広告漫画家物語03:DTP時代の始まり〜独立/自由業の不自由さを思い知る

Mac登場と独立
ボクが会社を辞めてフリーランスの道に移ったのは、デザイナーになって4年目のことだ。
彼女とは前年に結婚し、会社でも正式に主任デザイナーとなり、順風満帆とは言わないけど、それなりにマトモな日々を送っていた頃だ。
漫画広告は、継続的に作っていた。
あのプランナーさんは、すでに別の会社に転職していたけど、ボクはボクなりのやり方で、仲間たちと共にやっていた。
そんな日々に激震をもたらしたのは、マッキントッシュというコンピュータだった。
いわゆるMac。
プランナーが辞める前に言っていた。
「DTPって知ってるか? これからはコンピュータでデザインするようになるぞ。写植も版下もなくなるんだ。今のうちから身に付けておいたほうがいいぞ」
今ではパソコンで作るのはアタリマエだけど、当時はそんなのはまだまだ普及していなかった。
『文豪』とか『書院』といったワープロ機は使っていたけど、パソコンなんてのはまだない。
当時は「マイコン」だった。
PC98とかMSXなどでエロゲーでもやるか、ニフティ通信で『ぞうさん』とか『魔法のナイフ』とかイジるかってな時代だったんだ。
インターネットなんてものが出てくるのは、まだ数年先のことだから、マニアでもない限りコンピュータなんか持ってない。だからMacでDTPなんて言われても、全然ピンと来なかった。
そんなMacが会社に試験導入されたんだ。
出入りのオフィス機器会社がお試しとして3ヶ月無償で貸し出してくれた。
マウスの使い方もロクに知らないまま、おっかなびっくりイジってみて驚いた。
すげぇ! 完璧に真っすぐなアタリ罫が確実に引ける!!
印刷トンボもイッパツだ! 文字まで打てる!!
しかもこのまま印画紙に出力して版下にもできるだとぉお!?
どれもこれも、今ならアタリマエすぎて気にもしないだろうけど、当時はマジで画期的だったんだよ。
ちなみにWindowsはまだ世に出てきていない。
あのWindows95の大行列が出来るのは、この3年後。
当時、別の会社でCADをやっていたカミサンが使っていたのはWindows3だ。
とにかくボクはすっかりMacに夢中になった。
まだまだ本格的なDTPには程遠い状態だったけど、これは必ず普及する。誰もがコレを使うようになるに違いない。
絶対に身に付けなきゃダメだ。
そう思った。
けれど、会社は試験導入期間が終わったら、すぐに返却してしまった。
社長に直接直訴しても導入は検討してもらえなかった。
今のままでいい。
それが会社の決定だったんだ。
それで転職、もしくは独立を考え始めた。
必ずDTP……コンピュータデザインの時代が来る。
そのときに、ソレができないデザイナーだったら?
そうなったのは会社の決定によるものだったとはいえ、だからって役立たずの社員をそのまま抱えているだろうか。
そんなコトはあり得ない。
また中途採用を行って、Macの使えるデザイナーを雇うはずだ。
ボクらは切り捨てられる。
コンピュータの使えない時代遅れのデザイナーのままで。
そんなヤツ、誰が雇う?
最悪の状態で放り出されるなんてゴメンだ。
今ならまだ黎明期だ。
今のウチに力をつけなきゃ。
そう考えて準備を始めた。
ちょっと誤算だったのは、他の仲間を同じように考えて辞めたがったことだ。
いやまぁ、そりゃそうなんだけどさ。
けれど、ボクが入社したときのようにデザイナーが大挙して辞めて会社に迷惑をかけるといったコトは避けたかった。
今までお世話になったんだから。
なので、1人1人、転職先を見つけた人から順番に辞めていった。
ボクは最後。主任だから、後釜になる人を補充して、色々教えてからでないと辞められないと思ったから。
なので、退職を決めてから実際に辞めるまでに1年近くかかったなぁ。
ひどすぎる値引きと先輩の言葉
退職後は、例のプランナーの口利きで、いち早くDTPを大量導入しているデザイン会社に潜り込んだ。
そこにいられたのは半年程度のわずかな期間だけだったけれど、大手メーカーの総合カタログを丸ごとDTPで作るといった仕事をやらせてもらえたので、かなりのスキルを身に付けることができた。
その後も、DTPやってる会社に潜り込んだりしながら1年ほどを過ごした。
転々としているから、あまり安定的ではなかったんだけど、それでも会社員時代よりも収入も技能も上がっていたから不安はなかった。
ただ、この時期はパソコンスキルを身に付けるので精一杯で、漫画のことを考える余地はなかったな。
そしてMacに出会って3年ほど経ってから、完全に独立してフリーでやっていくと決めた。
自分のDTP力も、当時の平均的なデザイナーよりも上がっていたし、やはり漫画広告をやりたいっていうのもあったしね。
ボクはもう駆け出しじゃない。
自分の力で切り開いていけるだけの技術がある。キャリアもある。
必ずやっていける。満を持して野望達成だぁ!
そう思ったわけ。
大枚はたいて自分用のMac、スキャナ、プリンタを買った。
HDDは大容量40メガ!
メモリも4メガ!
スキャナは最大200dpiの高解像度!
A4モノクロ専用のプリンタ!
これで締めて120万円!!
……今書くと泣けてくるな……。
とにかくソイツらを相棒に、フリーランスとしてやっていく。
なぁに、プランナーさんとか、以前勤めてた会社とか、コネは色々ある。
ボクの腕も知ってるんだし、当然仕事を回してくれるさ。
……と思ってたら、大間違い。
どこからも仕事がもらえない。プランナーさんは自分の仕事で手一杯。
以前の会社はDTPしないって決めてたわけだから、そういう仕事はあまりない。
そしてボクがいた頃とは違う会社に変貌しつつあった。
数多くの雑誌媒体、特に求人広告を取り扱う営業主体の会社になっていたんだ。
ボクの時代にもそういう傾向は強くなっていたんだけど、それがより顕著になって、かつてのデザイン部門はクリエイティブよりもオペレーティングを重視する部署になっていた。
そういう意味では、モノづくりにこだわるボクにとっては、やっぱり辞めて正解ではあったのだけど、とにかくフリーに回す仕事なんて、ほとんどないんだ。
それに……数少ない機会を掴んで何とかやっていても、フリーっていう立場は、とてつもなく弱いものだった。
一応、DTPの腕は高かったし、漫画やイラストもやれるから、ある広告会社では重宝がられて使ってもらえた。
やがてギャラ200万という大きな仕事を任された。
それをやり遂げて請求書を出したときだ。
「これ、半額にして欲しいんだよ。いや、約束だから、どうしてもっていうなら200万払うけどさぁ。でも、そういうコトだと、もうキミのこと使えないんだよね。キミ、腕はいいんだからさぁ、これからも仕事頼みたいしさ、キミもそのほうがいいでしょ? だからさぁ、半額でカンベンしてくれよ、なっ」
すごく迷ったし、悔しかった。
けど、ここで意地を張っても今後が怖い。
怒鳴られたりするのも嫌だし……と、弱気になって、泣く泣く諦めた。
仕方ないんだ。
一時のことで将来を台無しにできないし……。
フリーってキツイんだな……。
そのスグ後に、例のプランナーと再会し、旧交を温めながら、その話をした。
すると彼は言った。
「バッカだな~~、オマエ。その社長、二度と発注してこねぇよ」
ボクは愕然とした。
そんなバカな。今後のために泣けないモノを泣いたんだぞ。つまり貸しがあるじゃないか。
それなのに、もう発注されないなんて、そんなバカな話があるもんか。
「その通りだ。バカな話だ。半額なんて、いくら何でも無茶すぎる話だ。普通なら最初に言っとくべきだ。それが言えなかった。つまりビビッてた。安いギャラ言って、オマエに逃げられちゃ困るからな。けど、現実には払えね~から請求の段階になってから言い出したんだ。そういう小っちゃいヤツなんだよ、その社長は。
だからこそバツが悪い。そんなコトを言うような社長なら、次だって同じことを言うに決まってる。でもオマエには借りを作った恰好だろ。使いづらいんだよ。顔を合わせづらいんだよ。だから……」
プランナーはコーヒーを飲み干しながら答えた。
「……もう二度と発注してこねぇよ」
ボクは、ポカーンとしながらも納得せざるを得なかった。
自分が甘かった。
これがフリーランスということなのだ。
事業主になるということは、自分で事業しなきゃならない。
会社員とは全然違う。
ああいう海千山千の連中と、自力で渡りあわなきゃならないってことなんだ。
腕だの技術だの知識だのじゃないんだ。
それを使う以前にやれてなきゃいけないことがある。
そこが全く出来ていない。
そういう部分が大事だとは聞いていた。
知っているつもりだった。
わかっているけど、クリエイターなんだから一番重視されるのは技術や企画のハズだと、ナメていたんだ。
この件、今のボクなら一歩も引かずに全額払わせただろう。
多少の交渉の余地を残して非公式に1割引くらいなら応じるかもしれないけど、それ以上は絶対に認めない。
また、わずかだろうが値引きに応じるなら、黙って引きはしない。
次の仕事を保証するとか、次回は前金で払うとか、そういう約束をさせるだろう。
口約束じゃなく一筆書いてもらう。
その上で、正価をハッキリ明示した上で、どれだけ引いたかが一目瞭然な請求書を出す。
値引き分のマイナス項目を記載した請求書だ。
それを受け入れてくれないなら、ビタ一文まけない。
もう二度と仕事をもらえなくて構わない。手切れ金だと思って払え。
そう考えて、実際そう言っただろう。
そして、そうしていれば、その後も仕事をもらえた可能性が高い。
「値引きに応じないだと? 生意気なコンチクショーめ。自由業の下請けの若造のクセに。ちょっとくらい腕がいいからって調子に乗りやがって。見てろ、次の仕事では安く使ってやる。最初から本来の額面を突きつけてやる。このままオマエの言いなりで終わるなんて気にくわない。もう一回使ってやる。逃げるんじゃね~ぞ」
恐らくは、そういう反応があっただろうと思うのだ。
そのことを当時のボクも知っていたはずなんだ。
先輩漫画家のアシスタントをしていたとき、さらに先輩の(それもかなり有名な)先生の言葉を聞いたことがある。
一字一句正確ではないが、論旨としてはこんなことだ。
「出版社で漫画を描かせてもらっていて、ギャラももらっているとは言え、編集に媚びてはダメだ。どんなに編集に従順に応じても、人気が出なければ切られる。逆に編集にどれだけ嫌われようと人気があれば切られはしない。直接カネを払ってくれるのは編集だけど、本当の客は読者なんだ。漫画家は常に読者のことを考えるべきで、編集のタイコモチになってはダメだ。それは編集を裏切ることでもあるんだ」
……とまぁ、こんな言葉だ。
先に書いたように、これはボクの言葉に置き換えてある。
実は、元々の言葉も覚えているけど、ソレを書いたら誰だかわかっちゃうから、ちょっと変えさせていただいた。
そもそも又聞きだから、本当にその人が言ったかどうか定かじゃないしね。
でも、基本的にはこういう意味の言葉だ。
当時、新人ですらなかったボクは、この言葉に感銘を受けた。座右の銘にしようと思ったものだ。
それなのに、ボクはソレを忘れていた。
一番悪い形で媚びてしまったんだ。
自分はアマい。ヌルい。
フリーで生きてくなんて、自分にはできそうもない。
ボクはそう思った。
やっぱり会社に戻ろう。
前の会社になら、まだ戻れる。
来年には子供も生まれる。
カミサンと子供を幸せにしたくて結婚したんだから、まずソレが一番だ。
自分の夢なんか、それに比べたらチッポケだしな……。
ボクは、そんな弱音を吐いた。
プランナーも呆れてるだろう。こんなボクじゃフリーでやってくなんて無理だと言うだろうと思って。
けれど、彼は全然違うことを言った。
「バァカ。オマエに会社員は勤まらね~よ。オマエ、やりてぇコトを最初から持ってただろ。捨てたつもりでも、実際には捨てられっこない。何度会社に入っても、そういうヤツは組織じゃハミ出しちゃうんだよ。
オマエ、前の会社をMac導入しないから辞めたって言ってたけど、ホントは違うんじゃね~の? オレがいなくなって、会社の空気が変わって、それが我慢できなくて口実見つけただけじゃね~のか?」
ズバっと、自分自身にも隠していた本音を引きずり出された気分だった。
コーヒーの味がわからなくなった。
本当に彼の言う通りなのかどうかは、わからない。
でも今は、きっとそうだった、彼の指摘通りだったと思っている。
ボクは自分のやりたいコトしかできない。
我慢して、そうじゃないことをやったとしても、そんなのは続かない。
難しくても、大変でも、無理だと言われても、それでもやりたいことをやって結果を出すしかないんだ。
逃げ道なんか最初からなかった。
フツーの人なら軌道修正できても、ボクはすでにフツーじゃないんだ。
「無理でもやるしかねぇって。オマエ、才能はあると思うよ。漫画が広告でどれほどの力になるのかは、漫画家じゃないオレにはわかんないけどさ。でも、どうせ他のコトなんか出来っこないんだから、ソレやるしかね~だろ。続けてみろって」
プランナーは、パフェなんか食べながらお気楽にそう言った。
誉められたような、バカされたような気がした。全然、親身に答えてくれた感じはない。
「そりゃそ~だろ、だって他人だも~ん」
そうなんだよな。こうやって頼るのがよくないんだ。
フリーになったクセに庇護を求めてる。
自由を求めて大海原に出たのに、生け簀にいたときと同じ都合の良さを期待してる。
それが一番ダメなんだ。
次の10年へのイントロダクション
その後、ボクはできるだけ自分でやろう、無茶や無理を押し付けられないように気をつけようと思いながら、あちこちの広告仕事を探し、請け負い、コネを増やした。
漫画の仕事はあまりなかったが、それでも漫画テクニックの解説本を著者として企画・編集するという、大きな仕事を手掛けることもできた。
毎日がサバイバルだけど、かろうじて前に進んでいたって感じだ。
でも……ここまでの苦労なんて苦労の内に入らないんだよなぁ。
ここまではタダの黎明期。
基礎を身に付けたっていうだけ。
ここまでに学んだことを本当に生かすには、ボクは未熟すぎた。
いや、ハンパに力をつけていたからこそ、かえって迷ってしまった感じかな。
次の10年は、ボクが自分の「広告まんが道」を見つけるまでの、迷いに迷った時期だ。
この時期のボクは漫画からはちょっと遠のくのだけど、この時期の体験が今のボクの考え方、仕事への取り組み方などの背景になっているんだ。
ボクは、絶体絶命のピンチに、大勢の無名の人々の力が集まって奇跡が……といった展開にヨワい。
『サマーウォーズ』のクライマックスとか『ウルトラマンティガ』の最終回とかを観るとジーンと来て泣いてしまう。
なぜなら、本当にソレを体験しちゃったから。
様々なことに挑んで挫折して、全てに絶望して、でも、その絶望の中から自分で気付いていなかった力が現れて立ち直らせてくれた。
自分でも「どんだけ中二なんだよ!?」って思うんだけど、本当にそういう展開なのよ。
次の10年は、そういうお話なんだ。
※このブログに掲載されているほとんどのことは、電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。









うるの拓也












