広告漫画家物語01:黎明期/デビュー前~連載打ち切りまで

2018年1月4日

ノート漫画を描きまくっていた少年時代

 ボクが漫画家になりたいと思ったのは小学生のときだ。

 生まれて初めて読んだ漫画『デビルマン』がきっかけ。
 小学4年生くらいだったかな、
 従兄の家に泊まりに行ったときに置いてあったのを、たまたま読んだの。
 それも最後の第5巻をいきなり。

 ものすごくショックだった。
 テレビアニメ版は毎週欠かさず観ていたけど、ソレとは全然違う。
 いったい何がどうなって、こんなコトに。

 慌てて1~4巻を買ってもらい、貪り読んだ。

 スゴイ。漫画ってこんなにスゴイのか。
 これを描いたのが漫画家っていう人なのか。

 なりたい、漫画家になりたい。

 無地のノートを手に入れて、鉛筆で漫画を描き始めた。
 好きだったロボットアニメのパクリみたいなモノだったな。
 何の説明もなく悪いロボットが街で暴れていて、そこに正義のロボットが……というヤツ。

 でも暴れるシーンが続くところでは、真っ白いコマがいくつもあって「同上」って書いてあった。
 いきなりバンク使い回し。
 当時から飽きっぽくて辛抱できない子だったんだよなぁ(笑)。

 中学に入ると、もうちょっとだけマシになって、登場人物をクラスメイトに置き換えた『宇宙戦艦ヤマト』と『スターウォーズ』をミックスしたノート漫画連載を始めた。

 ストーリーは基本的にオリジナルを踏襲していたけど、『がきデカ』『怪僧のざらし』『すたみなサラダ』などの山上たつひこ先生の作品や、田村信先生の『できんボーイ』などのギャグも大好きだったので、その影響をモロに受けたギャグ漫画バージョンだった。
 宇宙戦艦がずもももも~~と出てきたりしてね。
 そういうモノを毎月ノート1冊くらいのペースで描いて、仲間たちに回覧で読んでもらっていた。

 連載は結局、高校2年生くらいまで続いた。
 描き続けているうちに、他の映画や漫画、アニメの影響を受けて、元々の原作とはかけ離れたモノになっていった。

 高校1年の頃からはノートではなくケント紙に描くようになり、ペン入れもするようになった。
 初めてスクリーントーンを買ったときは転写式だと思い込んで、貼ってこすって剥がし……を繰り返して原稿をボロボロにしたもんだ(笑)。

 その頃には自分は将来漫画家になると決めていて(「なりたい」じゃなくて「なる」だった)、どうせ漫画家になるなら高校なんかに通っているよりも、プロのアシスタントにでもなって修業を積んだほうがマシと、退学届を出してしまったこともある。
 結局、周囲に説得されて高校は卒業したけれど、親や学校の先生に漫画家になるっていう気持ちを否定されてたから、中学~高校時代のボクはちょっと荒れてて、あまりイイコではなかったなぁ。

 中学校の作文で「将来の夢は漫画家」と書いたら「中学生にもなって漫画家などという非現実的なコトを書くんじゃない」と注意されて、書き直しするまで居残りさせられたことがあるんだ。
 意地でも直さなかったけどね。

 そういうコトがあったから、大人を信じられない思春期だったんだ。
 不良ってほどではないけど、イイコではなかった。
 夜中にバイク乗り回したり、学校サボって喫茶店に出入りしてるような子だったの。

 ただ、それでも漫画だけは描き続けていて、高校を卒業すると同時に東京のデザイン学校に進んだ。
 本当はデザインを学ぶ気なんか全然なくて「漫画家になんかなれるわけがない」と否定ばっかりする大人たちから離れたかっただけなんだ。

 だから入学はしても、やっぱり漫画ばっかり描いていた。
 カミサンは当時のクラスメイトなんだけど、彼女いわく「教室にはいなくて、でも学食にはいて、しかも一番ガラの悪いヤツ」との印象だったらしい。
 まだチンピラな部分が残ってたんだよなぁ(笑)。

デビューしてアシやって連載して

 デビューしたのは二十歳のとき。

 最初に持ち込んだ編集部ではウケが悪かった。
ウチには○○先生がいるからねぇ」と言われたことを、よ~く覚えてる。

 そりゃそうだ。
 その先生の作品が好きだったから、そういうのを描いて、その編集部に持っていったんだから。

 編集さんに名刺をもらって「また来なさい」って言われたけど、ボクは生意気なヤツだったから「いいや、オレの漫画は面白いハズだ! それがわからない奴の目が曇ってるんだ!」って思って、そのまま帰るのが悔しくて、近くの電話ボックスから隣りにあるもう1つの出版社(社名書いてないけどバレバレだな)に電話した。
 目の前にいるんだけど原稿見てくれませんか、と。

 運良く見てもらえた。
 で、けなされた。
 絵が雑すぎるって。

 でも丁寧に全部描き直せば、月例賞獲れるかもしれないぞとも言われたので、数ヶ月かけて、できるだけ丁寧に全部を描き直した。
 それがデビュー作になったんだ。

 そのデビュー作が本誌に載った頃に、社会人になった。

 就職したんだ。

 デビューはすでに決まっていて、漫画家が本業だとは思っていたけど、デビューしただけで食っていけるほどアマくないことも分かっていたから、学生時代のツテを頼って、築地の広告制作会社に就職したのだ。

 バイトにしなかったのは、自分はここからが大変だろうと思っていたから。

 丁寧に描き直したつもりでも、やっぱりボクの絵は雑で、ギリギリだったんだよね。
 ストーリーや演出の評価はよかったのだけど、絵は下手くそなままだったんだ。

 編集部では連載作家の先生方の生原稿を見せてもらえる機会もあって、そういうのを見せられる度に「あ、こりゃアカン。自分は修業不足すぎる」って思い知らされた。
 あの「あたたたっ」の生原稿持ってきて「こんくらいは描けないと」とか言われるんだから。
 敷居高すぎるよ!

 とにかくそんな具合で、スグに連載とかあり得ないんだから働かなきゃならないし、その期間が長くなりそうだったから、そうならバイトより、ちゃんと就職したほうがいいだろうって思ったんだ。

 でも、この考えは大間違いだった。

 昼間働いて夜に漫画を描けばいいって思っていたんだけど、本気の仕事はけっこう疲れる。
 社会人1年生で慣れていないから、なおさらだ。
 残業だってある。思うように漫画の時間を取れなくなる。

 それに編集部に顔を出したくても、会える時間のほとんどは勤務中だ。
 新人ごときのために深夜や休日に時間を取ってもらうわけにもいかない。

 まして作品も進んでいない。
 手ぶらでは行きにくい。
 だんだんと足が遠のく。
 ますます顔を出しづらくなる。

 会社のほうも、漫画のコトばっかり気にしていたから身が入らず失敗だらけ。
 自分でも所詮は腰掛けで本気で働く気はなかったから、なおさらダメでね。
 アッチもコッチも気まずくなっていき、全部がダメになっていくんだ。

 結局1年で会社を辞めた。
 次の仕事のアテがあるわけじゃなかったけど、このままじゃダメなままになってしまう。
 漫画のほうをあきらめるなんてことは考えられないし、それなら辞めるしかなかった。
 1年間、会社に迷惑をかけただけだったような気がする。
 本当に申し訳なかった。

 自由になったけど、元の編集部には顔を出せなかった。
 期待して新人賞に選んでもらったのに、何もできずに1年ほったらかしにしちゃったんだから。

 けれど、ボクは運はいいのかもしれない。

 同人界隈で顔の広い友人を通じてアシスタントの話が舞い込んだんだ。
 初の週刊連載を控えている先生がいて、アシを探していると。

 毎週4~5日泊まり込みで、給料は月8万。
 即座に受けた。

 泊まり込んでいる間はメシもタダで食えるんだし、電気代も水道代も節約できる。
 それならギリギリやっていける(当時の家賃は1万8千円/月だった)。

 何より自分は絵が下手なままだ。修業するにはもってこいだ。
 先方の先生の名前は全く知らなかったけど、連載を任されるんだから自分よりずっと上には違いないだろうと。

 やってみると、本当に勉強になった。自分が知らなかったことばかりだった。
 仕事がキツイとは全然感じなかった。
 もっともボクは、仮眠といって10時間寝ちゃうような図々しいアシだったから、先生は辟易してたかも。

 でも、この先生の元には数ヶ月しかいられなかった。
 連載してた週刊誌が、創刊からたった10号くらいで休刊(これもバレバレかもなぁ)しちゃって、仕事がなくなっちゃったから。

 ああ、先生はもっと先まで構想してたのになぁ。
 まだイントロさえ描けてない段階だったのになぁ。

 とはいえ、アシスタントは辞めざるを得なかったけど、ボクには多少の臨時収入もあった。

 アシをしながら別の出版社に応募した作品が、また新人賞を獲れたんだ。

 アシスタントで忙しい最中に描いたもの。
 まだ絵は上手くなってないけれど、前よりはだいぶマシ。

 それに2回、別々の出版社に持っていって、どちらも新人賞を獲れたっていうのが自信にもなった。

 上手くはないのは、よくわかっている。
 でも、やれる。自分の漫画はいつかきっと売れる。
 そう思い直した。

 その後、たまに援軍の臨時アシをしたり、アルバイトしたりしながら、月刊誌などで何本かの読切を描いているうちに、ついに連載のチャンスを掴んだ。
 再デビューしてから1年チョイくらいの頃だった。

 毎号8枚とページ数は少ないが、数多くの傑作・名作を生み出してきた老舗漫画雑誌の本誌連載。
 やっとここまで来たぞ、届いたぞ、と思ったものだ。

 でも。

 先のアシスタント先と似てるんだけど、今度も雑誌が休刊してしまったんだ。

 連載開始から、わずか8号目。今にして思うと、密かにソレが決まっていたからボクに回ってきたんだろうなぁ。
 いや、ボクもヘンだとは思ってたんだよ。ボクの連載開始と同じ頃に、雑誌の看板と呼べるような作品が次々と完結していたし、編集部には「断固反対!」とか「初志貫徹!」とかの横断幕がかかっていたし……。

 そういうわけで、ボクはまた路頭に迷ってしまった。

 いや、以前よりはずっとマシだ。
 雑誌は休刊になったとはいえ、出版社が消えたわけじゃない。
 別の雑誌が創刊されることは確実だし、そこで描けるように配慮するとも言われていた。

 以前のアシ先で出会った編集さんの紹介で、別の雑誌社で読切を描かせてもらえたりもした。
 今回の連載が中途半端に終わってしまったというだけで、前途が途絶えたわけじゃないんだ。

 けれどボクは、今までと同じやり方で漫画家を続けていくということ自体に疑問を感じるようになっていた。

 突然そう思ったわけじゃなく、まがりなりにも漫画を描くという仕事を2年ほどやってみて、ヘンだな、そういうモンなのか? と引っ掛かっていたことが、この休刊で無視できないほど大きな疑念になっちゃったんだ。

ボクの「まんが道」を考えてみた

 休刊を告げられたのは、7話目を仕上げて編集部に届けたときだった。
 それを受け取りながら担当だった副編集長が「次号で休刊」と言ったんだ。

 まさに寝耳に水だった。

 少年漫画雑誌としては有名だったから、休刊するなんて考えたこともなかった。
 それまでの人気連載陣が次々と完結したのも、たまたま時期がカブったのだろうくらいにしか思っていなかった。

 それが休刊。
 それも次号で。

 そして気付いた。
 連載作家になったからと言って、何かの契約があったわけじゃなかったんだと。

 実際、出版社と契約なんか交わしたことがない。
 連載とはいうものの、実のところは日雇いが続いているようなモノ。
 明日のことなんか全く分からないままなんだ。

 最初は、とにかく描けたことが嬉しくて、それ以外のコトはどうでもいいと思っていた。

 全国に出回る雑誌に、憧れていた先生たちと一緒に自分の作品が載る。
 出版社の忘年会にも現役連載作家として招かれ、末席に座れる。
 それだけで舞い上がっちゃう。
 夢が叶ったと、はしゃぎまくる。

 けど、よく考えてみると色々とヘンなのだ。

 例えば原稿料。
 どの出版社でも、いくらもらえるかを事前に言われたことはないんだよね。
 振り込まれて初めて自分の原稿料がいくらだったのかを知る。

 漫画の世界はそういうモンらしいのだけど、事前にギャランティが示されない、契約書も交わさないなんて、普通は考えられない。

 ていうか、ソレ法的にヤバくないのか?
 いや、編集部側だってコワくないのか?

 契約してないんだったら原稿オトしても、いきなり辞めちゃっても文句言えないじゃん。
 漫画は出版社のドル箱になってるのに、そんな不安定な状態ってオカしくないの?

 それなりに売れてしまえば、そういうのは気にならなくなるのかもしれない。

 ボクは売れるつもりでいた。
 本当にそうなるかどうかは誰にもわからないけれど、そう思わなきゃ漫画家なんか目指さない。

 でも、売れるにしても、それはいつなのか。

 才能があればすぐに売れるなどとは考えていなかった。
 歴史に名を残すような偉大なクリエイターたちだって、晩年までは認められなかったとか、下手すりゃ死後になってようやく、なんていう例はいくらでもある。

 ボクと同期の人たちだって、デビューできなかった人まで含めて、誰もが自分はイケる、ヤレると信じて投稿・持ち込みをしていたはずだ。
 中には、ホンの少し運命の歯車がズレていたら誰もが知る大作家になった者もいたかもしれない。
 もちろん、その反対も。

 未来は誰にもわからない。

 漫画界とは、そういう世界なのだ。
 自信があるなんてのは何の根拠にもならない。
 それでも、いつか売れる、自分には力があると信じて続けるしかない。

 だとしたら、一番大事なことは「漫画家であり続けること」だ。

 業界の仕組みが理不尽だろうが何だろうが、勝ってしまえばどうでもいい。
 何年経とうが、何歳になろうが、何度失敗しようが、勝つまでやめない。
 そう覚悟するしかないと思った。

 ただ、ボクはそれでいいとしても、自分以外まで巻き込みたくなかった。

 今のカミサンだ。
 学生時代からのつきあいだから、この時点で5年目くらい。
 正式なプロポーズはしてなかったけど、すでに結婚を意識していた。

 いつか売れるつもりでも、いつまで貧乏が続くかわからない。
 そんなコトに彼女を巻き込めなかった。

「芸のためなら女も泣かす」とか「愛さえあれば」とか、色んな言葉があるけど、ボクは泣かすために結婚するなんてのは絶対に嫌だった。

 彼女を自分の手で幸せにしたいから結婚するんだ。
 好きな人には笑顔でいてほしい。

 結果的に苦労をさせることになるにしても、最初から苦労前提で結婚を申し込む気にはなれなかった。

 では、売れるまで待ってもらうべきか。

 いやいや、世の中そんなにアマくない。すでに5年目なのだ。
 彼女はボクが売れるのを信じて待ってくれているけれど、人間、そんなにいつまでも待てるもんじゃない。
 愛情というのは、その愛情を保ち続けられる環境があってのことだとボクは思う。
 愛は、それを守る努力を続けなければ薄らいでいく。
 それを責めたりするのは間違いだと思う。

 ならば別れるべきか。
 漫画のためなら止むを得ないと割り切るか。

 それもできなかった。

 漫画は捨てられないけど、彼女だって捨てられない。
 というか、自分の都合だけで切り捨てるなんて身勝手だとしか思えない。
 どっちかを選ぶなんて無理。
 何としても両立しなきゃならない。

 けれど安定的に収入を得て、彼女との安心な暮しを維持しつつ漫画を続けていくなんていう虫のいいハナシは、そうそうない。
 漫画界で確実性を求めること自体、間違っているんだ。
 そういう世界に自分から飛び込んだ以上、その世界の厳しさも受け入れなきゃならない。
 今になってソレに文句を言っても仕方ないんだ。

 けれど。

 仕方ないとわかっていても、納得できなかった。

 漫画界がリスキーなのは仕方がない。
 でも、リスクを軽減する工夫はできるはず。

 少なくとも契約を交わせないとは思えないし、原稿料を事前に提示できないとも思えない。
 出版社だってプロのはずだ。作家を買う、作品を仕入れる時点で、何週分買っておくか判断できるはずだ。
 見込みが外れて打ち切るとしても、約束した分は買い取る。
 当たれば契約を更新すればいい。

 それが無理だとは思えないんだ。
 他の業界ならソレが当たり前だもの。

 ボクはわずかな期間とはいえ広告会社にいたから、広告業界でのクリエイターと依頼者の関係を見たしね。
 キチンとやれるように整備すればいいだけだと思う。

 なのに、そういうコトに取り組まないまま、ずっとやっている。

 ということは、やらなくても困らないからだろう。
 困らないのは、漫画家のなり手はいくらでもいるからだろう。

 例えばボクがデビューしたときの月例新人賞の応募者数は、月平均千人前後だった。
 1つの週刊誌の、それも月例新人賞だけで、それくらいの応募者がいたんだから、漫画界全体では(重複が多いとしても)毎年トンデモない数の応募があるはずだ。

 まして、その中からデビューできて、やがて連載を任されて、確実に食っていけると思えるほどの手ごたえに届く人の割合となると、宝くじ1等当選並みの確率じゃないかな?

 様々な出版社の週刊、月刊、別冊などを合わせても、掲載できる枠は漫画家の数よりずっと少ない。
 その少ない枠を奪いあってるわけだから、漫画界は極端に買い手が強い業界なんだよな。

 嫌なら載せない、デビューさせない。
 その一言で全て片づく。

 契約書を書いてもらえないと連載しないなんて新人が口にしたら、その瞬間に全部オシマイだろう。
「そんな面倒くさいことを言うなら別の人に回すからいいよ。バイバイ、もう来ないでね」ってなモンだ。

 社員でも何でもないんだから、一方的にクビを切っても労働基準法違反にもならない。
 もちろん失業手当も出ない。
 1つの仕事を失っただけで、職を失ったわけではないもんね(ただし、そうしたケースに対処するための漫画家組合はあるので、気になる人は調べてみて欲しい)。

 いずれにしても、よほどの大物作家ならともかく、新人ごときが文句言ってもどうにもならない。
 とにかく新人は出版社に首根っこを抑えられちゃっていて、デビューしたいなら、連載したいなら、編集者の言うことに逆らいにくいんだよね。

 そういうコトも、頭ではわかってるつもりだった。

 でも、頭でわかることと納得できることはイコールじゃない。

 漫画家を職業に選んだら、他のコトは犠牲にしなきゃならないものなのか。
 漫画家を続けながら彼女との幸せな暮しを望むのは間違いなのか。
 当たるまで、人生を賭けたギャンブルを続けるしかないものなのか。

 ボクは漫画家を続けたいだけで、何千万も、何億も稼ぎたいわけじゃない。
 普通の生活をしていければいいだけなんだ。
 そういうコトは不可能なのか。

 そこでボクは思った。

 今の漫画界で無理なら「別の漫画界」に行けばいいんじゃないかと。

 いや、そんな世界はない。少なくともボクの知る範囲には。

 でも、ないなら作っちゃえばいいんじゃないか?

 ボクは、そんな無茶なことを考えた。

 以前、ホンのわずかだけど広告制作会社にいた。
 ほとんどサボっていたけどデザイン学校にもいた。

 広告の世界は、ウケるため、売れるためなら何でもアリだ。

 あの世界で漫画を生かせないか?
 前のときは漫画と生活のための仕事の2つを追いかけて両方ダメにしてしまったけど、2つを1つに混ぜちゃえば……。

 コレだ! イケる! と思ったわけじゃない。

 邪道というか何というか、なんとなく後ろめたいような気持ちもあった。
 別の漫画界って言っても、つまりはドロップアウトだろ、踏ん張れなかっただけだろ、と言われれば、返す言葉はない。

 それでも、あのときのボクはそうするしかなかった。

 とにかく漫画を捨てない。彼女も捨てない。
 その条件でやれることをやりながら、いつか納得のいく漫画を描く。
 自分がその気持ちを持ち続けることができれば、その日はきっと来る。
 何をやっていようと、根っこに漫画を持ち続けていれば。

 そう思うことにしたんだ。

 今のボクは、それを後悔していない。

 あの決断で楽になったわけじゃない。その後もアレコレいっぱいあって、彼女に楽をさせてあげられたとは思えない。
 むしろ苦労や心配が尽きない日々だったと思う(今も)。

 それでも、あのとき、決断しなければ今の自分はなかった。
 大切な娘も、この世に生まれなかったはずだ。もう一度やり直せるとしても、やっぱりボクは同じ道を選びたい。
 カミサンと娘がいない世界は選びたくない。

 

(「広告漫画家物語02」につづく→)

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは、電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。