広告漫画家物語05:インターネットが救ってくれた命

娘の命を救ったネットの善意
娘が1歳半を過ぎたクリスマス直前のことだった。
ボクが県内初の公共ホームページを作ってた最中のこと。
突然、発作を起こして倒れた。
病院に駆け込んだ。原因不明で、即入院となった。
1分ほどで止まる発作が、約1時間置きで繰り返される。引きつけているので、発作中の1分間は呼吸ができない。
そして止まるとぐったりとする。
そのまま1時間が経ち、また発作が襲ってくる。
そのサイクルを止められない。
もしも1分で止まらなかったら。
呼吸器がつけられ、小さな身体のあちこちに点滴の針が刺された。
治すためではなく、緊急時のためだ。
発作を止める方法はわからない。
カミサンは付きっきりで看病した。
1時間ごとに苦しむ娘。それ以外の時間はぐったりしているだけ。
いつか、止まらなくなるのではないか。
止まるにしても、呼吸が出来ない状態が長ければ、脳に損傷が起こる可能性もある。
そういう恐怖と戦いながら、カミサンは必死に、毎日24時間ずっと付き添い、看病し続けてくれた。
ボクは仕事を続けるしかなかった。
娘のそばにいたかったけれど、治療費を、入院費を作らなきゃならない。
携帯電話を買った。
ようやく持っている人が珍しくなくなりつつあった頃で、でもボクはデスクワーク中心だったから必要ないと思っていた。
でも、今は必要だ。
いつ緊急の連絡があるかわからない。
絶対に聞きたくない連絡かもしれない。
けれど聞き逃すわけにもいかない。
何ヶ月経っても、娘はぐったりしたままだった。
ぐったりしたまま2歳になった。
あんなに笑顔だったのに。もう、あの笑顔は見れないのか。
原因不明? そんなバカな。世界の誰も知らない病気だっていうのか。
そんなハズない。何かあるはずだ。
看病するカミサンだって、限界だ。いつか倒れる。でも倒れるまで止めないだろう。倒れても止めないかもしれない。
それをボクは見てるだけなのか。いくら働かなきゃならないとわかっていても、本当に何もできないのか。
ボクは耐えられず、インターネットで全国の病院のホームページを検索した。
誰もがネットを使っているというほどには、まだ普及していない。けれど百以上の病院ホームページが見つかった。
その1つ1つにメールを書いた。
問い合わせフォームに書き込んだモノもある。
娘の病状、症状、現在受けている処置。全部を書いた。
そして、すがった。
お願いです、どうか娘を助けてください。
当てにはしてなかった。
イタズラだと思われるかもしれないし、所詮は遠く離れた場所にいる医師とは関係ない患者のことだ。
それでも、他にできることはなかったんだ。
ワラにすがる思いでメールを書き続けた。
助けて。助けて。助けて。
返事があった。
それもたくさん。ほとんどの病院から。
専門外の方も多く、応援の声だけというのも多かったが、数十のメールには「こんな検査はしたか」「こういう治療があるよ」という提案が書かれていた。
何人もの専門医が指摘している検査がある。
娘はそれを受けていない。
メールを全部プリントして、担当医に突きつけた。
どうなっている? この検査をなぜしない?
担当医が白状した。その検査が必要なことはわかっていたが、ウチの病院にはその設備がないから、やっていなかったと。
地域最大の病院としてのメンツがあるから設備がないとは言い出せなかったと。
今すぐ、設備のある病院に転院させろ。そうしないのなら、このメールを証拠としてネットに公表する。裁判所にも突き出す。
そう迫った。
その日の夜、娘は別の大学病院に移った。
ぐったりしたままの娘を抱き、これまでのカルテを持って、大学病院に入った。
待合室に担当らしい初老の医師が、看護師と共に出てきた。
すぐにまた、発作が起こる。見ていられない。
けれど医師は落ち着いて様子を見ると、看護師に何かの検査を指示した。娘を抱いて、看護師が出ていく。
そして医師はボクらに向き直って笑った。
ボクはカッとなった。
あんなに苦しんでるのに笑うとはなんだ!
あの子の、ボクら家族の苦しみを笑うとはなんだ!?
思わず医師の胸ぐらを掴んでしまった。慌ててカミサンや両親がボクを取り押さえた。
医師は黙ってボクを見つめていた。そして、もう一度微笑んで、検査を見に行った。
翌日、検査の結果を受けて、新しい薬が点滴された。
そして、あれほど続いていた発作がピタッと止まったんだ。
このときになって、ようやくボクは、あのときの笑顔はボクらを安心させるためのものだったことに気付いた。
安心しなさい。任せておきなさい。きっと助けるから。
先生は、そうおっしゃっていたんだ。
ボクは慌てて一番高いウイスキーを買いに行ったよ。
院内では規定で患者からのお礼は受け取れないと思ったから、失礼ながらご自宅まで押しかけた。
どうしてもお礼をして謝罪もしたかったんだ。
そうしなきゃ人としてダメだと思ったんだ。
真っ赤になってウイスキーを差し出したときも、先生は笑っていた。
笑ってる先生の前でボクは泣いた。ずっと泣かないでいたんだけど、そのときは泣いた。
娘の発作は、完全に治ったわけじゃなかった。
というよりも、治せないという言葉は、あながち間違いではなかった。
同じような子は、数万人に一人くらいはいるらしい。
年齢とともに、収まっていく。いつかは消える可能性が高い。でも、それまでは薬で抑えるしかない。
自然と治る日まで、血液中に常に一定濃度の薬がある状態を保ち続ける。
同じ症状の中でも、娘のは少し強いらしい。
だから抑えるための薬も強いモノを使うしかなく、それを使うとフラつきが出たりするようだ。
その強い薬に、身体を慣れさせるしかない。
慣れれば、薬を使っていてもフラつかなくなる。
それでも強すぎると危ないからギリギリの量。熱が出たり体調が悪かったりすると薬が身体に吸収されにくくなり、また発作が起きる。
一度発作が始まってしまうと、収まるまでは薬は効かない。
即入院。
それを繰り返しながら、いつか消える日を待つ。
それしかないらしい。
それでも娘は帰ってきた。
笑顔も戻ってきた。
感謝しても、し足りない。
発作を止めてくれた先生に。
そして、大事な検査を教えてくれた全国の医師たちに。
そうした善意を集めてくれたインターネットに。
仕事だけど、もう仕事というだけじゃない
ボクは、それまで以上にネットの仕事に打ち込んだ。
命を、救われた。
その恩返しをしたい。
少しでもいいホームページを増やす。
ラーメン屋さんでも、花屋さんでも、地方自治体でもいい。
どんな情報でも、それに救われる誰かがいるかもしれない。
もう、ただの仕事じゃない。
とある町のホームページの企画では、漫画も描いた。
バーチャル職員として、女性のキャラを作り、それをサイトの軸にしたんだ。
今で言う「萌えキャラ」だね。
当時、そんな言葉はなかったけど、けっこうウケたよ。
そのサイトは、その年の某大手企業主催のコンテンツ大賞特別賞をもらった。
サイトの企画でやっていた「キャライラストをあしらった特製テレフォンカードプレゼント(まだテレカが通用する時代だったんだよ)」には、毎月たくさんの応募があった。
後日、町役場を訪ねたとき、全部のパソコンのデスクトップがボクのキャラになってるのを見たときは苦笑したモンだ。
入口には等身大パネルまで。サイトの画像を引き伸ばしてるから、近くで見るとすごく粗い。
いやいや、言ってくれれば、それ用に描き下ろしたのにぃ。
でも、嬉しかった。
本当に、本気になったからこそ、自分の持ってるモノを全部出そうと思えて、だから、そういうコンテンツを作れたんだと思う。
この頃までボクは、広告の仕事は「仕事」だった。
WEBを作るのも「仕事」。
ソレも出来るからやっている。ソレも嫌いじゃないからやっている。
ソレのほうがオーダーが多いから、結果的にそっちばかりやっている。
けど、本当は漫画をやりたくて……だった。
漫画をやりたいテンションと広告のテンションは違ってた。
広告も漫画も、どちらも「ボクの作品」なのだけど、漫画と同じようには考えられなかったんだ。
漫画は自分の子供みたいなモノだけど、広告はタダの仕事って感じ。
でも、娘のコトがあってからは、他の仕事も漫画と同じ気持ちで取り組むようになったんだ。
コンテンツを作る。
ただ言われたモノを作るんじゃない。
言われた条件をクリアしてればいいってモンじゃない。
依頼者がそこまで望んでいなくても、そんなの知ったことじゃない。
やるからには、ソレを見た誰かの役に立つものでなければダメだ。
ボクはボクがこうあるべきだと思うものを目指す。
漫画だろうと、広告だろうと、WEBだろうとだ。
その想いを客にぶつける。受け止めてもらう。
それが客のためにもなるはずだ。
自分の仕事は、どれもこれもカネだけのことじゃないんだ。
タダでやるほどお人好しにもなれないけど、カネだけでもない。
キレイゴトみたいに聞こえるかもしれないけど、本当にそう思ったんだよ。
その後も、娘は度々入院した。
それでも幼稚園を卒園し、小学生になった。
元気に通学していく。
体育だってできる。
でもプールの授業だけは見学だった。
もしものときに、助けられないから。
授業参観で娘が作文を読み「みんなと一緒にプールに入りたいです」と言ったときには泣いた。
もしもを恐れて、ずっと添い寝だったけれど、小学3年生くらいになると、さすがにプライベートな部分が芽生えてきて、自室で一人で眠るようになった。
でも、この発作は寝ているときが一番危険なんだ。
娘の部屋にビデオカメラを設置した。
寝ている間は、ボリュームを最大にしてモニタし続ける。
真っ暗だから、音だけが頼り。
ボクも眠るけど、わずかな寝息の乱れでも目が覚めた。
そして飛んでいく。
静かに寝ていると不安になる。
口元に耳を近づけて、寝息を確認する。
大丈夫。生きてる。
『未来少年コナン』の第一話で、眠り続けるラナちゃんを案じて、コナンが何度も「おじい、生きてる?」と様子を見に来るシーンがある。
そのシーンをボクは子供の微笑ましさだと思って観ていたけど、そうじゃなかった。
本当に「生きてる?」なんだ。
明日の朝も、いつもと同じように起きてくるなんて思ったことは一度もない。
いつも「生きてる?」とビクビクしながら暮らしてた。
でも、大抵は寝返りを打っただけだったりする。
ホッとして布団を掛け直してやって、しばらく娘の寝顔を見続けている。
そして、あのときのことを思い出す。
父ちゃん、頑張るからな。
つまんない仕事して、全国のお医者さんやインターネットに顔向けできないような真似はしないように頑張るからな。
オマエを救ってもらったんだから。この寝顔をくれたんだから。
雑なことは絶対に出来ないよな。
だから、オマエも頑張れ。いつも見てるから。
絶対に見てるから。
娘が完全に治り、もう大丈夫だと言われたのは中学生のときだ。
家族で「スパ・リゾート・ハワイアン」に行って、思う存分プールに入った。
娘の部屋からビデオカメラも外した。
もう、ボクの部屋に娘の寝息は聞こえない。
ちょっと寂しい気もした。
これを書いている今(2016年現在)、娘は立派な女子大生だ。
バイトもしてるし、嬉々として声優ライブに出掛けたりもしてる。
その間、いつも娘の命に恥じない仕事ができたかどうかはわからない。
けれど、あの日々のことは忘れてない。
忘れられもしない。
そして今もボクは、漫画を描き、WEBを作り、広告を考えているんだ。
※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。









うるの拓也












