広告漫画家物語09:カッコイイ大人たち

2018年2月16日

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カッコイイ大人たち/その1

 お世話になったコピーライターの「彼女」とは、その後しばらく会っていなかった。

 自分が立ち直るのに必死だったし、どうせなら見事に立ち直った姿を見せたかったからだ。

 そして、そろそろ……と思った頃に、訪ねていった。

 あの日から数年が経っている。

 ご無沙汰しちゃったなぁ。
 あんなに助けてもらったのに、何年も顔も出さないなんて、身勝手なヤツだと思われてるかも。

 でも彼女は、以前と同じ笑顔で迎えてくれた。

 ボクに色んなことがあったのなんて、全部お見通し。

 あんたがちゃんと頑張ったなら、それでいいのよ。
 こうして会いに来てくれたんだから、それで十分。

 そうだ。彼女はそういう人なんだ。
 小っちゃなコトを気にしたりはしない。
 ボク自身もそう信じていたからこそ、自分のコトに打ち込んでいたんだ。

 そして、ようやく会えた。
 お礼を言えた。笑顔も見れた。

 でも、それ以上に驚いた。

 ボクが自分のことでいっぱいだった間、彼女はガンと戦っていた。
 そして克服していた。

 さらに驚いたことに、孤児院で親のいない子供たちのお世話もしていた。
 彼女は教員資格も持っていて、世話だけでなく勉強も教えているのだと言う。

 闘病の後で、そんな大変なコトを?

 もう年金暮しでもいいはずの歳だ。
 年金だけで暮らせるわけではないだろうが、それでも彼女なら、もっと楽な仕事がいくらでもあるはず。

 なのに。

 そう言ったボクに、彼女は笑いながら答えた。

「知ってる? 日本の憲法には、子供はみんな平等に守られるべきものだって書いてあるのよ。そのために色んな制度があって、親がやれないときにはサポートしてくれるの。
 私は自分が子育てするときに、自分だけではやれなくて、そういう制度を利用したの。なんとなく後ろめたいような気持ちだった。みんなの税金を自分のために使ってもらうんだしね。
 だけど憲法を読んで、気持ちが楽になったのよ。子供は社会のものなの。みんながそうなのよ。私の子供たちも、あんたの娘さんも、社会の子なの。制度に助けてもらっていいの。私は、そのおかげで二人の娘を育てることができた。大学にも行かせて、無事に社会人として送り出せた。
 なら今度は私が、社会の一員として恩返しする番でしょ。孤児院の子も社会の子。私の子なのよ

 なかなか、そこまで思えるものじゃない。
 しかも、思うだけじゃなく、本当に取り組んでいる。

 彼女がやっていたのは、一般の家で子供たちを預かって暮らさせるグループホームというものだった。

 孤児院ではなく、普通の家での暮しをさせてあげる。孤児だということを伏せて、学校にも通わせてあげる。
 そこで母親代わりをするわけだ。

 だが、それは並大抵のコトじゃない。

 子供たちは傷ついている。
 親に捨てられたという心の傷が、自分は価値のない存在だと思わせている。

 だから心を開かない。協調性もない。
 毎日のように家出する子が出る。夕食のちゃぶ台をひっくり返す子もいる。

 それは叱ってはならないのだそうだ。

 辛抱強く、見守る。
 愛情だけを注ぐ。

 そうやって自分を愛してくれる者がいる、いらない子じゃないんだとわからせるのだそうだ。

 家出した子を探し、連れ帰る。
 ひっくり返されても食事を作る。
 そういう日々を続ける。

 すると、どこかで変わっていく。

 半年、あるいは1年後。
 上の子が下の子の面倒を見るようになったり、片づけを手伝うようになったりするのだそうだ。

 それは素敵なコトだとボクは思ったけど、その先を聞いて怖くなった。

 そこまで愛情を注いでも、決して見返りを求めないこと。
 本当の母親のように思わせないこと。

 子供たちは、いつかどこかで離れていかなきゃならない。
 二度も親を取り上げてはいけない。
 だから、自分が親と思われてはいけないのだそうだ。

 なんてことだ。

 それほどの愛情を注ぎながら、決して愛されてはならないなんて。

 こんなキツイことが世の中にあるのか。
 そんな覚悟をして、この人は飛び込んだというのか。

 おだやかな老後を捨ててまで。

 それほどの体験を、ケラケラ笑いながら話す。
 ボクは目がしらが熱くなった。

 やはり、この人はすごい。
 とても真似できない。

 ボクが再会した頃には、彼女はグループホームの仕事を終えて、休養に入っていたのだけど、その体験を経て、今度は学習塾の先生をやると言い出していた。

 ただの塾じゃなくて、家庭のような塾。
 放課後の一時保育を兼ねたようなモノで、毎日来てもいいらしい。
 おやつを出して、食べ終わったら、親が迎えに来るまで、みんなでそれぞれの宿題をやる。
 その勉強を見てやる。もちろん受験生には、受験対策もやる。

 早速、ウチの娘を預けたね。
 この人に学ぶなんて最高だ。娘も慕っていて、小学4年生くらいから中学卒業まで、ずっと通った。
 成人した今でも、懐かしそうに彼女のことを話す。

 ボクは今でも、ときどき訪ねていく。
 もうご高齢だし心配だからね。

 東日本大震災のときも、すぐに駆けつけた。
 彼女の家は、崖のように急な坂道にあったから。

 でもケロっとしてた。
 救援物資はいらないかと聞いたのに、逆にコレ持っていきなさいと、近所の農家にわけてもらった野菜をもらってしまった。

 やはり彼女には勝てない。

 今は引退して悠々自適の日々を送っているはずだ。

 でも彼女のことだ。このまま引っ込んでいるとも思えない。
 きっと最後まで彼女は彼女のままだろう。
 止めても止まらない。

 そういう彼女をボクは応援する。
 ボクより応援する人々も大勢いる。

 お金持ちではないけれど、あれこそが豊かな人生だとボクは思う。

 とても勝てないけど、彼女に恥じない生き方をしたいと思う。

カッコイイ大人たち/その2

 もう1つ、音楽イベントの仲間たちのコトも書いておこう。

 ボクが関わっていた野外音楽ライブは、毎年8月に地元の公園で開催されていて、地域のイベントとして市民に定着していたのだけど、実は全然公式なモノではない。
 元々、音楽好きな仲間が集まって、そういうコトやりたいよな~、やっちゃおうかと自主的に始めたモノ。

 主な運営メンバーは、近所のスーパーの親父や中小企業社長、オジサン、オバサン、オジイチャン、オバアチャン、学生など、とにかくフツーの人々。

 ま、コミケの音楽版みたいなモンだな。
 ソレが市の公式イベントと誤解されるほどになっただけなんだ。

 ボクが誘われたのは、その3年目くらいの頃で「もう死んじゃうよぉ~」と赤っ恥な日々を救われたのは5年目だったと思う。

 で、その翌年からは、ボクも今まで通りに参加して、定期開催される会議にも欠かさず出席した。

 その会議でね、ああ、このヒトたちカッコイイなぁって思うことがあったんだ。

 先に触れたように、このライブは自主活動だ。
 けれど市民が期待して大勢集まってくれるほどのモノになっていった。

 なんせ2万人くらい来るんだから、バカにできない規模よ。
 出演するバンドのレベルも年々上がっていって、フジロックに出てるとか、テレビでお馴染とか、CD何百万枚セールスとか、そういうクラスの人々も出てくる。
 入場無料のボランティアイベントだからギャラはない。交通費と昼食代だけ。
 それでも志を汲んでくれて来てくれるんだ。

 ま、志って言っても、一日バリバリ音楽聴きたいってだけなんだけど。
 一応ね、地域をクリーンにするといったお題目も掲げてたんだけど、アレはたぶん、公園を借りるための方便だな。

 でも方便だって、手は抜かない。

 一日中、仮設トイレを磨き続ける奴。
 駐車場の整理に駆け回る奴。
 客の捨てたゴミを拾って回る奴。
 客が捨てたわけじゃないゴミも拾い集める奴。

 みんな一日中汗だくでやる。

 キツイことは若い者に押し付ける、なんてコトはない。
 全員が平等。

 頑張るお年寄りの背中を見ちゃうと、若者も気合いが入る。
 普段以上に「うぉおおお!」ってなる。

 音楽聴きたくてやってるのに、ちっとも聴けやしない。
 それでも誰もサボらない。

 盛り上がってるお客を見るだけでも楽しいんだ。

 夕日に照らされる時間になっても人々は帰らない。ステージ前で踊りだす。
 若者も、農家のオバチャンも、幼児も、オジイチャンも。

 全員笑顔。音楽好きで関わってるわけじゃないボクも、あの光景はたまらない。
 いや、音楽も素敵なんだけどね。
 自分では音楽を聴けなくても、そういう光景を作れたってコトが誇らしいんだと思う。

 そして、熱い一日が終わって乾杯するビールの美味いこと。

 アルコールが苦手なボクでさえ、これだけは一緒に飲みたい。
 あの一杯のためにやってるようなモンだろうな。
 とにかく、素敵なイベントだったのよ。

 で、そういうふうに成功してくると、最初は公園を貸すのを渋っていた市役所なども協力しましょうかと言ってくれるようになる。
 会場近隣のお宅への挨拶回り(一日ウルサイ音がしちゃうからね)、ポスターなどの配布といった面倒くさいコトを代わりにやってあげましょうかと申し出てくれたのだ。

 ボクは「ほほぉ、それはありがたい。さっさと任せちゃえばいいや」と喜んだのだが、そこで初期からの代表メンバーが待ったをかけた。

「市を頼ってどうする? これはオレたちの祭りだ。オレたちがやりたくてやっているコトだ。面倒がってどうする。行政を頼ってどうする。力を借りるにしても、まず、自分たちで頭を下げて回り、やれるだけやってからにすべきだ。大人の遊びっては本気だからこそ、やりがいもあるんだ。他人様の力を当てにしたらオレたちの祭りじゃなくなってしまう。ここはツッパるべきだ」

 これが、一番大変で気苦労の多い仕事を担当している当人から出た言葉なのよ。

 いやぁ、カッコイイ。
 なかなか吐けないよ、このタンカ。

 この人たちの仲間であることが本当に嬉しかったな。

 結局みんな同意して、その後も仲間たちだけで10年目まで続けた。

 10年で終わったのは、主要メンバーの高齢化が理由。
 そういうのが問題になるような歳の人たちが「オレたちの祭り」を10年やり切ったんだ。
 いやマジで尊敬する。

 ある年、市議会議員が偉そうに支持者を連れて会場にやってきたコトがある。
 どうです、すごいでしょ。この連中も私の仲間なんですよ、私はすごい議員でしょ、というパフォーマンスをしたかったんだろう。
 招いてもいないのにズカズカと本部テントに入ってきた。

 ところが、そこにいた全員が、あっという間にいなくなった。
「オレ、あっちを見てくるわ」「ワタシはゴミブース手伝ってくるわ」と、一人もいなくなった。

 あっけにとられる議員。いやぁ、痛快だったわ。

 できるだけ自分たちでやる、自分のことで誰かに頼らない。
 そういうふうにしているからこそ、ああいうコトができるんだよな~。

 彼らとは、今でも年に1度会う。
 同窓会のように集まるんだ。

 大半は、お孫さんがいる歳なのだけど、相変わらずバイタリティはある。
 下手な若者よりずっと元気だ。
 何年経っても、共に汗を流したという連帯感は薄れない。

 


 先の「彼女」も「イベント仲間」も、無名の市井の人だ。
 だけどボクにとっては、歴史に名を残す偉人にも負けないほどカッコイイ人々なんだ。

 自分で選んだ道、決めたコトに対してツッパリ通す。
 苦労も、その一部として受け入れて、むしろ楽しんでしまう。

 そういう背中をたくさん見せてもらった。

 見たから、憧れたからって同じになれるわけじゃない。

 ボクはチャラい。
 美味しいモノも食べたいし、お金も欲しい。
 ズルいことを考えたりもするし、俗な欲望にもまみれている。

 それでも、あの背中を見た者として、ギリギリのところでは踏み止まれる人間でいたいと思っている。

 そして、彼らが立っている場所に近付こうという意思も捨てたくない。

 

(「広告漫画家物語10」につづく→)

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。

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