再会/イバライガーの復活(再掲載/2009.09執筆)

2017年12月31日

このコラムは、ボクの公式サイト(www.urutaku.com)上で以前に公開していた「イバライガー観察日記」という連載コラムに掲載していたものを抜粋・一部改定して再掲載したものです。

マトモじゃね~ことが起こってる!

 ずっと連絡を取り合っていなかったBOSS氏から、突然連絡が来たのは、2009年の9月だった。

 日曜日の夕方近く。
 近郊で撮影があるのだけどカメラが足りないから、来てくれないかということだった。
 あの事件から、すでに1年が経過しており、最後に彼等に会ってから8ヶ月以上の時が流れている。

 ひさしぶりの再会。
 今までどうしていたのかな。

 復活したことは知っていたけれど、実はボクは、WEBやブログ等でイバライガーの活動をほとんどチェックしていなかった。
 見ても仕方ないと思っていたし、忙しかったし、BOSS氏もセンセイ氏もいなくなって、今いち乗り気になれなくなっていた部分もある。

 でも、そのいなくなったはずのBOSS氏からの連絡が。

 知らないスタッフがちらほら……というより、かなり大勢いたものの、基本的に彼等は変わっていなかった。
 イバライガーは「イバライガーR」に生まれ変わっていたが、他は一緒(に見えた)。

 このときは手早く撮影して現地で別れたのだけど、すぐ後に、別の撮影に立ち会うことになった。
 飲酒運転撲滅のポスターを作るための撮影会である。
 カウンタックをバックに撮影して、それを改造し、ポスターにしたいということだった。

 この一件から、ボクはイバライガーに様々な形で関わるようになっていく。

 以前にトライクの画像を加工してあげたことはあったが、あのときは単なる画像処理だけで、ビジュアル・デザインではない。
 使用目的もはっきり分かっていなかったから、ただ写真を要望通りに加工しただけだ。

 でも、今回はポスターの依頼。
 正式に「仕事」としてのオーダーだから、今度こそ本格的にイバライガーのグラフィックデザインに取り組むことになる。

 ボクは特撮やアニメが大好きだ。
 そして大好きだからこそ、チャラいものは嫌い。
 技量によってクオリティには差が出るけれど、本気で取り組んでいるんだと感じられないモノは大嫌いなの。

 だから本気で作った。
 イバライガー劇場版のつもりで。

 さて、この件は本当に仕事としてのオファーだったのだけど、ボクは請求書を出さなかった。
 ウチのスタッフまで使って、他の仕事を引き延ばしてまでやったのだけど、それでも請求書は出さなかった。

 いや、出せなかった。

 引き受けたときには気付かなかったのだけど、彼等は本当に苦しい中で活動していたことが、だんだんと見えてきてしまったのだ。
 そして、目の前にさらに大きな問題が迫っていることにも。

 それは、ボクが、いや普通の人なら、イバライガーなんか捨てて逃げ出すのが当然のような問題だった。
 だが、BOSS氏は、それに立ち向かうつもりのようだ。

 おい、分かってんのか?
 マトモじゃね~ぞ?
 本当に、その決断でいいのか?

 正直、この頃までのボクは、代表だったBOSS氏よりもセンセイ氏と親しくて、BOSS氏とはじっくり話し合ったりしたことはなかった。
 話す前に表舞台から消えてしまっていたという感じで、それっきりになっていたのだ。

 でも、BOSS氏が向き合おうとしている問題は、センセイ氏が消えてしまったことに大きく関係していたのである。

そ~だったのか!復活の裏側!

 ここでボクが離れていた間に、イバライガーに起こった事を書いておこう。

 以下は、ボクが知る範囲のことで、当事者ではないため正確じゃない部分もあるかもしれない。
 また、BOSS氏、センセイ氏以外の固有名詞等は伏せさせていただく。

 代表者の逮捕という大きな不祥事から、わずか半年足らずで精力的な活動を再開したイバライガー。

 ボクには、それが不思議だった。
 ヒーローの危機に、理解者、支援者が集まってきていたことは、昨年末の福祉イベントで知っている。
 だが、その大半は学生を中心とした若者たちであり、資金、コネクション、マネジメントなどの全てにおいて、本格的な行動ができるとは思えなかった。
 イバライガーの火を消さない、それが精一杯だったはずなのだ。

 なのに2009年春には復活ライブを開催し、茨城出身の特撮ソングのカリスマ「宮内タカユキ氏(この方の名前は伏せなくていいよね)」による主題歌CDまで発売している。

 さらにTシャツ、リストバンドなどの本格グッズ。
 BOSS氏もセンセイ氏も、極貧に耐えながら活動を続けていたはずで、どう考えても、それなりのスポンサーがいなければできることではない。

 ボクが後日になって知った経緯は、以下のようなものだった。

 2008年夏、東京の広告代理店が接触してきたらしい。
 イバライガーに注目し、スポンサーというか、ようするに、その会社の所属タレントにならないか、といった話だったようだ。

 イバライガー側としては即答は避け、契約条件などについて検討していたようだが、その最中に前述の不祥事による活動休止が起こった。
 代表者でありイバライガーの創作者でもあったBOSS氏は、イバライガーを守るためにも活動から身を引かざるをえなかった。

 そして窮地に陥ったイバライガーは、広告代理店の申し出に応じた。
 イバライガーの商標権を広告代理店に譲渡し、活動再開を任せたのである。

 これを受けた広告代理店は、同じタイミングでイバライガー支援を申し出てきた学生たちを中心にした団体「茨城ヒーロープロジェクト(IHP)」と契約し、イバライガーを名乗る代表権をIHPに預け、活動資金や給料を提供した。

 これが短期間での活動再開の事情だったわけである。

 なお、このとき広告代理店に譲渡したのは「商標権(つまり時空戦士イバライガーというコトバ)」のみであり、デザインなどの意匠権やコスチュームなどの所有権などの権利はBOSS氏のものなので、BOSS氏の許可なしで広告代理店がイバライガーとして活動することはできない。
 BOSS氏自身は裏に回り、表向きの全てを代理店とIHPに委ねることになったが、それでも最大の権利者であることには違いはない。

 こうして新体制での活動が再開されたのだが、そのやり方は、これまでとはまるで違うものだった。
 その、あまりにもビジネス的な状態に、それまでイバライガーを支えてきたセンセイ氏は反発したようだ。

 これを書いている2010年12月現在、ボクは彼と再会していないから、姿を消した本当の理由は分からない。

 だが、これまでの苦労や思いを知らない連中が突然「IHP」を作り、代表を名乗り出して「情熱を注いで自分たちが生み出したヒーロー」を好き勝手にしていることに納得できなかっただろうことは想像できる。
 ヒーローになってはしゃぐ姿に、我が子を奪われたような絶望を感じたかもしれない。また活動が、単なるビジネスの道具になっていくのも堪え難いことだったかもしれない。

 いずれも、ボクが彼の立場だったら、そう感じただろう。
 ボクも以前に心血を注いだプロジェクトを奪われ、潰されたことがあるから、ある程度はわかるつもりだ。

 だが、ボクはギリギリのところで「人は、決して失われないものを持っている」ことに気づけた。ボクが失ったと思い込んでいた多くの人に、それを気付かせてもらえた。

 ボクは何も失っていなかったのだ。
 これまでに作ったもの、描いたものじゃなくて、人々はボクという個人の作り出していくものに期待してくれていた。
 過去の実績なんてモノは、しょせんは通り過ぎたモノでしかなかった。

 そして、ボクがこれから生み出していく「ナニカ」は、ボク個人と切り離せない。
 誰にもそれを奪うことはできないんだ。

 ボクは、それを多くのお客様や仲間に気付かせてもらえた。
 おかげで、今こうしてイバライガーに関われて、ボクの夢も、まったく色褪せずに続いている。

 ただ、それにそれに気付けたのは後になってからのことだ。
 少なくとも、そのときは絶望したものだ。

 センセイ氏もそうだったのではないだろうか。
 実際、不祥事、体制の急変といった一連の変化の中で、彼は鬱のような状態になっていたとも聞く。

 彼は、当初は新体制下で手伝っていたようだが、いつしか消えていったという。

 風の便りによると、彼は今も元気に本業で働いているらしい。
 おそらくはイバライガーに打ち込んでいた頃よりも、ずっと生活はよくなっているだろう。

 でも、その心は癒されたのだろうか。

 ボクには、センセイ氏が「あのときボクを救ってくれた人々と出会えなかった自分」のように思えてしまう。
 勝手な思いだが、そう感じてしまう。

 センセイ氏に会おうと思えば、たぶん、いつでも会える。
 BOSS氏は、距離は開いてしまったものの、今も彼とのパイプを保っているようだし、遠くに引越したわけでもないようだ。

 だが、ボクは彼を訪ねていない。

 もう一度、戻っておいでよ。
 そう言う事が正しいかどうか、自分でも分からない事だからだ。

 分からないくせに、今会えば、ボクはその言葉を口にするだろう。
 それは彼を苦しめるだけかもしれないのだ。

 経緯はどうあれ、新たな道、新たな夢を歩む事も、1つの正解だ。
 何が正しいのかは正に相対的で、誰にも分からない。
 ある人にとっては大会社の社長よりも浮浪者のほうが幸せだということもあり得る。

 それに今のイバライガーの状況が、センセイ氏の思いとは違う可能性も十分にある。
 内部で関わっていれば、そこまでの経緯にも関わっているから「今の状態」であることを受け入れられるだろうが、外部に出てしまえば、別の視点になるからだ。
 これも相対的なことで、やはり何が正解かは誰にも分からない。

 ……いや、そういうのは理屈だな。
 単に彼に会う勇気が出ないだけだ。

 彼が今も思い悩んでいるとしたら、その傷に触れたくないし、きれいさっぱり忘れているとしたら、その寂しさと向き合いたくない。
 そういう身勝手さが、彼と会っていない理由なんだ。

 でも、いつか再会したいとは思う。

 今はまだ、お互いに「かつて」を引きずりすぎているけれど、いつかは「かつて」が霞んで「これから」がはっきり見えてくるはずだ。
 そのとき、会いに行こう。

 そして、またカラオケでアニソンを競い合いたい。
 そう、お互いにジジイになってるくせに熱血ソングを歌いまくってさ。

 血管がブチ切れて絶命したって構わない。それはそれで見事なピリオドだよね。

 その日まで、ボクは変わらずにいられるのかなぁ。

2018年追記

 センセイ氏が消えた後、イバライガーの世界観、シナリオなどはIHP時代に加わった新たなスタッフが担当することになったが、そのスタッフも2011年にちょっとした不祥事を起こして消えてしまった。

 ボクがそうした部分を担当し補填していくようになるのは、それからである。

(本当はもっと前から関わりたかったけど、ボクはあくまでも外部の協力者に過ぎないから、余計な口出しは避けてたんだ。でも、このときには設定やストーリーなどを担当する者がいなくなっちゃったから、それなら……と)


 残念ながら今のイバライガーには、センセイ氏が考えていた当時の世界観、ストーリーはほとんど反映されていない。
 現在のものは「イバライガーR」として再デビューしてからのもので、それは、それまでのイバライガーをなかったことにする前提のものだった。 
 センセイ氏のビジョンはほとんど含まれておらず、キャラクターの位置付けも根本から違う。

 ボクはその後を受けて現在のイバライガーの世界を整えていったわけだけど、それでもボクはセンセイ氏に敬意を払いたかった。

 一緒にアニカラを歌った夜に、やり取りしたメール。
 熱く語り合ったお互いの物語。

 ボクはそれを取り戻そうとして、イバライガーの設定、世界観の再構築に取り組んできた。

 今現在、ボクは小説版のイバライガーを書き続けている。
 そこには、センセイ氏のアイデアもいくつか組み込ませてもらっている。
 そのまんま……というわけにはいかなかったけれど、彼が考えていたことをボクなりに再解釈して、物語の大きな部分に生かすことにしたんだ。

 あれから9年。

 今のイバライガー世界は、センセイ氏が考えていたものとはまるで別物だけど、彼が残してくれたガチンコの熱量は今も息づいている。

 彼の「濃さ」に負けないものでなければ、ダメだ。
 ボクはそう思っている。
 そうでなければ、彼に顔向けできないから。
 

 


※個人情報や固有名詞はできるだけ伏せていますが、やりとりしたメール文面などは原文のママです。

 


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