イバライガーがいない日々(再掲載/2009.05執筆)
このコラムは、ボクの公式サイト(www.urutaku.com)上で以前に公開していた「イバライガー観察日記」という連載コラムに掲載していたものを抜粋・一部改定して再掲載したものです。
苦しい時こそ、牙を研ぐべき
2009年。イバライガーと関わらない日々が続く。
そう、センセイ氏が突然いなくなり、BOSS氏も表舞台から消えて以来、ボクはイバライガーから遠ざかっていた。
描こうとしていた「地域向けイバ・コミック」も凍結になり、まったく別の地域コミックを手掛けていたこともあるし、連載作品が増えたりして忙しくなっていたせいもある。
けれど一番の理由は、あの不祥事から、まだ数カ月しか経過しておらず、この段階で積極的に動くのは軽はずみに思えたからだ。
年末のイベントで復活したかのように見えても、調子に乗って売り込んだりできるような状況とは思えなかった。
反省の姿勢を示す事だって大事だ。
ここは時間がかかっても、慎重になるべきところだろうと思ってもいた。
つまり、今年は大きく動く事はないだろうと判断していて、それで会いに行ったりもしなかったのだ。
ボクがイバライガーに協力していることを知った幾人かから、イバライガーをイベントに呼ぶことについて相談を受けたこともあったが、ボクは基本的には仲介することをお断りしていた。
彼等がどう考えているかは分からない。
でも、まだ世間は不祥事のことを忘れてはいない。
イベント主催者が「良し」と思っていても、どこからどんな批判が噴出するか、分からない。
ボクとしては、世間がそろそろ許したい、受け入れてやりたいと思うようになるまで、水かさを溜めておきたいと思っていた。
人間は、そういつまでも誰かを許さずにいることはできないものだ。
できれば「そろそろ許してやらなきゃ、こっちが辛い」と人々が感じるくらいになるまでは、じっと我慢したほうがいい。
そこまで踏ん張るのは大変なことだけど、あの不祥事を関係者は周囲以上に重く受け止めなきゃいけないし、それは頭を下げればいいってモンじゃない。
頭は何度下げてもタダだ。
辛くても軽々に動かない、そういう態度で示さないと、誰も納得はしないだろう。
ボクは彼等が復活することを心から望んでいたし、その日が早く来てほしいとも思っていたが、ここで焦ってはいけないと思った。
だから、あえて断り続けた。
それにオファーを検討していた人々も「今は彼等の株は急落しているだろうから、タダ同然で呼べるんじゃないの?」といった軽い気持ちでいることが見えていたのもある。
苦しい時こそ、牙を研ぐべきだ。
一度キャンと鳴いてしまうと、もう犬としか扱われなくなる。
一度犬だったものが「実は狼だよ」と言っても、それが本当のことでも、人は反感を覚えるものだ。
苦しくて仕事がほしくて、キャンと鳴く。当面はそれで仕事にありつけるが、相手はボクの足元を見ているだけだ。
いや、その相手が悪い奴というわけではない。ボクが仕事が欲しいあまりに自ら「見下ろされる場所」に立ってしまっただけなのだ。
そういうキャラとして売り込んでしまったと言い換えてもいい。
相手はボクの態度を見て「そういう人だ」として接するようになる。
ところが、それなりの力をつけると急にキャラが変わるわけだ。
ボクからすれば本来の状態に戻そうとしているだけだが、相手にはキャラが変わったとしか思えない。
そりゃ反感を持つよな。
背に腹は代えられない、といった事情でキャンと鳴く。
そういうことを何度も経験して、その最後は必ず寂しい思いをして、積み上げた関係が壊れていく。
裏切られた、騙されたと、いつも思った。
でも、そういう状況を作っていたのはボクのほうだ。
それまでのボクの接し方が、そうだったのだ。
そういうことが何度もあって、ボクは気をつけるようになった。
尊大な態度は避けつつ、でも言いなりにはならない。
どんなに苦しくても、相手が本当に自分を認めるまでは、踏ん張らなきゃ。
え、認めてくれなかったらどうするかって?
そりゃ、その人とは縁がなかったということでしょ。
告白したけど断られたってことだもん。
しつこく追い掛けても嫌われるだけだから、あきらめて次に行くよ。
一度離れたほうがうまくいくってコトもあるしね。
仕事の関係も恋愛も同じようなモンなんだ。
信用しあって良好な関係を築いていくには、犬に見られていてはいけない。
どこまでも狼でいなければならないんだ。
あ、言っとくけど狼だって忠誠心はあるんだから、むやみに噛み付いたりはしないよ。
相手のためにならないことでも従ってしまうタイコモチじゃないというだけ。
ボクの仕事はマンガやデザインや企画を考えることで、仕事相手は一緒にコンテンツを作るパートナーだ。
相手を尊重し信頼しあってこそ、良質なコンテンツが作れる。
タイコモチになっちゃダメなんだ。
まして、イバライガーの相手は世間だ。
依頼者は特定の個人でも、実際には世間全体に対してキャンと鳴くことになる。
それをやってしまったら、本当の再起は遠のくだけだ。
ボクは彼等を、そんなみじめなヒーローにはしたくない。
どんなに苦しくても、今は耐えてもらうしかない。
そう思って、ボクは軽い気持ちのオファーは丁重にお断りして、彼等にも伝えなかった。
自分が当事者だったら耐えられるかって?
そんなモン、無理に決まってる。
というよりボクには、あれだけのヒーローを立ち上げる事すら出来はしない。
ましてや、逆境からの復活なんて考えたくもないね。
でも、ボクに無理でも、あいつらならできるんだ。
彼等は「イバライガー」なんだから。
だが、後になって知る事になるが、ボクの予想よりもずっと早く、イバライガーは「イバライガーR」として復活し、新たな体制で新たな活動を始めていたのだった。
そんなイバライガーと、再び関わるようになるのは、2009年の秋が近付いた頃である。
りこうなふふくじゅう
またしても余談の追記になるが、ボクは近頃の仕事で、とある元保育士の方(女性で専務さん)から「りこうなふふくじゅう」という絵本を紹介された。
盲導犬の話で、まさにタイトル通りの内容。
その方はボクの仕事ぶりが「りこうなふふくじゅう」だと言ってくれた。
その仕事ではずいぶん逆らったし、色々ズバズバと意見も言った。途中、関係が険悪になりかけたこともある。
でも、最後にはちゃんと分かってくれた。
この言葉は、本当に嬉しかった。
ボクは「りこう」ではないと思うし、言っていることが間違ってる事もあると思う。
でも、だからといって「服従」しようとは思わない。
少なくとも自分の専門分野では依頼者よりも勉強しているという自負はあるし、意見は交わしたほうがお互いに理解し合えて、作品の出来もよくなることが多いからだ。
ボクは常に成果を目指して仕事をする。
仕事のための仕事なんかはしたくない。
勝つために、やるんだ。
だから負けそうだと思ったときにはドンドン意見する。
間違ってしまったときには、ひたすら謝り、できれば再チャレンジを申し出る。
勝つまでやめない、というつもりでやってこそ信用になるし、実際、勝てないと思ったこともないんだよね。
ほんの少しの可能性しかないときでも、少しあるんなら、その気でやろうと。
いつもガチンコ。
それだけで人は信じてくれる。
ボクはそれを何度も体験してきて、だからイバライガーにこそ「りこうなふふくじゅう」になってほしいと思っている。
正義のヒーローとしてね。
※個人情報や固有名詞はできるだけ伏せていますが、やりとりしたメール文面などは原文のママです。
※このブログで公開している『小説版イバライガー』シリーズは電子書籍でも販売しています。スマホでもタブレットでも、ブログ版よりずっと読みやすいですので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです(笑)。