広告漫画は広告か漫画か?

2017年12月28日

 広告漫画は広告するために描かれる。

 だから大きな意味では広告だ。
 文字や写真で表現する代わりに漫画で表現した広告、ってことだからね。

 だけど、広告になってれば漫画はどうだっていいというモンじゃない。
 ていうか、どうだっていい漫画を描くのはつまらない。
 そんな漫画を描かされて、しかも広告にして世の中にバラまかれるなんてのはもっと嫌だ。

 だからボクは面白い広告漫画を目指す。

 普通に漫画として面白い広告漫画を描くことは可能だと思ってるし、そうしてこそ広告主にも寄与して、漫画家にとってもやりがいある仕事になると思うからね。

広告と漫画じゃなくて広告漫画

 広告漫画を定義するのって難しいんだけど、仕事としては広告だと思うべき。
 広告としての機能が果たせてなかったら、もう仕事こなくなっちゃうし。

 だから、広告主である依頼者から「これだけの情報を伝えてくれ」と言われたコトをちゃんと盛り込んで、しかも読者が好意的に感じてくれるように描かなきゃならない。
 ソコだけは絶対に外せないのだから、第一条件は「広告として役立つこと」なんだ。

 ただ、広告になっていれば漫画はどうでもいいってモンでもないよ。
 ソコがどうでもいいのなら、何も漫画にしなくてもいいはずだからね。

 まず第一に広告ではあるんだけど、同時に漫画としてもそれなりに読めるモノになってないと、広告としての仕事も果たせなくなっちゃうのよ。
 そもそも「こんな商品が出ました!」「こんな機能があります!」「こんなにお買い得です!」「さぁ、お店へGO!」なんていうだけの、中身がない漫画なんか描いてても面白くないし、読みたいとも思わないでしょ。

 依頼してくるお客さんだって、わざわざ普通の広告よりもコストかけて漫画の広告を作るからには、それだけのナニカがなきゃ。
 漫画家にギャラ払うために広告作ってるわけじゃないんだから。

 だから広告漫画は、やっぱり漫画でなきゃいけない。

「広告」という条件を満たした漫画が広告漫画ということで「広告と漫画」じゃなくて「広告漫画」なんだ。

普通の漫画も、実は広告漫画かも

 とはいえ、普通は広告のコトなんか考えて漫画描かないから、厄介に思う人も少なくないかもしれない。
 広告のために媚びてる漫画なんて邪道だって感じる人だっているかもしれない。

 でも、ボクはそう思ってないし、そんなに厄介だとも特別なコトだとも思ってないんだ。
 なんせ、多くの漫画家が「広告漫画としても読める漫画」を描いてるもん。

 例えば、ホテルマンを描いた石ノ森章太郎先生の『HOTEL』。
 あのホテルは架空のものだけど、実在するなら、あの作品は間違いなく広告漫画だ。

 羽田空港の人間ドラマを描いた『ビッグウイング(原作:矢島正雄、作画:引野真二)』などは、実在の空港が舞台だから、本当にそのまま広告漫画として機能しちゃう(事実、後に出たコンビニ本バージョンでは『羽田空港物語』に改題されていた)。

 他にも、どんな乗り物でも乗りこなしてしまうスーパードライバーの主人公の活躍を描いた『D-LIVE(皆川亮二)』には、毎回実在する様々な乗り物が登場し、主人公と共に大活躍する。
 これも各メーカーにとっては広告漫画そのものだろう。

『こち亀』だって、ほとんど業界漫画になってるエピソードがたくさんある。

 同じような感想は、岩明均先生の『雪の峠』を読んだときにも感じた。
「あ、コレ、秋田市の広報漫画になってる」と思って、秋田でまちづくり活動をしている知人に教えたら、大喜びで何冊も購入して、市の商工会や図書館に寄贈したらしい(笑)。
 未読で広告・広報漫画に興味ある人がいたら、ぜひ読んでみることを勧める。
 別に広報のために描かれたわけではないだろうけど、読んだら秋田市を魅力的に感じること請け合いだ。

 こうした例はたくさんあるはずだ。

『巨人の星』だってジャイアンツの広告漫画と見なすことができるし『ファントム無頼』ですら、航空自衛隊の広報になっているはずだ。
 実際、以前に百里基地を取材させていただいたときに、ファントム無頼を読んでパイロットになったという方にお会いした。
漫画と同じようにフットバーを蹴っ飛ばしたかったのに実機は違う。騙された」とおっしゃっていたなぁ(笑)。

 そもそも漫画って特定の分野を題材にしたり、特定の場所を舞台にすることが多いでしょ。
 なので、何でもかんでも広告漫画と見なすことだってできるんだ。
 だからこそ人気作品で扱ったジャンルがブームになったり、舞台となった土地が「ご当地巡礼」で賑わったりするんだから。

 結局、広告か広告じゃないかは、作者が広報を意識しているかどうか、実在企業が出資しているかどうかの違いだけかもしれない。

 そういう意味では「それなら実在企業に出資してもらってコラボすれば、普通の漫画のまま広告漫画をやっていけるじゃないか」とも思うのだけど、どうも出版社はソレをしたくないらしい。
 これは、実際に前述のような漫画を描いていらっしゃる先生にお聞きしたことなんだけど。

 まぁ確かに、出資してもらっちゃうと版権や作品自体の扱いにも影響してくるだろう。
 お金を出す以上クチも出すってコトになって、色々と面倒くさいだろうことは予想できる。
 下手すりゃ単行本出せない、文庫化できない、アニメ化できない、続編禁止といったコトも考えられる。

 そこまで行かなくても漫画家の原稿料分を出資してもらった程度で、後々までアレコレとヒモ付きになるのは商売としてやりづらいだろうから、取材協力くらいに留めて出資までは頼まないんだろうなぁ(コレはあくまでもボクの想像だけどね)。

 けど、広告漫画が企業とのコラボ作品だってのは、間違いないと思う。

 漫画の側から見れば、実在する企業から直接、依頼と出資を受けて描く作品ということだ。
 実際の企業や商品やサービスが登場し、主人公と共に活躍する作品。

 一方、広告側から見れば、笑わせる、感動させるなどのドラマと企業や商品をコラボさせることで、広告対象に付加価値を与える広告ということになる。
 そういう効果を狙える、非常に興味深い広告手法。

 そういう両面を持っているのが、ボクが考える広告漫画だ。

 だから漫画自体は特別なモノじゃないと思っているし、コラボのしかたによっては、たくさんの広告主を集めて連載を支えるといった方法だって可能なんじゃないかと思っている。

 普通のテレビ番組のように「この漫画の提供は……」と、スポンサーになってもらうことだって考えられるし、『ビッグウイング』や『D-LIVE』のように劇中の舞台や小道具として特定の企業や商品を登場させるっていうのだってアリだろう。

「来週号では、主人公がついに告白する見せ場になるんですよ。そこで、その告白の舞台にお宅のお店、いかがですか?」とか「御社のロゴを主役のTシャツにプリントしますよ」といった、その場その場でのコラボだって可能かもしれないよね。

 こういうことを考えるようになったのは、もう30年も前のこと。

 かの珍作として名高い超B級作品『アタック・オブ・ザ・キラートマト』の2作目でネタとしてやっているのを観たときだ。
 1作目でもオープニングやエンディング、さらに劇中のテロップで広告が出てくるギャグが多々あって、全部ネタだけどボクは「これ実際にやれるんじゃないか?」と思ったんだよね。

 他にも『モンティ・パイソン』シリーズや『ケンタッキー・フライド・ムービー』などのバカ映画のネタが、後に意外なビジネスアイデアにつながったことはけっこうあるんだ。SFがどんどん現実化しているように、ギャグも現実化しつつあるのかもしれないな~(笑)。

普通の広告では伝えにくいことでも漫画ならできる

 広告漫画でないと扱いにくい広告情報ってのもあるんだ。

 ボクは漫画だけじゃなくて、広告デザイナーとしても25年以上やっていて、漫画とは関係ない普通の広告も日々作っているのだけど、普通の広告に盛り込みにくいのが店主や店員やお店に集まる人々ってヤツ。

 これって商品やサービスを選ぶ上では、意外に重要な要素だと思う。
 同じモノを買うなら、あの人から買いたいっていうのは、あると思うんだ。

 ウチの近所には4つのセブンイレブンがあって、どの店も基本的な品ぞろえは似たようなモンなのだけど、ウチでは、その中の1つを「マルのセブンイレブン」と呼んで、できるだけソコで買っている。
 娘が幼児だった頃に、そう呼んで「出来るだけマルのお店で買おう」って言ってたの。

 4つの中では一番遠いんだけど、元は農家だったご家族で経営していて、素朴で一所懸命なところや、小さなお嬢ちゃんがレジにチョコンと座ってお手伝い(家に一人で置いておけないんだろう)していたりする微笑ましさが好きで、ついついソコを選んでしまうんだ。
 お客の顔をちゃんと覚えていて、ボクがチラッとタバコの棚を見ただけで、いつも買う銘柄を出してくれたりするのも嬉しい。

 他にも、大して美味くもないコーヒーしか出さないんだけど、店主の人柄やお店の居心地が気に入って足を運んでしまう行きつけの喫茶店などもある。

「相変わらず、この店のコーヒーは不味いな~」
「だったら来なきゃいいだろ」
「不味いのに来てる客に向かってそ~ゆ~コトを言うか」
「口の減らない奴だな、そんなコト言ってるから漫画が売れないんだよ」
「ほっとけ!」

 ってなモン。
 こんな感じで地域で親しまれて営業しているお店はたくさんあるはずだ。

 こういうお店の場合、最大のウリはそうした雰囲気や客との関係性そのものであって、ランチがいくらとか味がどうとか、そういうことじゃない。
 だから広告するなら、そのウリの部分をこそ伝えたいのだけど、これが普通の広告では難しい。

「主観的な価値観」っていうのは、普通の広告には記載しにくいんだよね。

 店主を登場させて「自分はいい人ですよ~」って本人に言わせても胡散臭いだけになってしまう。
 あまりフレンドリーを押し付けても客は引いちゃうだろう。
 それで結局「ランチいくら」の広告になり、店の本当の魅力はアピールできてないままになっちゃうんだ。

 けど漫画だと、自然とそう感じさせる演出・構成も可能だ。

「美味くもないコーヒーしか出せない店」なんか、直球で広告したら客なんか来るわけがないけど、お店の居心地を感じさせるような漫画だったら、全く違う展開にできるかもしれない。

 架空のお客(主人公)の視点で描けば、第三者評価的に描写することもできるし、そういう漫画を読んで「あ、こういう雰囲気いいな」って思った人だけを集めることもできるから、顧客の絞り込み=ターゲッティング広告にもなる。

 ま、これは1つの例で、他にも「漫画だからできること」は、いくつもある。

 長々と説明だけを読まされるよりも、登場人物たちの会話形式にしたほうが感覚的に理解しやすいってコトもあるし、漫画のキャラクターがやることだからと、多少無茶な展開にしちゃうことだってできるからね。

 普通の広告は基本的に即物的で、モノやサービスそれ自体のコトしか盛り込めないことが多いのだけど、本当は目に見えない価値……お店が持っている「ドラマ」こそが一番の魅力という例だって少なくないはずなんだ。

 そうした、普通の広告が苦手とする部分にスポットを当てられるのが漫画の力。

 同じことは小説でも映像でもやれるんだけど、小説だとなかなか読んでもらえないし、映像作品にするのも色々と厄介。
 本格的なCM作って流すには莫大なお金がかかる。
 本人出演でユーチューブで流す程度なら低予算でやれそうだけど、それじゃ結局、当人が「オレってイイヤツ」を演じてることになって胡散臭いままだし、お客まで出演させると肖像権とか色々ややこしいし、それらをクリアしてもロクに演技もできない素人芝居には違いないし。

 だから広告漫画の出番なんだ。

 いつも通りの広告情報を漫画にするだけじゃなくて、お店や会社が持っているドラマっていう強力なコンテンツ=目に見えない価値を上乗せしてあげられるところが、漫画の力なんだと思う。

 なので、広告対象の魅力的な部分を見出して、それを作中で表現してあげられれば、描くものは何でもいい。

 SFでも、ファンタジーでも、スポーツものでもいいんだ。
 結果(広告としての反響)さえ出せればOKなんだから。

 広告っていうと色々ウルさいように感じるだろうけど、案外そうでもないんだよ。
 ウルさくないわけじゃないけど、ウルさいポイントが違うから、漫画自体は自由にやれちゃうこともけっこう多いんだ。

「思うようにやれない」の中から、やれるチャンスが生まれる

 ただ、仕事の現実として考えると、自由にならないコトもすごく多いから、思ったようにやれるというわけでもない。

 連載作品のように十分なページ数をもらえることは稀で、せいぜい数ページ、ときには1ページや4コマ。そのくせ具体的な商品やサービスの紹介を必ず盛り込まなきゃならなかったりするから、そういう部分にスペース取られちゃってロクにストーリーを展開できないことは珍しくない。
 基本的に広告のほうは削りにくいから、どうしても漫画のほうを我慢しなきゃならなくなるしねぇ。

 ボク自身も、じれったく思うことが多々ある。

 あと1ページもらえれば、いやいや半ページでもいい、それで「漫画にしただけの広告」じゃないモノを描ける、広告漫画の本当の力を見せられると思っても、それが出来ない。

 全力出したいのに出せない。
 そういうことがずっと続くようなモンで、たまに「うぁあああ!!」って叫びたくなったりもする。

 けど、そういうジレンマの中で足掻くことが「仕事」だとも思う。

 思うようにやれないのと、最初から考えてないのは全く違う。

 例え1コマしかなくても、ドラマを作ろう、付加価値を生み出そうと思っている人と、そうでない人では作品のレベルはまるで別物になるし、広告・広報としての成果も違ってくる。

 一所懸命イイモノ(あくまでも広告漫画としてイイモノ)を目指してやっているほうが、広報成果も上がりやすい。
 そして成果が出れば、それが自分の評価となって、次のチャンスも得やすくなる。

 そうして、足掻いていると、たまに「やれた!」と思える作品が生まれたりするんだ。
 お客が十分な予算を用意してくれたり、ボクのやろうとしていることをわかってくれたりして、任せてくれることが。
 そういう仕事に巡り合うときがあるんだよ。

 そんなときは、いつも嬉しくなっちゃう。
「リミッター解除!」ってなモンで、思わずはしゃいじゃう。

 いや、そういうときでも広告は広告なんだから、好き勝手に漫画だけ考えていいわけじゃないんだけどね。

 あくまでも「広告漫画」として本気出していいってことなんだから、そこだけは忘れない。
 依頼者にとって漫画は手段であって目的じゃないんだから。
 手段が目的を邪魔するわけにはいかないんだ。

 それでも、十分な予算とお客の理解があれば、先の『HOTEL』や『ビッグウイング』や『D-LIVE』みたいな「広告にもなるけど普通の漫画としても十分に読める作品」を目指すこともできるんだ。

 広告漫画は、まず第一に広告でなければならないから、どこまで行っても「広告漫画」だ。
 広告と漫画じゃなくて「広告漫画」だ。

 だけど、普通の漫画と変わらない部分だって、ちゃんとある。

 そして、本気で広告漫画に取り組み続けることで、本気を出せるチャンスは増えていく。
 本気出して上手くいった事例が増えれば増えるほど、お客に理解してもらいやすくもなる。

 広告用の漫画では、漫画家的に納得できない、理不尽と感じるようなコトが多々あるとは思うけど、それに倦んだりせずにコツコツと続けていけば、いつか本気出せる日が来ると思うよ。

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは、電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。