小説版イバライガー/第1話:世界崩壊の序曲(前半)
OP(アバンオープニング)
薄暗い地下室を、わずかな機器の光点のみが照らしている。
そこは研究室だった。
人がいなくなって、どれほどの時が経つのか。
その朽ち果てた暗闇の中で蠢く何かがいた。
人はいない。
人は、永遠に失われた。
だが、蠢く人型の影がいる。
人型のモノは、埃がうず高く積もったデスクに近付いた。
一枚のフォトスタンドがある。
3人の若者が笑いあっているはずだが、汚れてほとんど見えない。
影はそれを愛おしそうに見つめ続けている。
影の背後には、大きな円筒形の2つのカプセルがあった。
カプセルも埃に覆われているが、システムは稼働しているらしく、内部からのわずかな光が、その輪郭を浮き出させていた。
人はいない。
だが、影たちはいる。
影はふり返り、自分と同じ姿の、しかし決して目覚めるはずのない彼らに、そっとつぶやく。
「取り戻す……。あの笑顔を……。本当の未来を……」
そのつぶやきに呼応するように、暗闇の中に、1つ、2つと光点が灯った。
様々な計器のライトに周囲が照らし出されていく。
部屋の中央に、大きな球形に組み上げられた物体が浮かび上がった。
植物のツタのように、無数のコードやパイプが球体に絡みつき、接続されている。
影が、その球体に近づいていく。
一歩ごとに新たなシステムが立ち上がり、唸りを上げ始める。
様々なモニタにデータが走り始める。
コードの束を押しのけ、影は球体の内部に入った。
コードの隙間から、正面を見据える。
小さな部屋に見えた場所は、長いトンネル状の空間の一部だった。
そのトンネルに向かって、数本のエネルギーパイプが延びている。表面はアルミ箔のように見える何らかの金属でコーティングされているためパイプには見えないが、それはどこまでもつながってて先端は見えない。
トンネルはわずかにカーブしており、エネルギーパイプは渦巻き状に組み上げられている。
この場所は、総延長数キロに及ぶ巨大構造物の中心なのだ。
その全体が、鳴動していた。
数十年の時をかけて蓄えられたエネルギーの全てが、一気に注ぎ込まれようとしている。
絶望の中にわずかに残った、小さく儚い力を蓄え続けてきた。
多くの人々の、血と涙と悲しみを受け止め続けてきた。
この一瞬のために。
過ぎ去ったあの日のために。
影は、もう一度だけ振り返った。
カプセルの中の兄弟たち。
二度と会うことのない者たち。永遠に眠り続ける者たち。
だが、連れていく。
その想いだけは。
お前たちが見ることができなかった世界を、必ず掴む。
今度こそ守り抜く。
エキスポ・ダイナモと名付けられた影のベルトが蒼い光を放った瞬間、膨大なエネルギーが球体に送り込まれた。
周囲に光が溢れる。
黒一色だった空間が、一転して白に変わる。
その青白い闇の中に、影は消えていった。
Aパート
環境破壊、エネルギー問題などの様々な不安が広がりつつある20XX年の日本。
茨城県・筑波研究学園都市の研究機関。
一見のどかな郊外の研究所だが、その地下には国内最大の粒子加速器がある。
その加速器は、今日の実験のためにエネルギーを蓄え続けていた。
その一角。
芝生のキャンパスに、男が寝ころんでいた。
スケッチブックを片手に、ぼんやりと空を見上げている。
色々な形の雲が流れていく。
カメ……タコ……アリンコ……フクラハギ……。
ふくらはぎ?
「ナニ寝とんじゃ! オマエワ~~っ!!」
「ぐぇえぼぉおおおっ!!」
首を狩るように落ちてきたフクラハギの一撃に、シンはむせ返った。
「……ったく! せっかく特別に実験に立ち合わせてやってんのに何してんのよっ!」
まだ咳き込んでいるシンに、仁王立ちしたワカナが怒鳴りつけた。
「……おまえなぁ……、オレは部外者だから外で待ってろって、テメ~が言ったんだろ~が!!」
「あ、そうだっけ?」
ワカナは全然気にしたふうもなく、スケッチブックを拾い上げ、無造作にページをめくった。
特撮ヒーローのようなモノが何枚も描かれている。
「うっわ~~、ナニコレ? 同人?」
「同人じゃね~! ウチの研究所で計画中のヒューマロイドの図案だよっ!」
「……あのなぁ……、アンタのトコだって国家予算使ってるガチの研究所でしょ。こんなマニアックなモン、作るわけがないでしょ。クビにされちゃうよ?」
「うっせぇ! ヒューマロイドってのは、こ~じゃなきゃダメなんだよ! オレ的に!」
ワカナはシンの魂の主張をカンペキにスルーして、スケッチブックをめくり続けた。
稼働部、内部構造など、設計図に詳細なデータが書き込まれている。
「それにしても、こんな妄想ができるほどヒューマロイド開発って進んでるの?」
「ああ。もっとも今の段階じゃ稼働システムは未完成だし、そもそも、こいつを動かすだけのエネルギー源もどうしていいか分からないんだけどな」
「なんだ、やっぱ単なる妄想か」
「妄想言うな! だから無理言って今日の実験を見学に来たんだよ。もし感情エネルギーが発見されたら、こいつの動力になるかもしれないからな」
この研究所では、次世代エネルギー開発の一環として精神エネルギーを量子化する研究が進められていた。
実験チームのリーダー・ティクス博士は、生命体の思念エネルギーに注目し、仮想粒子「エモーション」の発見を目指して、精神エネルギー増幅システム「エキスポ・ダイナモ」を開発。
そしてこの日、同システムと連動した粒子加速器を使い、史上初の「精神エネルギー検出実験」が行われようとしていたのだ。
「絶対見つかるって! アタシだって、ず~っとエモーションを見つけるために博士を手伝ってきたんだから」
「そこが不安なんだよ。博士はともかく、ワカナの計算とかイマイチ……」
「なんだとぉ!」
「もっともナッちゃんのほうは優秀だから、心配ないだろうけどな」
「うるせぇ!!」
ワカナは、シンの顔面にスケッチブックを叩き付けた。
「……って~なぁ」
ボヤきながら立ち上がったシンを尻目に、ワカナは実験棟に向かって歩き出している。
「早くしろ~~っ! 実験始まっちゃうだろ!」
「ったく……」
小走りで追いついたシンに、ワカナがふり返る。
「それで……、そのヒューマロイド、何て名前なの?」
「……IBALIGER……イバライガーさ」
ティクス博士の助手として研究に従事していたワカナとナツミは、忙しそうに機器の最終セッティングをしていた。
この実験が成功すれば、世界が変わる。
「コーフンしちゃうよねぇ!」
「そんな余裕ないわよ。とにかくミスは許されないんだから……」
「大丈夫よ。私たちはともかく、ティクス博士たちは何年も準備してきたんだから」
「……それよりシン、ほっといていいの?」
ナツミがふり返る。
地下4階に及ぶ巨大な粒子測定器。
極小という言葉でも表現できないほどの素粒子を見つけるために、これほど巨大なマシンが必要なのだ。
その、仏教のマンダラ図を思わせる測定器の後方、3階ほど上の特殊ガラスで遮られた一室がゲストルームであり、その窓に大勢の見学者に混ざってシンの姿が見える。もちろん、直接声は届かない。
「い~の、い~の。ゲストルームに入れてあげただけでも特別すぎるんだから」
「…………」
シンが見ている。
それがナツミを緊張させた。
自分にとっても、この実験は大事なものだ。
その大切な時間にシンがいる。
幼なじみ。
一緒に育ち、ともに科学の道を目指した。
いや、彼が科学を目指したから、自分もそれを追いかけたのかもしれない。
シンはヒューマロイド開発の研究へ、自分は素粒子物理学の道へと研究ジャンルは分かれたが、それでも夢は重なっていると感じていた。
そんな彼が、自分の大切な瞬間に立ちあっている。
ワカナが、シンに手を振った。
シンが笑い返している。
ナツミも軽く微笑み返して、再びコンソールに向き合う。
そうだ。
シンは、もうこのヒトのものなんだ。
ワカナの……親友の彼氏。
私たち3人は、仲良く一緒にいられれば、それでいいんだ。
ティクス博士とともに、大勢の研究者たちが部屋に入ってきた。
いよいよ、始まる。
超電導加速空洞を通じて、巨大なエネルギーが粒子加速器に送り込まれる。
これまで検出されなかったエモーション粒子が存在するとすれば、それはヒッグス粒子をも上回る高エネルギー領域にあるはずだった。
その領域……人間には知覚できない領域にアクセスするには、凄まじいエネルギーが必要なのだ。
「感情の……エネルギー……」
測定器と、そこで働くワカナたちを見下ろしながら、シンは思わずつぶやいた。
感情エネルギーの発見とは、仮想粒子「エモーション」を見つけるということだ。
それは宇宙を膨張させている力と考えられている「ダークエネルギー」の一種なのかもしれない。
ダークエネルギーは、全宇宙のエネルギー量の約7割を占めていると考えられている正体不明の力だ。
人類がこれまでに知っている物質やエネルギーは、全宇宙のわずか5%ほどに過ぎず、それ以外に約20%の「ダークマター(暗黒物質)」が存在し、残りの70%がダークエネルギーだ。
宇宙は、人間には知覚できない力が満ちあふれている。
我々の知らない世界のほうが「自然の本当の姿」なのだ。
その力は、今も我々の周囲に存在している。
見ることも、感じることもできない途方もないエネルギーの中に、この宇宙はあるのだ。
自分が関わっているヒューマロイドに、そのエネルギーを利用できるとすれば、その性能は計り知れないものになるだろう。
それは恐ろしくさえ感じるほどだが、その可能性に魅せられてもいる。
本当のヒーローを生み出す。
バカげた夢想ではあるが、今や、それが現実となりつつあるのかもしれない。
スケッチブックの中の夢は、ワカナやナツミたちの研究によって、手触りすら感じられる生々しいものに変わりつつあるのだった。
静かな唸りを上げる加速器の中に、宇宙誕生の原初にしか存在し得ないほどの高エネルギーが注ぎ込まれた。
直径1キロ、円周3キロもの巨大施設の全てをフル稼働させる実験だが、見た目には何ごともない。
ただ、それを行ったという事実があるだけで、派手な光も音も動きもないまま実験は進行し、終わる。
それでも測定器の中心部には、ミクロと呼ぶのもオーバーすぎるような極小の点が、一瞬だけ生まれていたはずだ。
その点の生成から消滅までの刹那に起こる事象を、可能なかぎり記録するのが実験の目的だ。
様々な粒子が生まれては消え、別の粒子へと変化していく過程。
爆発で生まれる数兆もの破片の全てを一瞬でロックオンするようなものだ。
ワカナは、モニタの表示に目をこらす一同から離れ、壁際で見守っていた。
実験がスタートするまでの準備が自分の役目。
すでに実験は始まっている。
いや、始まった瞬間に終わっている。
今はもう、自分が関われる段階ではない。
ナツミはモニタの前に座って手伝っているけれど、私の役目は終わった。
後は計測したデータを延々とチェックする日々になる。
全てをチェックし終わるまで、何年かかるかもわからない。
そういう地味な日々こそが自分たちの日常。
派手な実験など、滅多にない。
だからこそ、この場に立ち会えたというだけでも、大きなことなのだ。
声が上がった。何かの反応があったようだ。
ワカナも思わず駆け寄ったが、人々の背中に遮られてナツミのいるモニタ周辺は見えない。
見えなくても想像はできた。
恐らくは小さな、一般人なら見落としてしまいそうな、わずかな揺らぎ。
その小さな反応に研究者たちの目が集まっているはずだ。
ティクス博士の予見通り、未知のエネルギーを感知できたのだろうか。
本当にエモーション粒子を捉えることができた?
ナツミが操作するモニタに、さらに研究者たちが駆け寄り、ワカナは後ろに押し出された。
コングラッチェとかアメイジングといった声が飛び交う。
何とかしてモニタを見たかった。
力にも素早さにも自信はある。人々を押しのけて割り込むことは難しくない。
けれど、目の前に集まっているのは、世界各国を代表する研究者たちなのだ。
ここはオジサンたちに遠慮するしかなさそうだ。
あきらめて後ろに下がり、ゲストルームを見上げた。
ゲストルームに集まった人々も興奮気味に喋り始めているようだ。
その喧騒の中にシンが見える。ガラスに張り付くように、こちらを見ている。
微笑み返した。気付いたかな?
ていうか気付けよ。
このワカナさんが微笑んであげてるんだぞ。
本当は抱きあって喜びたい。
でも無理。
今夜はきっとパーティ。たぶん夜中まで飲む。今日はもう、ゆっくり会える時間はなさそう。
そんなコトはシンだって分かってるはずだよね。
だからさ、今見てよ。気持ちだけでいいからギューってしてよ。こら、気付け。気付けってば。
背後から、再びどよめきが上がって、ワカナの妄想はストップした。
そんなにスゴイ何かなの?
私も見たいなぁ。やっぱ割り込んじゃおうかな。
と、見えないはずのモニタに振り返って、ワカナはギョっとした。
全員が、こちらを見ている。
ええっ、何で? ワタシまだ何もしてないのに?
いや、違う。
研究者たちの目は、測定器を見上げている。
指さして、何か叫んでいる者もいる。
思わず振り返った。
測定器が小刻みに振動している。なんで?
実験は終わったはずなのに。いや実験中であっても、こんな動きをするわけがない。
故障?
人々の隙間からナツミが見えた。
緊迫した表情で、必死にコンソールを操作している。
その隣りでモニタに見入っていたティクス博士が叫んだ。
「そんな……そんなバカな!」
そのとたんに、背後から凄まじい音が聞こえた。
測定器の振動が大きくなり、スパークし始めた。
何が何だかわからない。
でも、ただごとじゃない。
ワカナは飛び出した。
人々をかき分ける。何人かは肘で打って、力ずくで押しのけた。
ナツミの元へ駆け寄る。
「ナツミ! これ、どういうこと!?」
「分からない……! そんなハズないのに……!!」
モニタを見る。
エモーションのエネルギーが、予想を超えてふくらみ始めている。
あり得ないことだった。
この加速器はエモーションを感知するだけだ。
エネルギーそのものを抽出することはできないはずなのだ。
それでも……エモーションは、信じがたい巨大なエネルギーとして暴走し始めていた。
「ダメ、止まらない!」
測定器が大きく振動し始めた。
ダメだ。もうすぐシステムの耐久限界を超えてしまう。
エモーションが……未知の粒子が、所内に噴出し始める。
「ナツミ、逃げるの! 早く!」
「で、でも……」
周囲では研究者たちが我先にと逃げ始めていた。
エモーションがどんな特性を持ったエネルギーなのかは、まだ誰にも分からない。
だが実験によって発生した様々な放射線もある。
それらは、確実に人体に有害なのだ。
ナツミがゲストルームを見上げた。
ワカナも、その視線を追う。
シン。
逃げ惑う人々の中で、ガラスを叩いて、何か叫んでいる。
このままでは彼も死ぬ。
彼は部外者なのに。私が巻き込んでしまった。
ダメだ。私たちは逃げちゃダメ。
シンを、シンを助けなきゃ。何としても止めなきゃ。
「シン……逃げてぇえええええええ!!!」
ガラスに遮られて聞こえないが、そう叫んだのはわかった。
シンは駆け出した。
バッカやろぉおお!!
階段を駆け降り、逃げてくる人々をかき分け、実験室に飛び込む。
ワカナとナツミが、泣きだしそうな顔でシステムと戦っている。
ティクス博士は、ただ一人、ぼう然と測定器を見上げている。
叫ぶ。
システムが唸りを上げ、アラームが鳴り響く。
何も聞こえない。
うるさすぎて静寂。
無理やり二人を掴んで、引きずり出す。
博士ぇっ!!
だが、声は届かない。
博士も振り向かない。
叫びあう。
振動がさらに大きくなる。
ドアを蹴り開け、二人を追い立てる。
背後から追いかけてくる唸り。
いくつめかのドアを潜って、ようやく言葉を交わせる程度に音が戻ってきた。
「ダメよ! 戻らなきゃ!」
「バカやろう! あそこにいたら死んじまうぞ!」
「でも、このままじゃ……!」
「研究所全体の主電源を切るんだよっ! ナッちゃん、案内してくれ!」
「博士が……博士がまだ……」
実験室に戻ろうとするナツミの頬をシンはひっぱたいた。
頬をつたう涙が、シンの手のひらにヌルっとした感触を残した。
それをジーンズで拭う。
ワカナがナツミを抱きしめた。
「ナツミ、行こう……。博士を助けるためにも主電源を止めよう……」
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