某学会で広告漫画について特別講演したときの話

 以下は、2015年2月に、研究者(バイオ系)の学会で、特別講演させていただいたときの原稿。

 ボクの漫画を広報に使っていただいた研究者の方が「漫画での広報」というものに強い興味を持ってくださり、他の研究者の人たちにも伝えてあげたいから、みんなが集まる学会で話してくれと、ボクに講演依頼してくださったのだ。

 まぁ、あくまでも研究者の学会なのだから、漫画の講演なんてのはノイズに近い。
 どれだけちゃんと聴いてくれるかも怪しいし、講演時間も朝イチの一番集まりの悪い時間ではあったのだけど、それでも大勢に話す機会がもらえるのはありがたい。
 そのときにちゃんと聴いてくれなくても、レジュメなどで後で読んでくれるだけでもありがたい。

 というわけで、二つ返事で引き受けさせてもらった。
 15分くらいで行ける近郊が会場だったし、最低限の「謝礼」も用意してくださったしね(笑)。

 なお、以下に掲載したものは原稿であって、一字一句この通りに喋ったわけじゃない。トークは原稿でまとめた要点を踏まえつつ、実際にはアドリブ。
 講演などをやるときには、いつもそうなんだけど、演台にノートパソコンを置いて原稿を表示させておき、それをチラ見しながら喋るんだ。表示文字サイズは40ptくらい。そのくらい大きくないとチラ見では把握できないし、ずっとうつむいてパソコン見てるわけにもいかないからね。基本的には聴衆のほうを、それも1人ひとりを見回しながら喋るように心がけている。
 このときはかなり大きな会場だったので、後ろのほうの席の方までは見えなかったんだけど、それでも1人ひとりを意識するのって大事だと思ってる。かつて大学で漫画の非常勤講師をしてたことなどが役立ったな~~(笑)。

 

スポンサーリンク

イントロダクション

 皆様、はじめまして。
 広告漫画家の「うるの拓也」と申します。

 ボクは元々は普通の漫画家と同じように少年ジャンプという雑誌でデビューしまして、その後、紆余曲折あって、今では主に広告・広報用のマンガをたくさん手掛けています。

 代表作は、このつくばの北のほうにある「高エネルギー加速器研究機構(KEK)」で2008年から毎月1話ずつ連載している「カソクキッズ」で、そうしたお仕事の1つとして、畜産草地研究所でも研究内容を紹介する「ガイドコミック」を手掛けさせていただいています。

 そんなボクが何でこんなトコで喋っているかといえば、昨年秋から年末にかけて、ガイドコミックの特別編として「クローン」についてのガイドマンガを描かせていただいたからです。公開はまだこれからですが、とにかくそういうご縁でここにおります。
(注:このときはクローン研究関連の学会だった)

 さて、今回は「マンガを通じた体細胞クローン研究のリスクコミュニケーション」というお題をいただいてお話させていただいているのですが、はっきり言って、体細胞クローン研究だろうが、市町村の情報だろうが、どこかのお店の特売のお知らせだろうが、マンガを広報に活用する上で留意すべきことは同じなので、そのことについてお話しさせていただきます。
 ボクは漫画家であって、体細胞クローン研究の専門家ではないので、そちらについては語りようがないですから(笑)。

 なのでアタリマエのことしか言いませんが、意外に気付いていないことが多い話だとも思いますので、しばしご静聴いただけますと幸いです。

 

漫画でわかりやすく、は誤解

 今回お話しするのは、研究紹介や広報などにマンガを活用する際のことについてです。

 世間に溢れている「普通のマンガ」については、今回は触れません。
 マンガ業界で食っていこうというのでもなければ、それは楽しむだけでいいですからね。

 昨今はとにかく世の中にマンガやアニメが溢れています。
 政府ですら「クールジャパン」などと言って、マンガを世界に向けてPRしようとしていたりしますし、学術ジャンルでも、学会でのプレゼンテーション用にマンガを利用するといったケースがあります。ボクも以前に、そうした研究発表用のマンガを手掛けたことが幾度かあります。

 まず最初に言っておきたいのは「マンガなんか読んで知識が身に付くわけがない」ってことですね。(会場笑)

 ボクがKEKで連載しているカソクキッズは、学研さんから「マンガでわかる素粒子物理学」というタイトルに改題されて出版されていますけど、これは出版社がそういうタイトルを付けたというだけで、ボクは「マンガでわかる」なんて考えたこともありません。
 ボクとKEKで作っているのは、あくまでもカソクキッズという作品ですし。

 この例だけでなく、世の中にはたくさんの「マンガでわかりやすい」があるのですが、実際にはマンガは、他の解説・広報手段と比べてわかりやすいわけじゃないですし、効率も良くはありません。何せキャラクターやらストーリーやらといった、解説には本来なくても済む要素が山ほど入っていますから。

 マンガの情報量自体はかなり多いのですが、解説・広報はその一部に過ぎなくて、ボリュームの割には解説に回せる量はさほどでもないのです。
 先のカソクキッズは、毎月12~15ページくらいで描いていますが、解説だけを文章にまとめたらA4用紙1枚に収まってしまうでしょう。

 それに、ボクはマンガだけでなく、一般の広告や広報物も数多く手掛けています。
 ですので全ての広告制作者の名誉のためにハッキリ言いますが、そもそも全ての広告物はわかりやすいように作っているんですよ。
「わかりやすさ」だけを考えるなら、普通の広報物のほうが断然わかりやすいんです。
「マンガでわかりやすい」は誤解なのです。

 

わかりやすさの正体は、親しみやすさ

 では、マンガは何がいいのか。

 それは「とっつきやすさ」あるいは「親しみやすさ」です。

 マンガというのは非常に視覚的で、またストーリーがあるから読みやすい。
 例えば新聞の4コママンガ。アレを毎朝楽しみにしている方もいるかもしれませんが、例えあまり興味がなくても、つい目を通してしまうというところがあります。自分の興味の対象かどうかを判断するより早く読んでしまっている。
 マンガだと、そういうことが起こりやすいわけです。

※ただし、新聞4コマの場合は、あの短さも重要な要素です。アレが何十コマもあるような長いものなら、そう簡単には釣られないでしょう。短いということは広報では大きな武器でもあるわけです。
 余談ですが、新聞の記事下にマンガ形式の広告を出すという広告企画があるのですが、これは新聞の編集部にはあまりいい顔をされません。マンガは、マンガであるというだけでつい目を向けてしまうため「紙面を全部持っていかれてしまって困る」のだそうです。

 マンガの最大の武器は、その読みやすさなんです。

「とっつきやすい」から、ついつい読んでしまう。ストーリーやギャグに惹かれて読んでいるウチに、いつの間にか解説も読んでしまっている。マンガ自体が面白ければ、それは楽しい体験として記憶に残る。そこで扱っていた科学情報も一緒に「楽しさの一部」として残る。

 これがマンガの広報ということです。

 マンガはわかりやすさに長けているわけではないけれど、普通の記事や文章では、面倒がって読まない人でも、マンガにすると「ついつい」読んでしまう。
「読まないから全く分からなかった人」が「読んだから少しはわかる」になる。

 これが「マンガでわかりやすい」と言われていることの本当の部分ですね。
 普通の方法では届かない相手に届くというのが、マンガの力なんです。

 つまりマンガを広報に活用するというのは、普通の論文や記事では届かない、振り向かない相手に向けて……ということなのだと思います。

 まぁ、本当に全く興味がない人を振り返らせるのは至難なのですが、興味があるとしても、その欲求はそれほどでもない軽いモノ……というくらいにはイメージしておくべきでしょう。そうでなければマンガにする必要がないんですから。

 

広報はアウェーが前提

 ですが、こうしたことを理解してマンガを使った広報や科学啓蒙が企画されているわけではないことが多いのが実際です。
 マンガなら親しみがあるだろう、マンガならわかりやすいかも、と、漠然と期待しているケースが多いんですね。

 でも、広告や広報物を作るときに最も気にすべきことは、その広報物に接する読者は、どのような状態かという部分なんです。

 読者が、書かれている内容に強い興味を持っていたり、それを読む必然性があるのなら、伝えるべきことが伝わるように記載されてさえいれば、それで十分です。
 読者の知識レベルなどによって表現や文言には工夫しなければなりませんが、そうした部分にさえ留意してあれば、その広報物は一定の成果を出すでしょう。
 学会や科学専門誌、科学イベントなどで発表する、というのはこのケースですね。

 イベント会場に足を運ぶ、本を買うといった行動は「それを自ら選んだ」わけです。
 代価を支払ったりもしているわけで、当然、その代価に見合うだけの結果を求めている。つまり「相手がこちらの話を聞くはずだ」という前提がある。
 それがアタリマエなんです。

 けれど読者が、その広報物に書かれている内容に何の興味も持っていないとしたらどうでしょう? また、その知識がなくても困らないとしたら? 

 無料の配布物や偶発的に接したものは、それを選んだわけじゃないんです。
 くれたから受け取っただけ、といった程度。

 普通のコンテンツというのは、読者がそれを求めてくれているからこそ成り立つのですけど、広告や広報の、それも無料配布物では、そういう前提が成り立たないことが多いわけです。先に言ったように「そのジャンルに興味がないのに、ついつい読んでしまう」ような行動を期待するのであれば、なおさらです。

 科学に興味がない人とは、ファッションには雑誌は読んでも、科学雑誌なんかは読まない人です。ディズニーランドには行くけれど、科学イベントには行きません。それで困っていません。クローンに関する知識がなくても日々の生活に支障はないし、生産者のことを知らなくても焼肉は食べられるのです。

 そして、社会全体としては、そういう人のほうが圧倒的多数です。
 何かの科学イベントで何千人の来場者を集めて大盛況と言ったところで、それは人気アイドルのライブの十分の一にも達していない。
 科学の情報には振り向いてくれない大多数を何とかして振り向かせない限り、科学の裾野は広まっていきません。

 この「読者には読みたいというモチベーションがない可能性」を意識することは、マンガで科学知識を語る上でもすごく大事です。
 マンガでようやく科学に触れる人たちがどういう人なのか、それを想像して描かないとダメなんです。

 ボクは科学の世界の方々が、研究で得た知識を社会に還元するために様々な取り組みをしていることを知っています。
 一般の人にもわかりやすく語れる方もいらっしゃいます。

 けれど、多くの方が「世間の人々は科学を知りたがっているはずだ」というように思いすぎているようにも感じるのです。

 学校の教室にいる子供は、必ずしも高い勉強意欲を持っているわけではありません。
 イマイチその気になれない子も少なくないはずで、しかも学ばなくても困らないとなればなおさらです。
 世間を相手にするというのは、そういうことなのです。

 一般公開などで、こちらのフィールドに踏み込んできてくれたとしても、その多くは「楽しみに来た」だけです。ディズニーランドに行って、いちいちアトラクションの裏方まで聞きたくないというのと同じ。

 子豚を抱っこしてカワイイとは思っても、その子豚を育てるためにどんな工夫をしているかには、さほど興味は持っていない可能性のほうが高いのです。
 施設を公開する側は、そうした裏方を知って欲しくてやっていても、世間は「そこまで聞きたくない」と思っているかもしれないんです。

 少なくとも、世間がそうである可能性をちゃんと理解し、そういう相手をどうやって振り向かせるかを考えていないと、元々科学好きだった一部の人たちだけの反応しか出て来なくて、しかしそれを世間の反応と勘違いするといったことが起こりかねないのです。

 伝えようとする題材に対して、ネガティブな人を相手にせざるを得ない。
 それがマンガ広報が必然的に向きあわなければならないことなのだと、ボクは考えています。

 先も言いましたが、そういうアウェーだからこそ「マンガで」という部分があるのは間違いないことですから。
 アウェーであることは前提なんです。そこから逆転しなければ失敗なんだと考えています。

※こう考えるのは、ボクが一般広告も多く手掛けているからですね。
 広告っていうのは、基本的にCMタイム、トイレタイムであって、スポンサーはCMこそを見て欲しくて番組にスポンサー料を払っているのだけど、消費者はそこは見たがらない。そういう場でどうやって見てもらうかに工夫を凝らすのが広告企画で、僕にとってはアウェーはいつもの前提なんです。広報マンガの場合も、これは同じだと考えているわけです。
 読者は、こちらが提供する話題に、大して興味は持っていない。マンガで、お手軽で面白そうだから読んでみたというだけ。広報マンガというのは、広報する側からすれば、広報が主でマンガが従なのですけど、読者のほうは逆なわけです。「マンガだから」で読み始めて、結果的に「広報」の部分も知ってしまうわけです。

 

詳しいからこそ、引かれてしまう

 こうした読者の状態は、コンテンツ構成に大きく影響します。

 農研機構でもKEKでも、毎年、一般公開を行っています。
 そのときは、正しく一般人が大勢やってきて、研究者の解説を聞いたりしています。

 けれど……時々見かけるんですよ。
 詳しすぎて引かれている光景を。

 研究者は熱心に説明しているのだけど、聞いているほうは「もうそのへんで……」「そこまで聞いてないし……」って顔になっちゃっていて、でも熱心に話してくれているから、仕方なく付きあっていて、話が途切れるのを待って「あ、ありがとうございました~~」と逃げるように去っていく。
 そんな光景を何度も見ました。

 つまり詳しすぎてもダメだと言うことです。

 元々が軽い気持ちですからね。ちょっとしたウンチク程度なら面白がってくれるけれど、マニアックなところまで行くと逃げちゃう。
 誰でもそういうものです。

 そして今までの自分の経験から言うと、研究者が「こんなモンはまだまだマニアックじゃない」と思ってるところが、すでに相当マニアックなんですよ。

 こういうコトは、固めれば1粒でしかないクスリをコップ一杯のジュースに溶かして、ようやく飲んでもらえるという感じなんです。
 クスリだと気付かれてしまう量では、もうダメ。
 研究者さんは、精一杯のサービスのつもりで10粒くらい出してくるんだけど、固まりじゃ飲まないし、かといってコップ10杯も一度に飲めないんです。

 ね、マンガって全然、効率的じゃないでしょう。

 でも、マンガで薄めているからこそ、少なくとも1粒は飲ませられるというのがあります。
 そして、その1粒に慣れたら、徐々に増やしていく。
 そういう、回りくどいやり方になるのですが、そうだからこそ「全く飲まない人」を「少しは飲める」に変えていけるんです。

 一度にたくさんを押し付けない。知識がないことをバカにしない。
 知識を与えることより、面白いよ、楽しいよ、という体験を与える。
 それが大事だと考えています。

 

一般人と専門家の前提のズレ

 他にも、前提のズレというのもありますね。

 科学講演などで研究者さんが「皆さん、ご存知のように……」といったフレーズを使うシーンがありますよね。「皆さん、ご存知のようにヒッグス粒子とは……」「ご存知のようにクローンとは……」といった具合に。

 でも普通の人は全然ご存じじゃないんですよね。

 例えば、ヒッグス粒子の発見は2012年に世界的なニュースになり、一般新聞の1面トップ記事にもなりました。
 そういう意味では一般知識なんですけど、科学好きでもない人にとっては、そんなモン玄関を出たら忘れてるモノなんです。
 何でもかんでも覚えていられませんから。

 なので「一般常識と思えるものでもご存知じゃない」っていうのを前提にしないとダメなんですね。

 でも専門家であればあるほど、これは見落としがちなようです。
 その人にとっては、あまりに基本的・日常的すぎて端折っちゃうんですね。

 でもソレは、たし算の理屈さえ分かってない子供にかけ算を教えようとするようなモノで、前提が分かってないから聴衆はポカーンとしてしまい、それでいて講演者自身はソレに気付いていなかったりするんです。

 分からないことは気軽に質問してくださいと言ったとしても、聴衆のほうは「何がわからないのかがわからない」という、堂々巡りになっちゃっているんです。
 だから最後に質問タイムを設けても、質問が出ない。
 出ないから分かったんだと思っちゃう。

 もちろん、わかった人もいるでしょうけど、過半数の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんだままなんですよ。
 そういう光景も何度も見てきました。

 そして、そういう体験をしてしまうと「やっぱり科学は専門家のモノで、自分たちはお呼びじゃないんだ」と思ってしまう。
 せっかくの講演がアダになりかねないわけです。

 知識を理解するには、その前提となる知識が必要で、その前提の知識にも前提が必要ですが、元々が興味が薄いのだから、研究者とは「前提」に大きな開きがあるのです。

 このくらいは一般常識だろうと思うことでも、それは「研究者同士の間での一般常識」であって、世間全般じゃない場合も多いのです。
 けれど、研究者ご自身は、それになかなか気付けない。それこそ「何処がわからないのかわからない」になってしまうわけです。

 こうした溝を埋めるのも、ボクらの仕事だと考えています。

 マンガを使うというのは、科学の言葉を一般用語に置き換えて、なおかつ学問ではなくレジャーとして楽しませることで、その話題に慣れ親しませていくということです。知識を披露しても、それを聞こうと思っていない人には届かない。雑音と同じなんです。

 知識を語る以前に、こちらの話に耳を傾けてもらえる状況を作らなくてはなりません。
 そうした部分を補うのがマンガやイラストの役目です。

 だからボクは、マンガを描くときには、そうした部分にとても気を使います。

 研究者や監修者が「ここまで言いたい」と言っても、それが読者が受け止められる範囲を超えていると感じたら、意見します。

 大事なのはマンガにすることそのものではなくて、広報に貢献するという成果だと思うからです。
 漫画家としてはマンガそのものを大切に思っていますが、それでも広報という場所では、マンガは手段であって目的ではないはずなのです。

 それをわかった上で、どのような成果が出せるかを検討し、そこを目指す。
 もちろん、マンガとしての面白さを損なわずに、です。
 そのためにはどうするかを考え、意見させていただいています。

 マンガで伝えるというのは、科学で呼びかけたら決して振り向かないはずの人々に、マンガという全く別の形で呼びかけて、楽しませて、その楽しさと知識を混ぜゴハンにして、知らずしらずのうちに味わわせて、美味しい、おかわりと言わせてしまうようなコトなんです。

 食わず嫌いな人たちに、ちょっとずつ科学の美味しさに気付かせていく。
 それがボクがマンガでやっている事なんです。

 

好き嫌いがはっきり区別される前に

 こうした問題をマンガでどう解決していくか。
 それがボクのテーマで、そのために試行錯誤を続けてきました。

 ボクが手掛けさせていただいている作品のほとんどは、解説などの記事部分がある場合でも、それも含めて全部を任せていただいています。

 素粒子マンガだろうと、クローンマンガだろうと、一般的な広告マンガであろうと、いずれにしてもボクは、そのジャンルの専門家ではないのですが、そこはあまり気にしていません。サッカー漫画を描く人はサッカー選手ではないし、料理マンガだって同じです。

 マンガのほとんどは何かの専門ジャンルを題材にしていて、専門外のことを取材し、勉強して、専門家にも納得してもらえるように描くというのは漫画家の基本的な仕事なんです。だから素粒子でもクローンでも同じですね。

 元々が専門家でない、素人だからこそ気づけることがある。
 それがマンガという広報の武器になってるところが大きいです。読者と同じ視点で考えられますから。
 自分が学ぶ過程そのものがコンテンツになりえるわけです。

※ただし、信じてもらえないことは多いですね。
 KEKなどの場合、扱う題材は世界最先端の物理学で、そんなものを一介の漫画家が理解してまとめられるわけがないと思われちゃうんですよ。新聞などに取り上げられて取材を受けたことも何度かあるのですが、その度に「原作:KEK」「作画:うるの」となっていて、いくら言っても信じてくれない。まぁ、実際ボクは高校時代、物理は万年赤点でしたから、信じてもらえなくても当然なんですけど。
 ただ、ボクとしては自分のことより、素人同然のボクに身を任せる決断をしたKEKのすごさを伝えて欲しいと思っています。もちろん農研機構もです。自分の専門分野を誰かに任せる不安を乗り越えてくださった方々のおかげで、広報マンガは生まれているのです。そこが大事なトコなんですが、そういう部分を取材してもらえることは滅多にないんですよね……。

 そういうわけで、ボクはボク自身が学んでいく過程をそのままマンガに置き換えていくことが多いのですが、その結果というか、先のKEKの連載マンガ「カソクキッズ」に関して、ちょっと興味深い例があります。

 一般公開や科学イベントなどで読者の皆さんと触れ合う機会があり、親子でご来場されている方とお話しすることも多いんです。

「ウチの子は理科が苦手だったんですが、このマンガを読んでから大好きになって、今では通知表も5なんです」とおっしゃってくれる親御さんがいました。
 お子さんもキラキラした目で話してくれて、まだマンガに描いてない科学情報について論議になることもあります。

 マンガがきっかけになって、独自に学び始めている証拠ですね。
 こういうとき、ボクはとても幸せな気持ちになります。マンガやっててよかったなぁと。

 でも、それだけ作品を評価してくださっている親御さんのほうは、読んでないんですよ。
 素晴らしいとは言ってくれるのですが、それはお子さんの成績が良くなったからで、作品そのものをご自身で読んでいるわけじゃないんです。

 サイエンスカフェなどにも大人に混じってお子さんが参加されていることがあって、そういうときには親御さんが付き添いで同席されているんですが、お子さんは宇宙の神秘に目を輝かせていても、親御さんは居眠りしてたりするわけです。
 いや、貴重な休日にそういう催しに付きあうっていうだけでも、素晴らしい親御さんではあるのですけど。

 でも、こうした今までの体験から言えば、子供はちゃんと読んで楽しんでくれるけれど、大人は自分の興味あるジャンルでないものは最初から読まない傾向が強いと感じています。

 たぶん、子供にとって世の中は、自分の家族のことも、学校の友だちのことも、宇宙の彼方のことも、まだはっきりと色分けされてないのでしょう。
 一方、大人になると自分に関係するものとしないものがハッキリと区別されてしまっていて、関係ないと思うものは食べない。子供には与えても自分では関わらない。
 どうやら、そういう傾向があるんじゃないかと感じています。

 このことは科学啓蒙の上で、非常に重要なのかもしれません。
 子供のうちに、ある程度科学に親しむ機会を与えておかないと、成長してからでは食わず嫌いになりがちなのかもしれないからです。

 

マンガでの科学広報のポイントは学ぶ素地を育むこと

 子供時代に与えるべきものは、知識ではなくて体験であるべきだと、ボクは思っています。

 科学を楽しんだ体験。
 それがあれば大人になっても科学知識を敬遠しなくなるのではないかと。

 実際、ボク自身もそうですから。

 ボクはカソクキッズという世界最先端の素粒子物理学を扱うマンガを連載していますけど、高校時代は物理は万年赤点でした。
 でもSFやマンガやアニメを楽しんでいて、そこに出てくる科学ウンチク(大抵は正しくはないけれど)も楽しんでいました。積極的に学ぼうとまではしなかったけれど、科学は楽しいんだろうなと感じていたわけです。

 だから今になっても学べるし、本気で学べば楽しいんです。
 科学者になろうと思っているわけじゃないから、数式などはわかりませんし、そこまで踏み込もうとも思っていないのですが、研究や理論の意味、そうしたモノがもたらすことについて思いを馳せるのは、非常に楽しいことだと感じています。

 学ぶことは、いつからでもできるのです。
 学ぶということに慣れてさえいれば。

 だからマンガの仕事は、そういうモノを受け止められるようにする素地を作る、ということだと考えています。

 わからせるのではなくて、興味を持たせる。
 つまりキッカケを作ることですね。それが最も重要なのだと、ボクは考えています。

 今すぐわからなくていいわけですよ。
 研究者の皆さんだって、何年も研究してきたことがマンガをパラパラ読んだだけで分かられてたまるかって思うでしょ?

 興味を持ちさえすれば、わからなくていいんですよ。
 学校の教科書は全然覚えられない子でも、その何倍も分厚くて、ものすごく複雑なゲームの攻略本は、あっという間に暗記したりするんですから。

 KEKでの例も、科学に夢中になってくれた子には、素粒子物理学もポケモンみたいに楽しいことに思えているってことですから。
 そうなってしまえば、マンガなんかいらない。マンガは、そうなるためのステップなんです。
 その部分が抜け落ちていたのを穴埋めしているだけなんです。

 こうした考え方は、ボクが今までの経験から学んだ独自のもので、KEKで連載を始めるときにも、監修いただく研究者の皆さんと何度も話しあい、納得してもらって描かせていただいています。

 これまでの科学啓蒙のしかたとは、かなり違うし、楽しませるためとはいえ、ギャグだらけで悪ふざけのようにも見える。
 公的機関が行う企画として本当にそれでいいのかという声もあったんです。

 でも、ボクは描くだけではなく、結果を出したかった。ちゃんと貢献したかったから、何度でも語って、理解を求めました。
 そして1年ほど連載した後、その成果が研究者の方々にも見えてきました。

 KEKでは全国各地の小中学校などに「出前授業」をやっているのですけど、その訪問先でカソクキッズを読んで科学好きになった子と出会うことが増えてきたんです。先の「理科が5になった子」のような例が全国で生まれていて、それで本当に理解してくれて、今のような長期連載になったわけです。

「とっつきやすさ」を利用して、楽しませて、科学を受け付ける素地を育む。
 キッカケを作りだす。

 何を題材にする場合でも、まずそのことを重視していただけると、どのような作品を作るべきか、どんな展開をすべきかなどが見えてくるはずです。

 すでにイチの人を10や20に育てるのなら、マンガ以外の方法のほうが効率がいいかもしれません。
 でも一番最初のゼロをイチにする部分には、マンガは絶大な効果を生むことがあります。

 そこを理解してマンガ広報を考えていただくと、これまでになかった新しい取り組みも生まれてくるのではないかと思っています。

 以上です。ご静聴ありがとうございました。

 2015年2月20日 うるの拓也

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。

うるの拓也の電子書籍シリーズ各巻好評発売中!(詳しくはプロモサイトで!!)