広告漫画の制作(1)企画&構成段階/何をどう描くかを考える

2018年1月3日

 作画について、ボクが語れることはほとんどない。

 何度も言うようだけど、ボクは描くのが苦手だから。
 同人やってるレベルの人なら、誰だってボクより画力あると思うよ。

 ただし、画力だけで漫画の良し悪しが決まるわけじゃないから、漫画としてならボクだって捨てたもんじゃないと思ってる。
 新人賞獲ってデビューしたときも、画力は合格ラインぎりぎりで、ストーリーとか演出力を高く買われてだった。
 なので、主にそっち系の能力で生き抜いてきたんだ。

 だから画力そのものについて何かを教えてあげられるわけじゃないんだけど、その画力の使い方や工夫のしかたについてなら、語れることはある。
 特に、広告漫画的な工夫についてなら、なおさら。

 なのでここでは、そういう「画力以外の、広告漫画的作劇&作画の工夫」について触れていくね。

広告対象を学び、好きになれる部分を探す

 ボクが広告漫画を手掛けるときに最初にやるのは「対象に興味を持つ作業」だ。

 なにせ、真っ白だから。
 長年思い続けてきた物語を描くわけじゃない。

 ほとんどの広告漫画では、オーダーを受けるまで、何の興味も持っていなかった題材を扱うことになる。
 今まで考えてみたこともない世界、業界、商品などが題材。描く対象について一般知識以上のモノは持ってない。
 自分とは縁もゆかりもなかったモノを描かなきゃならない。

 でも、何の興味もないままで漫画は描けない。
 漫画っぽくまとめるだけならテクニックでゴマかせるんだけど、それではボクの心が動かない。
 自分の心さえ動いてないなら、読者の心だって動かないだろう。
 つまり広告にならない。

 いや、扱う題材が十分に魅力的ならゴマかした漫画でもOKかもしれないけど、それじゃボクが嫌なのよ。
 甲斐がないのよ。単に仕事したっていうだけじゃなくて、作品描いたぞっていう充実感がないと、ボクはやってられないんだ。

 なので、まず対象について学び、自分なりに興味を持てる部分を探すことから始めるんだ。

 商品やサービスなら、それがどんなときに役立つもので、それによって購入者がどう救われるのか。
 他所の類似のモノとは、何が違うのか。
 どんな工夫や苦心が施されているのか。
 その商品・サービスを提供する人たちは、どんな想いを抱いているのか。
 あるいは抱いていて欲しいのか。

 そういうことを勉強する。
 学びながら、惹かれる部分を見つけていく。
 その企業、その商品、それに携わる人たちを好きになれる要素を見つけていくの。

 見た目通りのアタリマエのモノだけど、そのアタリマエを維持するために、こんな想いを持っていてくれたら素敵だな、とか、自分には関係ないと思ってたサービスだけど、もしもこんな状況になったら、そのサービスの存在に感謝するだろうな、とか。

 何をどう勉強しようが、一番重視するのは資料はお客にもらった資料だよ。
 そこに書かれていることが漫画で言って欲しいことのはずだから、これは重視せざるを得ない。

 だけど資料だけに頼っていると、いわばキメゼリフしか言ってない漫画になっちゃうんだよね。
 キメゼリフってのはキメのシーンで言うからカッコイイのであって、それだけ抜き出してもキマらないんだよ。

 キメゼリフにたどり着く物語を作らなきゃならないんだ。
 キメゼリフが頼もしく聞こえる状況を考えるんだ。

 ラストシーンが最初から決まっていて、そのエンディングが魅力的に感じる物語を考えていくって感じだね。
 ソレを数コマ単位、ページ単位、見開き単位というように仕掛けていって、全体としてもまとまるようにしていく。

 画期的な商品でも、画期的だというだけで売れるわけじゃない。
 画期的なおかげで消費者が救われないとダメなんだ。

 便利で楽になる、ありがたい。
 そう感じてくれなきゃモノは売れない。

 逆に、どこでも食べられるタダのかけそばでも『一杯のかけそば』みたいなドラマになっているとスペシャルなモノになる。
 そば自体はスペシャルじゃないけど、そこに込められた人情がスペシャルを生み出す。

 委ねられた題材について学び、そこから物語を生み出す。
 その商品、そのサービス、その企業や従業員が活躍するストーリーを妄想するの。
 漫画家なら得意なはずでしょ。

 色んな妄想をして、題材となるサービス、商品、企業を好きになるための要素をいくつも考えてみる。
 その中から一番しっくり来て、お客の要望にも合致している妄想を見つける。

 いつもボクはそうしているんだ。

自分のテーマや伝えたいことを見つける

 広告漫画って広告だから、それなりに制限もあるし条件も色々あるのだけど、それでも広告だけで構成されているわけじゃない。
 漫画として欠かせない部分っていうのもあるわけで、そこをしっかりやらないと漫画にならない。

 でも依頼者は、広告じゃない部分は気にしないことが多いの。
 自社のイメージを落とすような物語じゃダメだけど「それはそれでアリ」な範囲になっていれば、全体のテーマとかあらすじとか、そういう部分は作者に委ねてもらえることが多いんだよね。

 なのでボクは、けっこう自分の描きたいモノを描かせてもらえている。

 例えば、ある保険サービスを紹介する漫画を描いたときは「生きる意味」みたいなモノをテーマにした。

 その作品を手掛ける2年ほど前に、父が亡くなった。
 その葬儀のときに普段あまり付き合いのない近所のおじいさんが言った言葉が頭に残っていたんだ。

「お父さんが亡くなって不安だろう。どうやって暮しを支えるか、家族を守るか心配だろう。自分もそうだったよ心配で落ち着かない。もっと楽になりたい、苦労ばかりしていたくないと、いつも思っていた。だけどなぁ、この歳になると当時が懐かしいよ。不安で足掻いていた時代が、懐かしく思えるんだ。あれこそが生きているってコトだと思うようになったんだよ。だから頑張りなさい。みんな、そうなんだから。キミもいつかは今が懐かしく思えるから」

 おじいさんは、そんなことを言った。
 少し酔っぱらっていたから、酔った勢いで言いたいことを言っただけだったと思うんだけど、ボクは妙にその言葉が頭に残ったんだ。

 それが、保険パンフ用の漫画を描くことになったときに、フラッシュバックのように思い出されたんだ。

 そのときのパンフの主旨は「保険は長く加入するモノだから、自分の人生のカタチに合うように、年齢や状況に応じて必要なオプションを見直していくべき」というモノだった。それを説明するために、とある夫婦を主人公にして、出会いと結婚、出産と育児、子供の独立と老後といった人生の各シーンを描き、それぞれのシーンで有効な保険のカタチを見せていく。

 人生の様々なシーン。
 年齢や状況ごとの人生のカタチ。

 それが、あのおじいさんの言葉を思い出させた。

 特別な人じゃなく、どこにでもいる人。
 歴史に名を残すわけでもなく、多くの人に称賛されたわけでもない。
 良くも悪くも、特別なことは何もない人。

 だけど、そういう普通の人によって世の中は動いている。

 ただ生きる。あくせく働く。
 当人にとってはそれだけ。さほど、やりがいを感じていないかもしれない。

 それでも、そういう人が集まって世の中は動いている。
 ただ生きるってことには、それだけで意義がある。
 過去と未来をつなぐパーツに過ぎなくても、そのパーツがなければつながらない。

 生き続けることは、それ自体が大きな意義なんだ。

 今は働いていないおじいさんが、毎日苦労していた時代を懐かしく思うのは、そういうことを言葉ではなく、身体で感じていた時代だからじゃないのかな。
 苦労する、汗水を流す。それによって、どこかで自分が必要なパーツだということを感じられていたからじゃないのかな。

 自分は特別じゃないけど、それでも特別だ。
 誰もが特別だ。
 特別じゃない特別が集まって、ようやく目に見える特別が生まれる。
 特別に見える誰かも、特別じゃない大勢に支えられているから特別なんだ。

 ボクは、そういうふうに思った。
 だから、それを作品全体の背骨にした。

 そのまま自分の主張を描いたわけじゃない(そんな説教臭い広告なんか誰も読まないもんね)けど、そういう想いを込めて広告漫画を描いたんだ。

 ボクは、いつもそんな具合にやっている。
 ボクは自分の描きたい物語やテーマを掲げて、それを漫画の背骨にしている。

 見た目は広告だけの漫画に見えても、その裏に背骨があると漫画自体がしっかりしてくるんだ。
 少なくとも自分ではそう思っている。

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは、電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。