オーダーを受けたのではなく、ボクが描きたくなったんだ。
それで勝手に描いた。
広告とか広報とか意識せずに、料亭の親父の思いをボクなりの解釈で描いたんだ。
それと、幼い坊主に飛行船を見せた将校の思いも。
軍人、それも将校クラスだから、戦争の空気をひしひしと感じていたはずだ。
幼い子供は守るべきものであり、未来を託す希望でもあったはず。
そんな思いを抱いていたからこそ、本来は許されていない民間人の子供を乗せてあげたのではないだろうか。
時代を、歴史を受け継がせたい。手渡したい。
そう思ったんじゃないだろうか。
先の幕末漫画と同じで、そうした物語の上にボクらはいる。
いつかボクらも歴史になって、次の時代へとつながっていく。
そのつながりを、描きたかった。
広告のことも広報のことも考えずに描いた作品(漫画家だって市民なので、漫画家にできる市民活動をやろうと思った)だったんだけど、描くには料亭を含め、飛行船の関係者、研究者、ファンなど、多くの方にご協力をいただき、そのおかげで、この作品は土浦市市制80周年の記念出版となった。結果的に広報漫画=仕事となっちゃったの。
これは普段から広告・広報の仕事で地域の人々とつながりがあったからで、実を言えば最終的には「そうなる可能性」を見込んでやっていた部分もあったんだ。それでも自主活動だったから、実際にそうなるかどうかは賭けだったけどね。
完成したときには、かつての料亭の坊主は亡くなっていて、ご本人に読んでいただくことは叶わなかったのだけど、ご遺族や関係者の方々にはとても感謝され、ご遺影にも捧げさせていただいた。
告別式のときにも、あのインタビューのときに、ボクに同伴してもらったカメラマンが撮ってくれた写真が飾られた。
ご遺族の方々は、懐かしい思い出を語っているお顔が一番素敵だと思ってくれたんだ。
思いはつながる。
それをボク自身が一番実感できた仕事だった。
協力してくださった皆さんは、作品そのものには口出しせず、ボクに自由に描かせてくれた。
ま、途中で将校の軍服が実際のモノと違うとわかって全部描き直すとか苦労はあったんだけど、アレは紛れもなくボクのオリジナル作品だ。
広告漫画でオリジナルを描いた例:その3
そして最後に、ボクの代表作『カソクキッズ』。
茨城県つくば市にある「高エネルギー加速器研究機構(以下KEK)」で取り組んでいる高エネルギー物理学を一般の人々に紹介していくという、これは明らかな広報漫画なんだけど、ボクはブツリガクなんか全然知らない。
高校時代、物理は万年赤点。SFの科学考証なんかは好きなんだけど、好きなだけで知識はないんだよ。
そういう人間が物理学の漫画を、それも専門誌にすら出てないくらいの最新科学の世界を扱う。
しかも相手はノーベル物理学賞受賞者を輩出した世界的な研究機関。
普通に考えたら、もう絶対無理なんだけど、ボクは全然気にしなかった。
だって世界的な博士が寄ってたかって原作用意してくれるんでしょ。
原作とまではいかなくてもネタはくれるハズ。
だから知らなくてもやれる。そう思ったの。
そもそもサッカー漫画だってサッカー選手が描いてるわけじゃないし、料理漫画だってそうだもんね。
知らない世界を取材して、勉強して、自分なりに描くことができなきゃ、そもそも漫画家はやれないよね。
それに広告の仕事では、お客になり代わってゴーストライターみたいに、その会社を紹介するコトだってザラ。
ちゃんと取材して資料ももらえるなら、どんな難しいことだって何とかなるに決まっている。
そうじゃないと広告業なんか成り立たないもんな。
だから不安はなかったの。
やれて当然。そう思ってたんだ。
ところが……フタを空けてみると、資料なんか全然届かない。
いや、最初の2話くらいまでは連載がスタートする前の準備段階で進めていたから、それなりに何とかなったのだけど、その後が……。
博士たちだってサボってたわけじゃないんだよ。
ただ色々と、ご本業も忙しいらしくて、しかも小林誠名誉教授がノーベル賞を受賞した直後だったから、広報の人たちも忙しすぎて全然進まない。
でも、すでに連載は始まってるんだから、毎月の締切は迫ってくる。
それでも待つしかない。
でも、待っていたら確実にオチる。
で、ボクは勝手に描いちゃったんだ。
もういいや、やっちゃえ。
KEKの広報がナニを考えてるのかなんかわかんないんだから、ボクなりに調べて描いちゃえ。
間違ってたら後でツッコんでもらえばいい。
描き直しになったとしても、何もしないで待ってるよりはマシだ。
立ち止まってるわけにいかないなら、進むしかないんだ。
そういうヤケクソで3話目を描いちゃったんだ。
ところがソレにOKが出た。
いや、そのまま丸ごとOKじゃないけど。ド素人がウィキペディアや市販の科学解説書を参考に描いただけだから、解釈の間違い、数値の間違い、そういうのは山ほど。
でも、大筋ではOKだったんだよ。
間違っている部分を修正し、新たに教わったコトを描き足して3話が公開され、やがて「ボクが自主的に描いて、ソレに博士たちがツッコミする」「博士たちはボクを支える立場(つまり監修に徹してもらう)」というスタイルが定着しちゃったんだ。
作者が科学を知らないってコトさえも武器にしちゃった。
知っているからこそ、知らない人の立場がわからないってコトがあるからね。
知らない人向けに描くんだから、知らない人が作者で、自分が学んだことをそのまま漫画にぶつけていくというやり方になったんだ。
あくまでも結果的に。
そして予想もしなかった長期連載(通算8年間)に。
むろん、科学広報、学習漫画っていう前提はあるので、何でも好き勝手にやれるわけじゃない。
それに漫画とはいえ世界的な研究機関の公式コンテンツなんだから、科学情報は正確じゃなきゃいけない。
科学考証的には無理があるけど面白いからいいや、というわけにはいかないんだ。
それでもボクは、自分自身が、そして主人公たちが知りたがってること、疑問に感じてることを追いかけて、自由に描かせてもらった。
科学考証には厳しくチェックが入るけど、ストーリーそのものはボクの自由。
ギャグやボケも自由。
時には科学そのものから離れて、キャラクターたちの気持ちを描くエピソードなどもやらせてもらえた。
科学を解説する漫画じゃなくて、科学に親しむ漫画。
そういう作品にできたなと。
広告でも広報でもなく、ボクが描きたくて描いている自分の作品。
広報という役目を果たしつつ、そういうモノに成長してくれたんだ。
ちなみに『カソクキッズ』は漫画を描くことだけじゃなく、打ち合わせも、ものすごく魅力的だったんだ。
毎月、本物の博士たちが何人も集まって、ボクだけのために個人授業をしてくれるんだから。
しかも偉そうに講義するんじゃなくて、漫画そのままにギャグやボケやアニメネタが飛び交う面白トークタイム。
それでいて科学はガチ。
こんな体験した人、人類に一体何人いるのか。
最先端の科学知識をフルに使って「星野之宣さん」や「エヴァンゲリヲン」や「トップをねらえ!」や「機動戦士ガンダム」や「寄生獣」や「機動戦艦ナデシコ」を語ってくれたりするんだよ。
ホワイトボードで、インフレーション理論の根拠になる宇宙マイクロ波背景放射や原始重力波について解説してるトコに「……その図で、イデオンはどのへんにいるんです?」ってボケてツッコむと、すかさずサラっと「ああ、イデオンはこのへんですね」って返してくるんだから。
もう、たまらん。
仕事でやらせてもらってるけど、お金払っても出席したいくらいなんだよ。
(ボクはずっと前から、このミーティングをニコ生でライブ中継したら絶対ウケるだろうなぁって思ってるんだけど、さすがに実現はしていない。世界的機関だからこそ、キチンと精査されてないモノを外に出すわけにはいかんもんなぁ)
……というわけで……。
広告や広報のための漫画の多くは、広告・広報という目的に特化したモノになりがちで、大抵はページ数も少ないから、他のコトに触れる余地もあまりない。
でも、そういう中にも、本気で打ち込めるオリジナル作品あるいはオリジナルに極めて近い作品を描く機会はあるんだ。
ここに挙げた例以外にも、ボクはオリジナルと言える作品をいくつも描かせてもらっている。
そうした作品は、基本的にボク自身に著作権があって、自由に出版することもできる。
オリジナルな作品っていうのは、そういうことを認めてもらえるような関係も作ってくれるんだよね。
いつ、そういう機会に出会えるかはわからないけど、いつもそうした作品にしたいと思い続けていれば、チャンスが来たときに見逃すことはないと思う。
それに短いマンガだって、自分なりの味わいは出せるモンだしね。たった1つの4コマ漫画だって、面白いモノは面白いでしょ。
※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。