広告漫画がダメになる仕組み/誰も愛さない子が働いてくれるわけがない
両親が共に、子供に何の愛情も注がなかったとしたら、どうなるだろう。
世話もしない。認知すらしない。
生まれる前から、どうでもいいと思われている子。
そういう子に「生んでやったんだから役に立て、働いてお金を稼いでこい」と言ったとして、恩返ししてくれるだろうか。
そんなことは、あり得ないと思う。
でも、そういう悲しい子が大勢生まれている。
それが広告漫画だ。
広告主と漫画家の間に生まれ、でも、どちらからも愛されずにいる可哀想な作品たちが大勢いるんだ。
ボクはそんな子たちを見たくない。
だから、せめて作者は愛してあげてほしい。
これが私の子だよと、堂々と人様に紹介できる子を生んでほしい。
愛を注げば作品は応えてくれる。
作者なら、それをよく知ってるはずでしょ。
漫画業界と関係ない人の依頼を受けるということ
漫画雑誌に連載している場合は漫画編集者、同人誌をやってる場合も仲間も同人作家で、ようするに漫画の多くは「お互いに漫画についてそれなりにわかってる人同士」で作られている。
でも広告漫画を依頼してくる人たちは、漫画とは関係ない世界の人たちだ。
つ~か、自分でしっかりした漫画が描けるなら依頼するまでもないんだからアタリマエなんだけど。
だけど、知らないって言うのは本当に何にも知らないと考えていい。
ネームやペン入れといった言葉も知らないし、ぶっちゃけ漫画とアニメの区別もついてない。
中には漫画を読んだことがないなんて人までいる。
「関数や方程式を教える」という仕事で九九からやらなきゃいけないようなモンだ。
そして、この何にも知らない素人が「広告主=お客様」なのである。
何も知らないのに過剰な期待を抱いていたり、描いたこともないのに、やれば自分でも描けると思っていたり、漫画家ならどんな絵でも描けると思ってたりする。
酷い場合だと、材料なんか紙とインクくらいなモンなんだからタダ同然だと思っていたりもする。
漫画ができるまでの工程もわかってないから、一人で1日10枚くらい描けると思い込んでいる人もいる。
広告漫画を引き受けるというのは、そういう人たちを相手に、漫画を描いていかなきゃならないということなのだ。
漫画用語を知らないからフキダシとかコマ割といったことも、説明しないとわからない。
ネームも編集者に見せるようなモノではダメだ。
ラフな下絵というくらいには描き込んでおかないと、普通の人はピンと来ない。
ネームを完成原稿だと思い込んだ人だっていたし、そんなスケッチはしなくていいから早く仕上げろと言われたこともある。
こういうモロモロが山ほどあって言い出したらキリがないけど、それに対して「もうちょっと勉強してから依頼しろ!」とか言っちゃったら仕事にならない。
なんとかしなきゃならないんだけど、漫画用語も分からないんだからコミュニケーションの時点でドタバタである。
たぶん、こういうことが嫌(煩わしい)だから、漫画家自身は前面に出て来ないで、広告代理店などを間に立てることが多いんだろう。
そもそも自分で営業活動をしている漫画家自体が滅多にいないけどね。
ヤバい漫画をヤバいまま描きたくないなぁ
でも広告代理店経由で引き受けたところで、問題は全然解決しない。
だって広告代理店もまた、漫画に関しては素人なのだから。
漫画好きな担当者だったとしても、読むのと描くのじゃ全然違う。
そういう素人に商談を任せるとトンデモないことが起こることが少なくない。
例えば、代理店と広告主が話しあってシナリオを作る。
だが10ページなのに3行しか文字がなかったり(そりゃ、あらすじとか概要だ!)、逆に数十年に渡る社史を全部並べいたり(どんな大河やる気だ!?)、何かの論文としか思えないモノ(じゃあ漫画にしなくていいじゃん!)だったりと、信じがたいシロモノが出てくる。
そこまでヒドくなかった場合でも、誰が主人公かわからなかったり、物語の目的が途中で変わっちゃったり、聞いたこともないキャラが突然出てきたり、泣きたくなるような親父ギャグだらけだったり、会社の説明を延々と述べてるだけでストーリーがなかったりというくらいは日常茶飯事。
そんなモノを「これを漫画にして」と持ってくるのだ。
これは決してレアケースなんかじゃない。
漫画家の側から見たら「どいつもこいつもアホなのか」と思いたくなるかもしれないけど、そういうことじゃない。
物書きでない人から見れば、それが普通なのだと思う。高い社会的地位にいようが高学歴だろうが関係ない。
漫画家でない者には漫画は考えられないのだ(プロでやってるかどうじゃなくて属性のハナシね)。
そういう「原作」に基づいて漫画を描くというのは、けっこう辛いものだ。
漫画が好きであればあるほど苦痛だと思う。
だけど請け負っちゃった以上やるしかない。
それで心を閉じる。
仕事だから。これ漫画とは呼べないけど、仕事として絵を作ってるだけだからと。
嫌な仕事になっちゃうよねぇ。
もちろん相手には悪気はないんだよ。
むしろ漫画家さんのために、我が社のためにと、一所懸命だったりすることもあるんだ。
それでもダメなモノはダメで、辛いものは辛い。
そんな嫌な思いをするくらいなら、どこかでバイトでもしてるほうがマシだと思っちゃうな。
悲しい広告漫画を作らないでほしいなぁ
それに……ボクはコレが一番嫌なんだけど……この形式の場合、誰も作品に対する責任を負っていないのだ。
関わる全員が作品を自分のモノだと思ってない。
広告主は漫画にも広告にも素人だから、代理店に丸投げする。
これは仕方ない。
代理店は「これは漫画だから」と漫画家に投げる。
シナリオなどを担当する場合でも基本的には漫画だと思ってるから、テキトーにやって「後は任せた」と投げてくる。
でも漫画家は、自分は作画しただけと思っている。
自分は漫画家で広告のことなんかわからない。
だから言われた通りに描くけど、こんなメチャクチャなモノを漫画として、まして自分の作品と認めることなんかできない。
コレは漫画じゃない。
広告に過ぎなくて、主体は広告代理店や広告主だ……というわけで、投げ返す。
こういう具合で、制作に携わる全員が「自分の作品」と思っていない、という状況に陥ってしまっているケースは少なくない。
漫画家は広告屋じゃない。
広告屋は漫画家じゃない。
お互いに理解しあえるのは素人な部分だけなのだ。
だからキャリアのある同士が手を組んでも、出来上がるのは素人作品になってしまう。
でも、そのことに気付かないままで「漫画家とコラボ」とか言って、粗悪な作品を作ってしまう。
広告主のほうも「我が社の漫画ができた」と喜んで、質については気付いてない。
ていうか気付く力が元々ない。
これじゃ広告漫画がつまんないのもアタリマエだよね。
愛してもいない、育ててもいない子に何かを期待するほうが間違ってるんだから。
ボクがプロデュース段階にもクビをツッコむのは「一人で両親をやるため」でもあるんだ。
広告作品は、広告主と漫画家の間に生まれる子だけど、広告主に親の気持ちを持ってもらうのは難しい。
そこまでの思い入れはない人のほうが圧倒的に多いし、正直なところ思い入れが強すぎても厄介だしね。
だからボクは自分で両親をやる。
二人分、愛してあげたい。
また、多くの読者に愛されるよう、少しでもいい子に育てたい。
出来の悪い子になってしまったとしても、ボクだけは愛してあげたい。
ボクが手掛けた作品は、みんなボクの子供なのだ。
「漫画家は広告屋じゃない」とか言ってる場合じゃないんだ。
子供が泣いていたら助けずにいられないじゃないか。
ボクは、こういう気持ちを広告主にも伝えるようにしている。
そのために、できるだけ広告主自身と自分で向きあうようにしている。
理屈じゃない部分は、メールじゃ伝わらないことが多いからね。
会っても同じ気持ちになってもらえるわけじゃない。
それでも言わないよりはマシだ。
漫画家が作品を、本気で人間の子と同じように思っていることがわかれば、同じ気持ちにはならなくても、迂闊なことは言わなくなるものだ。
また、それだけ思いを込めて取り組んでいるのならと、こちらに任せてくれやすくもなる。
つまり情に訴えるのだ。
そこまでやるの? と思うかもしれないけど、ボクはそこまでやってる。
だからボクの作品『カソクキッズ』の監修者たちは「保護者会」と名乗ってくれている。
ようするに制作委員会なんだけど、名称と気持ちは保護者会。
元々は「キッズ」だからとシャレで名付けたのだけど、連載が進むごとに本当に保護者になった。
ボクがキッズたちを、本当に実在する子のように思っていることを理解してくれたから、当初の予定を遥かに上回る長期連載になって、ボク自身も本気で打ち込めた。
広告漫画だって漫画だ。
生まれた作品は祝福してやりたい。
そうしてあげれば、作品は応えてくれる。
キャラたちは生き生きと活躍してくれる。
そういう理屈を超えた部分にあるモノが、普通の広告では成しえない成果を引き出す。
それを広告主に伝える努力をしないと、広告漫画の「漫画」の部分が死んでしまい、ダメになっちゃうのだ。
※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。