広告漫画家物語17:企業コラボでオリジナル作品を描く

2018年4月9日

(←「広告漫画家物語16」に戻る)

スポンサーリンク

漫画家の地域活動

 ボクはけっこう、ボランティアや地域活動なんかに参加している。

 例の音楽イベントに関わったことがキッカケなんだけど、実のところは営業活動の一環だ。
 商工会議所などとも連携して取り組んでいる地域活動だと、様々な会社の経営者さんと知りあいになれたりするからね。

 ただし、売り込みなんかは滅多にしない。

 聞かれれば答えるけれど、自分から持ちかけたりはしないようにしている。
 そもそもボランティア活動の場で自分のセールスなんかしてたら嫌われちゃうもん。

 ただ、知りあいになる。仲間になる。
 それだけでいいんだ。

 仲よくなれば、ボクを認知してくれる。
 そしてボクに向いているナニカがあったときは、声をかけてくれるようになる。

 ただし、そうなるには時間がかかる。

 経験上、3年以上は黙って活動に参加し続けるべき。
 ソレ以前にセールス的な動きをすると「ああ、そういうヤツか」と思われて終わっちゃう。
 こうした活動に、そういうスケベ心で参加してくる人を何人も見たけど、それだけが目的の人は半年と持たずにいなくなる。
 その後もかまってもらえない。

 そういうモンなんだ。

 営業の一環だとしても、やるからには本気。
 そうじゃないとダメなのよ。

 とにかくスケベ心はあるけど、ボランティア自体も本気でやる。
 周囲からオマエの本当の力を見せてみろと言われるまでは、それは伏せたままにしておく。

 ボクはそういう感じで関わっていた。

 一見、ものすごく回りくどい営業のように思えるかも知れないけど、ボクみたいなヤツはね、上手にホイホイ自分を売り込めるモンでもないのよ。
 普通の人にピンと来るようなショーバイでもないし。
 だから「友だちの輪を広げておく」という営業方法しか思いつかなかったの。

 とはいえ、漠然とボランティア参加して色んなお手伝いしてるだけ、みたいなやり方もしなかった。

 いや、そういうことも頼まれればやるけど、それじゃタダの労力。
 ボクに何ができるかを知らしめることはできないでしょ。
 しかも労力としてなら他の人以下なんだから。
 ちょっと動いただけで疲れちゃうんだから。

 だから、ボクはボクなりの活動をやった。

 漫画家の地域活動。

 つまり漫画を描く。
 地域の活力になるような作品を描く。
 他のコトをやるより、得意なコトで協力するほうがずっと役に立ってあげられるし、自分自身のデモンストレーションにもなるし、そのほうが楽だしね。

 そうやって描いたのが『ツェッペリンが舞い降りた日』という作品だ。

 

ボランティアで描いたけど結果的に仕事に

 この物語は、実話を元にしたフィクション。

 1929年、ドイツのツェッペリン社で作られた史上最大の飛行船「ツェッペリン伯号(LZ-127)」が世界一周の旅に出て、日本に立ち寄った。そのときに、飛行船との奇跡的な出会いを体験した地元の少年。彼は成長した後も思い出を忘れず、彼の飛行船への情熱は、やがて地域の活力に、そして日本とドイツの友好へとつながっていく。

 ボクは、そのご本人にインタビューする機会を得て、この物語に感銘を受けた。
 地元を舞台にした素敵な物語になると思った。
 それで漫画化しようと思ったんだ。

 ボクが勝手に描く自主制作だから原稿料などがもらえるわけじゃないのだけど、執筆にあたっては、多くの人が協力してくれた。

 実は当時ボクは、飛行船を運用する会社の広報を一手に任されてもいたんだ。

 あのツェッペリン伯号の直系の後継機。
 ドイツとの友好のため、そして愛知万博のために日本に委ねられた最新鋭飛行船「ツェッペリンNT号」。
 ボクは、その広報の仕事を担当していた。

 愛知万博終了後にNT号が、ツェッペリン伯号が来訪した記念の地・土浦に来ることになったとき、ボクがボランティアでイベント告知のWEBページを作ってあげたことがあって、そのWEBを飛行船運用会社の偉い人が気に入ってくれて、ボクに広報を依頼してくれたんだ。

 そういう関係もあってね、漫画化の際に協力してくれる専門家にツテもあったのよ。

 60ページの作品だけど、本業の合間に描いていたから、企画から完成まで1年近くかかった。
 途中で将校の軍服が史実と違うことに気付いて描き直したりもしてね。
 色々苦労して描いたんだよ(笑)。


 この漫画は広告漫画でもなんでもない。
 ボクが描きたくて描いただけ。
 本当に自主制作のオリジナル作品なの。

 そうやって描いたモノが、地域のためにもなればいいなぁとは思っていたけど。

 けれど、この作品は結果的に、広報作品として世に出た。

 作品を読んでくれた地元の人たち、資料提供、取材などで協力してくれた人たちの後押しで、土浦市の記念出版物になったんだ。

 ボクは市民のくせに知らなかったんだけど、作品が完成した年は、たまたま土浦市市制80周年の年でね、それを記念する作品ということになったの。

 おかげで原稿料……というほどではないけど、代金も支払ってもらえた
 冊子化された本は地域の観光名所などで売られ、これまた印税というほどではないけど、数%のバックマージンももらえた。

 そして多くの人に喜んでもらえた。

 さらに、新たな仕事を生み出すことにも、ちゃんとつながった。

 この数年後、隣接する市が10周年(いわゆる平成の大合併で市に昇格した)を迎えたときにも、ボクが記念出版の漫画を手掛けることができたんだ。
 ちゃんとコンペを受けて、プレゼンで勝ち残ってのことだけど、それでもね、土浦での前例があったことが大きな力になったのは間違いない。

(実際、先のツェッペリン漫画を見て「ああいうのを作りたい」と思ったのがキッカケだったのだそうで、だからボクに声がかかったわけだ。ただ町役場としては特定の業者に決め打ちで発注するというわけにはいかず、コンペ&プレゼンという実力テストをやらざるを得なかったのだろうと思う。ボクより優秀な人が見つかる可能性だってあるわけだしね。
 ただ、コンペ以前に、あくまでも「前回の作品を作った時の参考意見を聞く」ということでボクは一度呼ばれていて、その時に語った「仮の漫画仕様書(大雑把な企画書)」がそのまんまコンペ時の仕様書に書かれていたから、ボクは「あ、こりゃよほど酷いことしない限り絶対に勝てるな」と思ってコンペに出ることができたんだ)

 このときに手掛けた作品は、単独の読切作品としては過去最大のモノになった。
 市町村などが広報目的で郷土を舞台にした漫画作品をつくるのは珍しくなくなってきたけど、ボクが手掛けたのは、その中でも最大級じゃないかな。
 そういう滅多にない大きな仕事ができたんだよ。

 その漫画も、ボクのオリジナル作品と言っていいだろう。
 広報の仕事だから題材は指定されたけれど、物語も、キャラクターも、そこに込めたテーマも、全部を自由にやらせてもらえた。
 思い通りに近い形で描けたんだよ(若干、要望に合わせて手直しした部分もあるけどね)。

※この記事で紹介した2つの作品の裏話は「広告漫画でオリジナル作品って、やっぱ無理かな?」の記事でも紹介しているので、合わせてお読みいただけると、より参考になると思います。

 

企業コラボでオリジナル作品を描いていく道

 ここまで、長かった。

 漫画家デビューしてから25年。
 広告漫画の道に入って20年(いずれも2008年現在)。

 漫画家として、やりがいを感じながら描ける作品。
 自分のキャリアとして誇れる作品。
 それでいてスポンサーにも貢献できる作品。

 そういう広告漫画はきっとある。
 出版社ではなく、企業コラボレーションで作品を描いていく道。

 ボクはそれを夢見て続けてきた。

 それを実現できた。

 まだ、数は少ない。
 それでもゼロじゃない。

 こうした作品で「成果」を出していけば、受け入れてくれる企業も増えていくかもしれない。
 広告の場合でも、漫画モドキじゃなく、ちゃんとした漫画にしたほうが有効なのだと気付いてもらえれば。

 ようやく、ようやく、ここまできた。

 

※追記
 2018年4月、この作品が今度は「紙芝居」になった。
 地元出身者の中に『黄金バット』などの昔懐かしい紙芝居の芸能を今も伝えている人がいて、その方は本業を引退した後は、地元で子供達に紙芝居を見せる活動をしていくのだそうだ。
 で、せっかく地元でやるのなら、地元に伝わる物語を演じたいと、ボクの漫画を紙芝居にしたいと申し出てくれたのだ。
 漫画を監修してくれた「土浦ツェッペリン倶楽部」からも正式にオファーをもらい、ギャラも倶楽部会員企業が出し合ってくれて、ボクは漫画を紙芝居(全15画面ほど)にアレンジした。こういうのは作者自身がやったほうがイイモノになるしね。
 漫画を描いてから約10年。1つの仕事が巡り巡って、新しい形に生まれ変わったりもする。
 そこから生まれる新しい出会いもある。
 こういうのが「作品」を描いていく醍醐味なんだよなぁ(笑)。

 

(「広告漫画家物語18」につづく→)

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。

うるの拓也の電子書籍シリーズ各巻好評発売中!(詳しくはプロモサイトで!!)