小説版イバライガー/第7話:氷の微笑(前半)
OP(アバンオープニング)
わずかな火種のような、小さな赤い光が漂っていた。
炎ではない。水中だった。
光もほとんど届かない。深い水底。
ダマクラカスンは、死んだように横たわっている。
赤い光は、その周囲で鬼火のように揺れている。
「……眠るのだ。まだ目覚めてはならん。力を。あのヒューマロイドを超える力を手に入れるまでは。魔を呼び寄せよ。闇を取り込め。貴様はさらに強くなる。死を味わえ。嘆きを食らい尽くせ。それこそがジャークの糧だ」
赤い光が強く光った。
砕かれた半身。
その傷口が鈍く光った。皮膚を破って、無数の触手が飛び出す。
それはダマクラカスンの全身を覆い、やがて繭となった。
水底で脈動する繭。
赤い光は、それを見届けたかのように上昇し始めた。
市街地からは直線距離で5キロほどしか離れていない。
しかし周囲は闇だった。
遠く街の灯が見えるが、ここまで届くものはわずかだ。
新月。さらに分厚い雲が夜空を覆っている。
晴れていれば見えるはずの圧倒的な星空も、今はない。
湖面を渡る風が、髪をなびかせた。
闇が、闇を切り裂く。
女。裸身だった。
透き通るような白い肌だが、それも闇だ。
女が湖面に向かって手招きすような仕草をした。
それに導かれるように、赤い光が、すぅっと近付いてくる。
女は、それを舌を出して舐め、飲み込んだ。
口元が歪む。
「ふふふ……わかっているよ。私が力を集めてやるさ。人間共の悲鳴を。痛みを。そして……ヒューマロイドを操る者たちの、極上の絶望をね……」
Aパート
夕方から降り始めた雪は、ナイターの頃には吹雪になりかけていた。
ふもとのリフト小屋に隣接した休憩室から、ワカナはゲレンデを眺めている。
降り続く雪がカクテルライトに照らされ、蛍のように舞っている。風も、強くなっているようだ。
リフトは、まだかろうじて動いている。
登っていくシンの背中が見えた。
いや、本当に見えたのはスキー板だけだ。
ライトが反射して気づいた。
自分がワックス掛けしてやったスキー板。
その板が、夜の闇を登っていく。
ここからでは見えないが、ゲレンデの中腹でナツミが立ち往生しているはずだった。
それでシンは迎えに行ったのだ。
夕べ、誰もいない温泉で、ナツミに相談した。
シンに告白したい。気持ちを伝えたい。
どう思うかな。応えてくれないかな。
こうやってみんなで遊びに行ったりできなくなっちゃうかな。
お湯の中に半分沈みながら、そんなことをつぶやいた。
半分以上は覚えてない。他に誰もいないお風呂で、あったかくて、それで勢いでそんなことを話しちゃったのかもしれない。
ワカナは真っ赤な顔でブクブクと沈んでいって、ナツミは黙って見つめてる。
ナツミの顔は湯気でかすんでいる。
その顔が、笑ったように見えた。
「……いいんじゃない? でも二人だけであっちこっちに出かけて私だけ置いてきぼりになっちゃうのは寂しいな~?」
「あ、いや、その……そ~ゆ~のじゃないから! もし、つきあうことになっても、私二人きりがいいとか全然そういうタイプじゃないし……ていうかナツミがいたほうが楽しいし……!!」
ワカナは慌てて立ち上がって、一気にまくしたてた。
頭に乗せていたタオルが吹っ飛んで、喋り終わってから湯船に落ちてきた。やば。タオルは湯船に浸けないのがマナーだって、ナツミに叱られちゃう。
急いで拾おうとしたら足がすべった。仰向けにひっくり返る。大きな水音が大浴場に反響した。
混乱してワケがわかんなくて仰向けにぷか~っと浮いていたら、ナツミが爆笑した。
ワカナもつられて笑った。
あはは。なんか勇気出た。言ってみる。
がんばれ。今夜だけはしっかり女の子するんだよ。
そんなことを言い合って、お風呂を出てから私はシンの部屋に行った。
シンは応えてくれた。
というよりも気づいてた。
そのシンは、今、ナツミと一緒にゲレンデのどこかにいる。
私はここで待ってるから、シンが迎えに行ってあげて。
そう言ったとき、シンはちょっとだけ「アレ?」って顔をしたけど、でも笑って吹雪の中に出ていった。
シンは気づいてるかもしれない。
私のことにも気づいていたんだから、ナツミにも気づいてたのかも。
私はズルイ。
ナツミもシンが好きだと思ってた。
だからナツミに相談した。
先に言い出して譲ってもらった。
いつもみたいに笑っていたけど、本当は……。
突然、ボソッという大きな音がして、ハッとした。
休憩室の窓に雪玉がぶつかった音。シンのいたずら。
もう降りてきた。というよりも私がずっとボンヤリしてたんだ。
シンが手を振っている。
ヒデ~雪だ、とか言ってるらしいけど、声は聞えない。
その後ろにナツミの姿が見えた。
ビンディングを外し、板をシンに渡す。
笑いあってる。
ここから見ていると、二人はお似合いのカップルに見える。
闇の中のカップル。
板とストックを立て掛けているシンを残して、ナツミが歩いてくる。
カクテルライトがモノトーンのウェアに反射して光ってる。
ドアが開いた。粉雪が舞い込む。
激しい冷気と雪の蛍を従えたその姿は、一瞬、氷の女王のように見えた。
「あのバカ!!」
シンは舌打ちしながら、必死にワカナを追っていた。
ワカナのバイクは、土浦学園線をほとんど信号無視で駆け抜け、土浦駅東口へと続く高架道を駆け上がっていく。
追いつけない。元々、運動神経はワカナのほうが上で、体力はともかく、スポーツでは何をやっても敵わなかったものだ。
そのワカナが限界ギリギリで飛ばしているのだから当然といえば当然なのだが、アイツだけを行かせるわけにはいかない。
特に今回は。
真夏に、雪が降っていた。
霞ヶ浦のほとり……研究所から20キロほどの場所。
直径数百メートルの一点にのみ、雪が降っている。
湖面は厚い氷に覆われつつあるという。
もちろん自然現象であるわけがない。
原因はジャークしか考えられない。
エモーション・ネガティブの急激な反応をキャッチした瞬間に、イバライガーたちは行動を開始した。
ミニライガーが先行して現場に急行し、モニタに現地の様子を送ってきた。
現場は、シベリアかアラスカの奥地かと思うほどに凍りついている。
周囲との気温差が猛烈な風を起こし、凄まじい竜巻がいくつも立ち上がっていた。
氷嵐が舞い、桟橋が吹き飛ばされるのが見えた。
その破壊の中心に、影が見えた。
飛び散る氷のかけらの、煌めきの中に立つ女。
その姿を見たとたんに、ワカナはシンの制止を振り切って飛び出した。
いつか、ワカナが言っていた。
あの夜、ナツミが雪の蛍に包まれているようだったと。
その光景とオーバーラップしたに違いないのだ。
あのエモーション実験の日……ジャークが出現した日から、ナツミの行方はわからなくなっていた。
ジャークに捕まったことは間違いない。自分たちの目の前でさらわれたのだ。
生きているのかどうかもわからない。
だが、シンもワカナも、ナツミの生存を確信していた。
ナツミはオレたちの…イバライガーの仲間だからだ。
あそこにいるのがナツミかどうかはわからない。
しかし、ナツミを利用して罠を仕掛けてくる可能性は十分にある。
前回の決戦で、ジャークは四天王であるはずのダマクラカスンを失った。
生きていたとしても、すぐに行動を起こせる状態ではないだろう。
だからこそ、ジャークはイバライガーを警戒し、排除しようとしているはずだ。
あれがナツミであれば、ワカナの予感が当たっているなら、それはオレたちをターゲットにした罠である可能性が高い。
ワカナもそれに気づいている。気づいているからこそ、自分を止められないのだ。危険な状態だった。
スピードを落としてはワカナに追いつけない。対向車線にオーバーランしながら、高架道の連続コーナーを駆け抜けた。
ワカナのスリップラインも同じようにはみ出している。くそ、やっぱりキレてやがる。
元々この高架道の交通量は少ない上に、事件のせいか、他に車はいないようだが、それでも危険すぎる走りだった。
湖が見えてきた。
いや、巨大な竜巻が見えてきた。
氷の竜が空へと立ち上っている。猛烈な冷気が押し寄せてくる。
シンは高架道を駆け降りながら、レシーバーに叫んだ。
「R! ガール!! 頼む、ワカナを止めてくれ!!」
小さなマリーナがある湖畔エリアへ、ワカナは高速で飛び込んでいった。
路面が凍結している。バイクはスリップし、横倒しになった。そのままスライドしつつ、飛び降りる。転がる。
バイクは十数メートル先で歩道に乗り上げ、街路樹にぶつかってようやく止まった。
怪我はない。
雪を払いながら、立ち上がった。
周囲には誰もいない。というよりも、どこにも人の気配を感じない。
すぐそばにマンションもあるというのに、その中にすら人がいるように感じられない。
冷気の中心に向けて、歩き出した。
冷気にジャークの、エモーション・ネガティブの波動を感じる。
MCBグローブを握りしめた。
ポジティブの波動で相殺しなければ、汚染されかねない。
イバライガーたちは、すでに周囲に展開しているはずだった。
ミニライガーが、このエリアを包囲するように位置取り、Rとガールが突入する。
私たちはミニライガーたちと合流して、バックアップとして行動する。
作戦はそうだったが、私は行かずにいられない。
予感がある。私が行かなきゃならない。
吹雪。ジャーク。
あの日を思い出した。
まだ幸せだった頃の、ほんのちょっと、疼くような痛みも感じる記憶。
ワカナとナツミとシンが、それまでとはホンのちょっと違う関係になった日から、ずっと感じ続けていたモノ。
それは自分だけではなく、三人ともに、それぞれの痛みがあっただろう。
それを時の流れで癒しながら、あの日以前と同じ顔を続けてきたのだ。
いつか痛みが消えることを願いながら。
けれど痛みは、ナツミがジャークにさらわれたことで、さらに大きくなった。
私がシンを奪っちゃった。
だから、せめてナツミの夢を叶えてあげたくて、ずっと研究を手伝ってきたのに、それさえ奪っちゃった。
私だけが助かって、ナツミはいなくなっちゃった。
そんなのオカシイ。
どうして優しいナツミが辛い目に合わなきゃならないの。
罰を受けるなら私なのに。
ナツミの気持ちを分かっていながらズルイことをした私なのに。
助けなくちゃ。
ナツミを助けて、この痛みを止めなければ、私は前に進めない。きっとシンも。
吹雪。ジャーク。
予感がある。きっと、いる。
何故かわからないけど、私にはわかる。
ナツミが待ってる。
気が急いて走り出そうとしたとき、竜巻が揺らいだ。こちらへ向かってくる。
市民球場のゲートが吹き飛んだ。街路樹がねじれ、引き裂かれる。
同時に周囲から、武装した隊員たちが飛び出してきた。
TDFだ。隊員達は、ワカナを包囲するように、素早く展開した。
「お前、確か……ワカナ……だったな? またしても出しゃばって来たのか?」
男が振り返らずに声をかけてきた。
聞き覚えのある声。ソウマ。
「出しゃばってるのはアンタたちのほうでしょ。相手はジャークなのよ? ここは私たちに任せてよ」
「ふざけるな。相手が何であろうとも、人々を守るのはオレたちの仕事だ。それに……お前も拘束対象なんだぞ」
「手加減してって言ったと思うんだけど?」
「オレ一人が手加減しても意味はないだろう。それに……ここはマジでヤバイぞ。前回の化け物並みだ」
確かに、凄まじい悪寒だった。
モニタでチェックした限り、そこにいたのは『女性』のシルエットだけで、ゴーストや戦闘員が大勢いたようには見えなかった。
単体で、これだけの力。
四天王クラスだというのか。
暴風が叩き付けられてくる。
その中心に向かってソウマたちが銃を構えた。
「待って! 撃たないで!」
ワカナは飛び出した。叫んだ。
「ナツミ! そこにいるんでしょ!? 私よ、ワカナよ!! 迎えに来たのよ!!」
風が止んだ。
竜巻が小さくなり、その渦が、女性のシルエットを形作った。
ワカナは息を飲んだ。
「……本当に出てきてくれたのね。こんなに簡単に来てくれるなんて、ちょっともったいない気分だけど……」
声に、懐かしい痛みを感じた。
シルエットが歩いてくる。
あのときと同じように、雪の蛍を従えて。
「ひさしぶりね……ワカナ」
ナツミは裸だった。
まるで人間の匂いのするもの全てを拒絶するかのように。
氷嵐の中で、その裸身は美しく輝いていた。
生きていてくれた。
駆け寄って抱きしめたい。
けれど、身体は動かなかった。
懐かしい顔に浮かぶ邪悪な笑み。
彼女の顔に、もっとも似つかわしくない表情。
そして吹き付けてくるネガティブの波動。
「ナツ……ミ……?」
「そう……、そんな名前だったわね。このボディは」
女が、確かめるように自らの胸を触った。みだらな動きだった。
ちがう。この女はナツミじゃない。ナツミはあんなこと絶対にしない。
「あ、あんたは……誰なの!?」
「ふふふ、……間違いなく『ナツミ』よ、このボディはね。ワカナ、あなたのことも覚えているわ。私たち、親友だったのよね。……なのに、あなたは……『ナツミ』を裏切った。見捨てて逃げた……」
「ち、ちがうっ! 私は……!!」
「いいのよ。おかげでジャークは貴重なサンプルを手に入れた。エモーション研究者という、とても有意義なモノをね……」
言い放つと共に、再び竜巻が沸き起こった。TDFの隊員たちが一斉に銃口を上げる。ソウマが叫ぶ。
「おい、下がれ! 奴を仕留める!!」
「だ、ダメ! だってあれは……」
「アレはお前の友だちじゃない!!」
怒鳴り声に身体が硬直した。
「事情はわかった。だが、奴はもう違うんだ。人間じゃない。忘れるんだ」
忘れる?
ナツミを忘れる?
ダメ、それじゃ痛みは一生消えない。
ナツミが幸せになってくれないと、私も幸せになれない。
ダメなの、痛いのはもう嫌なの。
ワカナは必死に両手を広げてTDFの前に立ちはだかった。
やめて、ナツミを撃たないで。私の痛みを撃たないで。
「優しいのね、ワカナ……」
背中から声が聞えた。
「でもね……ソイツの言う通りなのよ。ダマクラカスンを覚えてるでしょ? アレだって元々はあんたたちの知りあいだったんでしょ? でもダマクラカスンに人間だったときの面影はあった? 人の心を感じた?」
ティクス博士。優しかった博士。
「ね、ジャークと人間はまるで違うの。共存することも共感することもできない。あなたの痛みも、この女の痛みも、もう癒すことはできないのよ」
風の渦が、ナツミの身体を覆った。周囲を舞う氷の粒が輝く。
雪の蛍にナツミの裸身が照らし出された。
美しい。禍々しい。
竜巻が黒く淀んでいく。その風に巻き込まれた蛍たちが、黒い粒子に変貌し、ナツミの裸身を包んでいく。
邪悪な蛇が巻き付いていくようだった。
「ナ、ナツミィイイイッ!!」
「もう無駄よ。その名前の女は、もういない。
私はジャーク。ジャーク四天王の一人……氷の女帝、ルメージョ!!」
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