創作の仕事でもコストをいつも意識するのは大事!

2018年2月26日

 コストって問題は、とても重要だ。

 自分が赤字になっちゃうような金額で請け負っちゃいかんし、一方で、お客に過剰な負担をかけるのも良くない。

 お客が支払うギャランティは、ボクらを食わせるためのモノじゃない。
 お客のお金は、お客のもの。
 ボクらのギャラっていうのは、お客の予算をどう効率良く運用するかを考えた上での結果に過ぎないんだ。

 大抵の場合は、予算はギリギリか、足りない。
 そういう状況で、何をどうやったら自分を犠牲にせずに結果を出せるかを考える。

 それがコスト意識ってヤツなんだ。

 企画でも、ネームでも、作画でも、それぞれの工程でコストを抑えて最大限の結果を出せる方法を工夫する。
 そうしていないとスグに採算の合わない仕事になっちゃうのよ。
 一時的には採算度外視でやれたとしても、そういう無理は続かないからね。

 プロとして継続的にやっていくには、コストパフォーマンスのいい作り方ってのも考えざるを得ないのよ。

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情報をどう圧縮するか

 ページ数はコスト。コマ数もコスト。

 同じ結果を目指すなら、コストが小さいほうがいいに決まってるし、同じコストであるなら、より情報を圧縮できたほうが多くのモノを盛り込めるってのもある(多けりゃいいってモンでもないけど)。

 でもまぁ、広告漫画では、ページごとの情報密度をどう高めるかも、よく検討しなきゃいけないってのは間違いない。
 お客の予算を無駄に使わせちゃったりすると、後で泣きを見ることになるし、上手に情報をまとめられれば、その分余裕ができて、より漫画らしく描けることも多いからね。

 なのでボクは毎回、情報圧縮できる作画や構成を意識しながら描いている。

 同じことを伝えるのに、よりわかりやすく端的に表現できる言い回しはないか、とか、こんなシーンを入れたいけど予算内で効率的に描く方法はないか、などだ。

 情報圧縮は、広告系の漫画では頻繁に必要になるんだよ。

 広告漫画や学習漫画には解説シーンがよく出てくるけど、そういうシーンって圧縮どころか長くなっちゃうことのほうが多いよね。

 文章で解説すれば簡潔なことでも、漫画には絵があるから文字だけで埋め尽くすわけにはいかない。
 あまりにも長すぎるセリフじゃ読みづらいから、途中で区切って相づちを打たせたり、そこまでの解説を要約させたり、息抜きのシーンを盛り込んで、読者が状況や知識を整理する時間を作ってあげる必要もある。

 けど、わかりやすくするために身近なナニカに例えたりすると、そのことでもそれなりのコマを使っちゃうから、ほっとくとドンドン長くなって、ストーリーもメリハリもない解説してるだけの漫画になっちゃう。

 そんな空虚な漫画じゃ、広告効果なんか期待できない。
 広告だからこそウケなきゃならんのだ。

↑この部分、ちょっとわかりにくくなっちゃってるよね。例え話にしたり息抜きのシーンを入れたりするのは、むしろストーリーやメリハリを考えてのことだもんなぁ。
ここで言いたかったのは「元々ページ数が足りないのに丁寧に解説しようとしてると、本当に解説しかできなくなって、結果的に解説だけの漫画としての中身のないものになりがち」ということなんだ。
依頼者は「そりゃそうだろ、解説するために広告漫画やってんだからそれでいいだろ」と思ってることが多いんだけど、本当に解説しかないのなら、そんなもん漫画にしなくていいんだよね。
漫画にすれば「面白いかも、わかりやすいかも」と読者に思わせやすいけど、実際に読んでみたら回りくどいだけで面白くもなんともなかったとしたら、期待や信頼を失ってしまって二度と読んでくれなくなる。それじゃ本末転倒だから、ちゃんと漫画としての中身も考えて、情報量のバランスを取らなきゃいけないんだ。

 かといって、ページが足りないから増やしてくれなんて言っても、そんなのは通らない。

 普通、一度決まった予算は変えられないし、仮に1ページ分程度の予算を捻出できたとしても、ページが増えたら面付も変わる。
 他のページにまで影響が出てしまうわけで、これまた無理。

 どうあっても規定ページ数で、全てを描かなきゃならないのだ。

 そんなわけで「ようするにこういうこと」と、うまくまとめちゃうとか、漫画に付随する商品紹介ページなどがあるのなら、多少、説明不足でも構わないから、とにかく要点だけピンと来させて、その後の紹介文を読んでもらえるように仕向けるとか、アノ手コノ手で情報圧縮していかないと、コストパフォーマンスの悪い広告漫画になりがちなんだ。

何をどう描くかもコストと相談

 広告に限らず、漫画は普通1ページいくらで引き受ける。

 つまりページ数=コストだ。
 大きなコマや見開きっていうのは、それだけコストの高いシーンということになる。

 オリジナルの漫画を描いているなら、作者が「ここはど~んと見開きで見せたい」と思えばそうすることができるけれど、広告漫画ではそう簡単にはいかない。

 広告だろうが何だろうが漫画は漫画だから、作者の意向は重視されるべきではあるけれど、広告漫画は「お客の予算で、お客の利益向上のために描かれる作品」なのだから、漫画の表現の1つ1つにも採算を考えなきゃいけなくなるからだ。

 ぶっちゃけて言えば「ど~んと見開きにすることでスポンサーの会社はどんだけ儲かるの?」ってコトである。

 いやまぁ、そういうことと関係なく作者のこだわりとして、どうしてもやりたいってコトもあるんだけど、そういう場合でもボクは「そうしたほうが作品の質が上がって読者にウケて、だから広告情報のシーンもしっかり読んでもらえて、広告効果も高まるハズ」といった理屈がなければやるべきじゃないと考えるようにしている。

 なんせ他人のお金で描いているんだし、そのお金はボクのために支払われているわけでもない。
 スポンサーさんは、あくまでも自社の広報のために予算を割いているだけだ。

 前にも触れたけど、広告漫画は自社の広報のために描かれるのであって、漫画自体が欲しくて描かれるわけじゃない。
 どんなに魅力的な展開だろうが、それによって作品の質がどれだけ高まろうが、それが広告効果につながらないなら無駄遣いになってしまうのだ。

 そういうわけで広告漫画を描くときは、いちいち採算を意識して仕事している。
「このシーンはこういうふうに描きたいけれど、広告的に大事なシーンではないから、別の表現にしておくべきだろうな~」といった具合。

 よほど予算やページ数に余裕のある仕事でもない限り、見開きなんて、まずありえないと思うようにしている。
 30年近くこの仕事をやっていても、見開きのある作品を描いたのは2回くらいしかないんだよ。

 いや、やろうと思えばやれるのよ。

 かなりの裁量を委ねてもらって描くことのほうが多いから、実はやりたいように描くこともできたと思う。
 相手は漫画の素人だから、どう描いたとしても「そういうモノなんです、こうすべきなんです」とゴマかすことだってできたはずだ。

 でも、お客の求めている成果を忘れて、自分のやりたいようにしてしまうというのは、依頼者に対する裏切りだと思うの。
 できるだけ効率良く、広告情報を引き立てるように描写してあげなくては、ボクを信じて任せてくれた人々に顔向けできないよ。

 使用目的が広告であろうとも、ボクは自分の作品を描いている。
 だけど、それを描くためのコストは、ボクのために投じられているわけじゃない。

 広告主である企業と、そのお客様たちのためのお金なのだ。
 漫画という形にするために、ボクというフィルターを通しているだけなのだ。

 そこを勘違いして「オレは作者だ、神様だ」みたいに思ってしまうと、ロクなことにならない。
 だから自分の「やりたい気持ち」に身を委ねちゃうのは危険だと思うようにしてるの。

 もっとも……ここまでに書いたことに反するようだけど、どうしても筆が止まらなくて、ついつい暴走しちゃうってコトはけっこうある。

 ボクはお調子者だし、こうしたら面白くなるって気付いちゃったら、それをやりたくなっちゃう……というよりも、やらずにいられないでしょ。
 それに、面白くないなら広告効果は出ないのが普通だから、一定の面白さをキープすることは大事だもん。

 でも、そういうときでも「抑えろ、そこまでにしとけ」と言う心の声は聞こえる。

 アホらしいギャグシーンであっても、そこにもお金かかってるんだぞ。
 お前、無駄遣いしてないか? 本当にソコは必要なシーンなのか? 
 必要だとしても、そのコマサイズが適正なのか?

 そういう、お金絡みのナマナマしいアレコレに悩まされつつ、色々我慢もして、コスト的なことをいつも意識して描いているのよ。

(実際にボクの作品を見ると「オマエ我慢なんかしてないじゃん!」とツッコまれそうな気もするんだけど、アレでもかなり我慢してるんだよぉお。リミッター解除しちゃったら、あんなモンじゃ済まないんだよぉおお)

ギャグやコメディのほうが予算圧縮しやすい

 ボクが描く広告漫画のほとんどはギャグ、もしくはコメディだ。
 ストーリーものも手掛けているけれど、ギャグ作品のほうが圧倒的に多い。

 これはボクが元々ギャグ漫画家だったからではあるのだけど、それだけが理由じゃない。

 シリアス作品よりもギャグ作品のほうが、ずっと多くの情報を盛り込めて効率的に予算を使えるし、広告というステージに適しているからだ。

 シリアスな作品というのは、基本的に短くしにくい。

 映画やドラマだって、登場する人物の人柄、職業、家族や仲間との関係などをきちんと描写したイントロダクションが必須で、それからでないと本番のストーリーに入っていけない。そこを端折ってしまうと視聴者がキャラクターに共感できず、物語についていけなくなってしまうからだ。
 シリアス作品は、ドラマに重きを置かなくてはならないから、どうしてもボリュームが必要なのだ。

 このボリュームが、広告漫画では大きな壁になりやすい。

 ちょっと考えてみて欲しい。
 あなたがどこかのお店に行って「当店では入店前に40分のドラマを観ていただきます」と言われたらどうする?

 それが面白かろうが、つまなかろうが、どっちにしても面倒くさいだけだろう。
 スキップできないムービーを延々と観なきゃ入れないサイトに誰がアクセスする?
 例えスキップできても面倒くさいと感じるってのに。

 しかも広告漫画は、漫画を読みたい人を相手にするわけではないのだ。

 例え漫画が好きでも、今はそんなコト望んでないってトコに出しゃばって、それでも読んでもらわなきゃならない、なんてこともしばしば。
 ボリュームがある大作であればあるほど、客は引いてしまう。

 これに対してお笑いは、ちょっと違う。

 そんな気がなくても、ちょっと笑い声が聞こえたりすると振り返ってしまう。
 ストーリーや世界観がわからない(もしくは、そんなものはない)としても、そこだけで笑えてしまう。

 漫才なんかでも、いきなりコンビが登場して話し始めてもお客は混乱しない。
 主役は「笑い」であってドラマはオマケに過ぎないからだ。

 この違いだけでも、何ページも予算を圧縮できちゃうことが多いんだ。

 それに様々な状況も、ギャグのほうが「記号的」に伝えやすいというのも大きい。
 頭に汗の絵を加えれば困っている、顔に縦の線を引けば青くなっている、足をタイヤのようにグルグル回せば走っている、などだ。

 こういう漫画的な「お約束」を使うことで、読者に伝える情報をかなり圧縮できる。
 それだけページを効率良く使えて、より多くの情報を盛り込めるんだ。強引な展開もネタにできちゃうし。

 適度な笑いと調子のいいセリフや解説で、その気のなかった人をいつの間にかコッチの世界に引きずり込む。
 それを少ないページ数で(コストを抑えて)やれる。
 そういうことにはギャグ漫画のほうがずっと向いている。
 だから広告ではギャグが多いの。

 ……と、ボクはこんな感じでお客に説明したりしている。

 実を言えば、こんなのヘリクツだ。
 本当はページ数が足んないんだから、シリアスストーリーなんか無理っていうだけなんだけど、それでもシリアスにやれと言い張る人もたまにいるのよ。

 だからソレっぽいヘリクツを語って、納得させてるの。

 だって予告編にも足りないページで大河ドラマやっても、どうにもなんないんだもん。
 そんな無茶な仕事したくないんだもん。

デジタル制作になったのも予算問題がキッカケ

 他にも、デジタル制作で描いているのも、コスト削減のための工夫の1つだ。
 これは客の要望というより、自分自身のこだわりのほうが大きいかもしれない。

 例えばね、どーんと街並みのシーンを入れたいとする。

 そういう背景って作画が大変だ。
 時間がかかる。

 でも、その時間もコストなのよ。
 4時間で1枚描けるのと、10時間かかっちゃうのでは利益率が違いすぎる。

 好きでやっているとはいえ、商売でもあるのだから、採算ってのを気にしなきゃならない。
 そこを考えないと、どこかでやっていけなくなってしまうか、ヒドいブラック企業になってしまうかの道しかなくなるしね。

 だけど採算が合わないからって、描くべきモノを描かないってのも嫌だ。

 そこでどうにかして、より短い時間で何とか実用に耐えうるモノを描けないかと考えて、デジタルを導入していった。
 撮影可能なモノなら、デジタル加工で写真を背景に作り替えることができる。

 今のボクの場合、小さな背景なら数分、大きく複雑な背景でも数十分で、ソレらしい背景画に加工できる。

 これはカンペキな加工というわけじゃなくて、採算と自分の妥協点とのせめぎ合いで、これくらいなら何とか……という意味での話だ。
 本気で時間制限なしでやれば、もっとイメージ通りにできるけど、このくらいでも上手く背景に組み込んでやればソレらしくなるかな、というソレ。

 完全に満足しているわけじゃないけれど「そういうシーン」が使えないよりはずっといいから、日々試行錯誤しながら、とりあえずやれることをやっているんだ。

 ちなみに、こういう方法を覚えてしまうと、手描き時代とは逆の問題が発生する。

 つまり「よりリアルで精密なほうが簡単」なのである。

 なんせベースが写真だからね。
 写真を漫画的に加工していくってのは、線や面を整理して単純化していくようなモン。
 だから単純な線にしていくほど工程が長くなる。
 劇画であればあるほどラクで、ギャグなどの単純な背景のほうがずっと手間がかかってしまうのだ。

 まぁ、単純な背景は手描きにして、複雑なときだけデジタル処理ということにすればいいのだけど、それもまた一概には言えない。

 だって背景のタッチが違っちゃうでしょ。

 複雑な絵でも、単純な絵でも、タッチ自体が違ってしまうと、全体的な作画のバランスが悪くなっちゃうのよ。
 違和感が出ちゃう。

 なので、そのへんの調整はね、今でも四苦八苦してる。
 リアルから下げていったモノと、ディフォルメから上げていったモノのバランスが釣りあう部分を探し出すって感じなんだけど、いつも上手く行ってるとは言えないなぁ。

 でも長いことやってると、上手くゴマかす方法にも長けてくるので、なんとかしてる。
 これからも新しい技を探し続けていくけどね。

 

 広告だろうが何だろうが、自分の作品には違いないから、作者としてのこだわりは捨てたくない。
 一方で、依頼者の予算を無駄遣いしてもいけない。

 時間的にも、労力的にもバランスが取れる採算点をイメージして、どうするかを考えていく。
 描きたいモノを我慢しなきゃならないときもあるし、描きたくなくても描かなきゃならないときもある。

 そういうコストを常に意識し続けるってのは、この世界で生き抜いていくためには、とても大事なことなんだよ。

追記1

 ボクは値引きは嫌いだ。
 お客のコスト圧縮のために、ボクが泣かされる謂れはないので、基本的に値引きには応じない。

 でも、クリエイター側の「企業努力」によってコストを引き下げる工夫をするのは悪いことだとは思っていない。
 例えば、他所が1時間かかることを30分でやれるように努力して、売値を20%だけ下げるといったコトができれば、コスト削減しつつ利幅は大きくできたりするわけだから。

 そういうのは簡単ではないけれど、みんな生き残りを賭けて、常に工夫しているので、無理っぽいことでも思考停止しないで、気にかけ続けるようにはしたほうがいいと思っているんだ。

追記2

 ボクは写植版下時代からデザイナーをやってるんだけど、今のデザイナーって大変だと思っている。
 今はパソコンで作るから、実際の印刷物と同じに見えるところまでデザイナーが作り込むけど、パソコンのない時代には、刷り上がったときの状態は、刷り上がるまではわからなかったんだよね。

 こうなるハズだと色を指定するだけで、実際の色は刷り上がるか、色校正まではわからない。
 写真もアタリ(写真はネガやポジなのでそのままコピーが取れず、トレスコープというものを使って鉛筆で大雑把に写真をトレスしていた)を貼ってるだけで、制作段階では実物じゃない。

 それは、かつては写植は写植屋さん、製版は製版屋さんというように別れていたのが、今では全部デザイナーの仕事になっちゃってるってコトなんだ。
 そのクセ、デザインのギャラは増えるどころか大幅に減ってる。
 作業はパソコンでやれるようになったとはいえ、それを管理しなきゃならない人間の負担まで減ってるわけじゃないんだけどねぇ。

 かつてはA4・1ページ分の文字なら、写植屋さんに2~3万は払わないと打てなかった。
 平均的な漫画1ページのネームでも、5~6千円はかかっていたはず。
 そして製版にもページ当たりン万円。
 それだけ大勢が食えた。

 でも今は、それ全部がデザイナー一人でやることになり、そのデザイナーのギャラまで減ってるんだから、昭和に比べたら十分の1どころじゃ済まないほどの減額になってるんだ。
 漫画家が文字も打って、レイアウトして、デザインもやって、印刷データそのものまで仕上げて、それで原稿料は据え置きどころか減額、というような状態になってるの。

 現代のデザイナーたちは、そういう状態で生きていけるように必死になって色々な工夫をし続けている。
 以前の商況に照らし合わせたら採算合うハズがないコトを、何とかして採算合うように工夫してる。

 だからこそ、漫画家にも同じことを求められてしまう。
 そういう工夫をする気が無いなら、こっちに来るなと言われてしまう。

 売れなきゃお金にならない漫画界はとても厳しい世界だと思うけど、外の世界がそれよりヌルいわけでもないんだよ。

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。

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