未来からやってくる……とは??

2018年1月9日

 以下は「小説版イバライガー」を書き始める前に考えてみたことで、文章自体も、ちょこっと加筆はしたものの執筆開始以前に書いたものだ。
 ここではイバライガーの一番根本である「時空転移=タイムトラベル」に絞って考えてみたことをまとめている。

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タイムトラベルは可能なのか?

『時空戦士イバライガー』は、未来からやってくる。
 悪の軍団『ジャーク』によって崩壊してしまった未来からやってきて、そうした悲劇を食い止めるために戦っているのだ。

 だが、そもそもタイムトラベルはできるのか?

 宇宙……この世界というのは「時空(時間と空間)」の連続体だ。距離も時間もつながっていて、途中の空間が消えたり、1秒の次が10秒になったりはしない。
 タイムトラベルや光速を超えるワープ航法などは、そのつながりを無視するということで、つまりはどちらも同じ理屈と言える。

 光速を超えることは時間を超えることと同じなのだ。
 タイムトラベルができるならワープもできるということなのだ。

 だけどよく考えるとかなりムチャクチャなことだ。
 アニメやマンガではお馴染だけど、現実的・科学的に考えると、まず実現できそうにないことだと言えるだろう。

 ただし、超光速やタイムトラベルを「あり得ない」とまでは言えない。

 本職の物理学者でも「絶対にあり得ない」と断言する人は少ないし、かのホーキング博士も、タイムトラベルが不可能な理由(時間順序保護仮説)をさんざん述べた上で「タイムマシンができるかどうかについて自分は誰とも賭けをしない」と言っている。

 ワープ航法を実現するための理論を真面目に考察した博士もいる。
 結果「可能だけれど、そのための条件が無茶すぎるから実現不能」ということだったように記憶しているのだが、それでも完全にゼロとは言えないのだ。
 まぁ、その理論が正しいかどうかを検証することも、今の科学では不可能なのだけど。

 でも、とにかく今のところ、タイムマシンやワープ航法自体は非科学的とは言い切れないのだ。
 言い切れないんだから、ココは「あり得る」という方向で考えたい。
 そうでないとSFにならないし。

 さて、ボクは科学マンガを描いていても科学者ではないから「あり得るための科学的条件」を詳しく検証できない。
 勉強したり取材したりしてソレっぽく語ることはできるかもしれないけど、所詮は大嘘に過ぎないから、本当に詳しい人から見たらアホのタワゴトにしかならないだろう。

 だが、タイムトラベル……特に過去へのタイムトラベルには、致命的な矛盾があるとは思う。

 未来へ行くなら、そこは「まだ決まっていない世界」だから、何をやったとしても現在にも過去にも影響しないはずだ。
 現在や過去から見れば、そこは存在しない世界なんだから。
 現在から見れば、未来で起こることは妄想、あるいはシミュレーションのようなモノでしかないはずだ。

 でも過去は「すでに決まってしまった世界」なのだ。

 過去に干渉するというのは、卵を落としたから割れた、ではなく、割れたから卵を落とす、というふうに原因と結果が入れ替わってしまうことを意味している。
 どう考えても矛盾している。

 有名なのは「親殺しのパラドックス」だ。

 過去に行って自分が生まれる前の親を殺してしまったらどうなるか、という考察で、殺したなら自分は生まれないんだから過去に過去に行くこともできず、だから殺せなくて、自分は生まれて、すると過去に行って親を殺そうと……というように堂々巡りになってしまう。

 このため、タイムトラベルものを考えるには、この矛盾を解決する何かを考えなきゃならない。
 親殺しの例なら「どうやっても親は殺せない」「実は自分の親は別人だった」「殺したら自分も消えてしまう」などの展開が考えられる。
 でも……どれもスッキリしない感じは残るよねぇ……。

 過去を変えることができるという前提で考えるなら、過去を変えれば現在も変わるはずだ。

 そしてソレは「変わった時点からの歴史を歩んだ現在」なのだから、改変した当人以外の全ての人は、現在が変わってしまったことに気づかないだろう。
 だってソレこそが『現在』なのだから。

 今、この瞬間に誰かが歴史を変えていて、それをまた変えて……と繰り返したとしても、ボクらは気づくこともなく、変わった歴史の中に存在しているということになる。まさに完全犯罪だ。
 このパターンの場合「未来からの干渉が過去の出来事として歴史に組み込まれている」ということになる。

 実はイバライガーでも、最初にこの案を考えた。
 そういう前提で歴史年表を作ってみたりもした。

 だけど結局、先の「親殺し」と同じような矛盾がどうしても残ってしまい、ツジツマを合わせることができなかったのだ。

 最初に考えたのは「自分は将来タイムトラベルで、この時代にイバライガーを送り込むと決めて、その通りに行動したから、イバライガーが現代に現れる」といったものだった。

 イバライガーを開発するが、起動には膨大なエネルギーが必要で、それが集まる頃には事態は世界を救えないほどに悪化してしまっているので、何十年もかけて起動して、それから過去に戻って……というふうに考えてみたわけだ。

 だけど、やっぱり原因よりも結果が先にあるのはヘンなのだ。

 例えば、未来の技術を過去に提供して何かを作らせ、それが未来につながっているとしたら、その技術を生み出した者がどこにもいなくなってしまう。

 決定的なのはハイパーイバライガーの存在だった。

 ハイパーは、イバライガーよりもさらに技術が進んだ未来で生まれたという設定だった。
 2012年まではステージショーでも、その設定で扱われていたのだが……

 ん? さらに技術が発展しているということは、その後の人類はちゃんと存続したということではないか。
 技術を継承し発展させているのだから、現代でどんな事件があったとしても、それを乗り越え、そういう出来事を前提として歴史が続いているということだ。
 ハイパーイバライガーを開発し、過去に送り込める程度には豊かな時代とも考えられる。

 人類の過去には、悲しい戦争や災害が連なっている。
 何百万人もの命が失われたりもしている。

 それは不幸な出来事だ。

 だが、だからといって現代の人は、関ヶ原の合戦や第二次世界大戦をなかったことに変えようと思うだろうか。

 ボクには、そうは思えなかった。

 現代は、そうした不幸な歴史も含めた上に成り立っている。

 バタフライ効果というのがある。
 風が吹けば桶屋が儲かるというヤツで、小石がそこになかったために転ぶはずの人が転ばず、そのせいで予定が変わって……というように、連鎖的に歴史が変わってしまう。

 生まれるはずの人が生まれないといったことも起こるだろう。
 レイ・ブラッドベリの有名な小説『雷鳴のような音(サウンド・オブ・サンダー)』は、白亜紀にタイムトラベルした一行が蝶を一頭(蝶は一頭、二頭と数えるそうだ)殺してしまっただけで、その後の歴史が大きく変わってしまう話だった。

 どんな些細なズレでも、何十年、何百年という単位ではズレが大きくなり、後の歴史は大きく変わってしまうはずだ。

 呼吸しただけでも、そこに存在しないはずの二酸化炭素が吐き出されたり、存在するはずの空気がなくなったりする。
 何もしなくても過去に行ったというだけで歴史を変えてしまうのかもしれない。

 いや、直接行かなくても、過去と通信するだけでもダメだ。
 過去の世界にはない知識や情報を与えてしまうことになるし、意味のない信号だけを送ったとしても、それだってエネルギーのやり取りなのだから、過去に存在しないものを送り込んでいることには違いない。


 エネルギーの話で言えば、そもそも「エネルギー保存則」というものがある。
 この宇宙のエネルギーは形を変えることはあっても、増えも減りもしない、というものだ。

 我々人間や様々な物質も、エネルギーの1つなのである。
 他の時間に何かを送り込むということは、こちらの時間ではエネルギーが減り、行き先の時間ではエネルギーが増えることになってしまう。

 だからタイムトラベルするとしたら、それは行き先の時間にある等量のエネルギーとの等価交換でないといけないのだろう。

 例えば映画『ターミネーター』では、過去に出現したとたんに周囲の空間が消失する描写がある。
 あれは、過去に送り込まれた質量分のエネルギーが、未来に送られているんじゃないだろうか。

 小説イバライガーでは、クドくなる(SFファンだけが読む作品じゃないからね)ので、これまで書いた分(1~16話)にはそういう描写や説明を入れていないけど、実際にはそういうことも起こっていると考えるべきだろう。

 何百年前にこんな戦争があって、あんな事件もあって、誰それがこんな発明をして……という歴史の上にボクらは存在している。
 そのどれかが起こらなかったとしたら、歴史はまるで違うものになってしまう。

 そしてソレは些細な原因で起こるかもしれないのだ。
 自分は生まれてこないかもしれないし、生まれたとしても今の自分とはまるで違う何かになっているだろう。
 今自分が感じているもの、大事なもの、愛しているものなどの全てが消えてしまう。

 そんなコト、誰が望むのだろう?

 何も希望がなくて現在に悲観している人なら、望むだろうか。

 だがそれでは、ただの自殺と同じだ。
 世界の全てを巻き添えにした自殺。
 少なくともヒーローがやることじゃない。

 つまり、イバライガーの物語で描かれる事件がどれほどの大事件だったとしても、未来にも人類が存続し、イバライガーを生み出すほどに発展もしているのだとしたら、歴史改変というようなオオゴトに手出しするとは思えないのだ。

 とにかく、過去の改変には矛盾が山盛りだ。

 それらが破綻しないように都合よく改変するというのは、あまりにも確率の低い賭けに思える。
 考えれば考えるほど、過去の改変はオカシくて、ツジツマが合わなくなるのだ。

 タイムスリップSFでは「結局、過去は変えられない」というオチの作品も少なくない。

 だが、それではイバライガーは世界を救えないという空しい物語になってしまう。
 それは絶対にダメ。

 そして彼らは『時空戦士』で、未来から来たのだ。
 そこも変えられない。

 どうしてもタイムトラベルはしてもらわなければならないのだ……。

パラレルな歴史

 そこでボクが選んだのは、いわゆるパラレルワールドの考え方だ。

 過去に行ける。そこで何かをする。
 すると本来の歴史とは別の新しい歴史が生まれる。

 改変された時点から、元の歴史は存在したまま、それとは別の新しい歴史に枝分かれしていくという考え方だ。

 よく似た、しかし別の平行世界=パラレルワールドも、SFではよく見られる設定だ。

 これも、そういう世界があり得るのかどうかははっきりしないが、非科学とも言えない概念だ。
 量子論などでは、このパラレルな考え方を実際に取り入れている。

 例えば今も開発が進められている量子コンピュータは、従来のコンピュータが「0」と「1」だけで考えるのに対して「00」「01」「10」「11」というふうに考える。
 現在のコンピュータは、部屋があって人が一人いるなら「部屋の中にいる」「部屋の外にいる」のどちらかだと考えるが、量子コンピュータは「部屋の中にいる」「部屋の外にいる」「中にも外にもいる」「どちらにもいない」というふうに考えるのだ。

 いや1人しかいないのに、どっちにもいないとか、どっちもいるとかあり得ないでしょと思うだろうけど、これがあり得るようなのだ。

 これまた有名な思考実験として「シュレーディンガーの猫」というのがある。

 猫を中の見えない箱の中に入れる。
 ある時間が経過すると、その内部には毒ガス(本当はガスじゃなくて致死量の放射線だった気がするけど)が出る可能性がある。
 その確率は50%。ガスが出れば当然猫は死ぬ。

 では、ある時間が経過した後、箱の中で猫はどうなっていると思うか。

 死んでるか生きてるかのどっちかに決まっているはずなんだけど、これが違うのだ。

 死んでいる、生きているの他に「ぐったり死にながら元気に生きている」と「元気に生きてるけどぐったり死んでもいる」の状態があるというのである。

 箱を空けて中を見れば、生きてるか死んでいるかのどちらかでしかないのだけど、見るまでは「死んでいると生きているが重ね合わせになっていて、どちらでもあり、どちらでもない」というのだ。

 なんだか禅問答みたいでピンとこないし、この思考実験を考えたシュレーディンガー博士も「そんなのオカシイ!」と主張するために考え出したのだけど、量子論では「死にながら同時に生きてる」が正解なのである。

 常識的にはとても正解とは思えないけど、これが正解でないと量子コンピュータは作れないし、スマートフォンなどのナノテクだって量子論の産物なのだ。
 そうしたモノが作られている現実が、量子論の正しさを実証している。
 可能性は重ね合わせになっていて、それを観測した瞬間にどちらかに収束するのだ。

 そういうわけで、パラレルな世界はあると考えることにした。
 時空がそうなっていて「別の可能性の世界」が実際にあるかどうかは確認できないけれど、パラレルワールドの考え方自体は、十分に科学的なのである。

(量子コンピュータは、無限に存在するパラレルワールドで同時並行に計算された結果を集約できるから、従来を遥かに超えた計算ができるのだと主張する博士もいる。それがどのくらい信ぴょう性があるのかはわからないけど、専門の物理学者がそう考えるほどには、パラレルワールドはリアルなことだと考えてよかろう)

 長くなったが、そういうわけでボクは、タイムトラベルの理屈にパラレルワールドの考え方を取り入れた。

 この考え方なら、未来からの干渉があって歴史が変わったとしても矛盾が生まれない。
 その世界は「未来からの干渉があった」ということを前提に、歴史が進んでいく。
 元の歴史も、平行して存在し続ける。

 ただし、これにも問題はある。

 元の歴史は変わらないのだから、過去に干渉する理由がなくなってしまうのだ。
 イバライガーが世界を救ったとしても、彼が救いたかった「本来の歴史の人々」は救えない。

 それでは意味がないのでは。
 SF設定とはドラマを盛り上げるためのものだ。
 ツジツマ合わせのために、お話をつまらなくしてしまっては本末転倒なのである。

何のために時空を超えるのか?

 ボクは考えてみた。

 全てが手遅れで、破滅しかない世界のことを。
 破滅から逃れる術がない世界を。

 自分たちが助からないことは確定している。
 その場合、どうするだろう。

 ただ、あきらめるのか。

 そういう人も少なくないだろう。

 だけど、別の希望に手が届く人だったら。

 なんとかして世界を存続させようと足掻くのではないか。
 例えそれがわずかな可能性であったとしても、あきらめられるものではないだろう。

 自分たちはダメでも、せめて別の世界を救いたいと考えることはあるのではないか、とボクは思ったのだ。

 もちろんパラレルワールドが存在するのなら、別の歴史も無限に存在するはずだから、ジャークが出現しなかった歴史もあるかもしれない。
 何もしなくても平和に生涯を送れた世界が、どこかにあるかもしれない。

 それでも、その確信は持てない。

 平行世界は不可知の世界だからだ。
 それは自分たちとは交わらない。
 別の歴史がどんな歴史なのかを知る術はないのだから、それは希望にはなり得ない。

 でも、どんな小さなモノでも、希望がなければ人は生きられないように思う。
 世界を、自分たちを救いたい。自分たちの行動が希望につながっていると信じたい。
 それが人だと思うのだ。

 だから干渉する。
 ビンに詰めて海に手紙を流すように、世界を救う手段が、どこかの時空に流れ着くことを祈って。

 ボクはイバライガーの成り立ちをそういうふうに考えてみたのだ。

 そして、希望とは何のことだろうとも考えてみた。
 解釈は色々あるだろうけど、ボクなりの、この物語を支えていくための解釈が必要だからだ。

 それに気づかせてくれたのは、ボクが連載を続けているKEKの博士たちと、1本の映画だった。

 タイトルは『はやぶさ』。
 小惑星イトカワを探査して地球に帰還した「はやぶさ」に情熱を注いだ人々を描いた作品だ。
 主演は竹内裕子。

 この劇中で、主人公が泣くシーンがある。
 はやぶさの帰還を待たずして転勤になってしまう先輩を前に、彼女は泣く。

結果を見届けられないことに一体何の意味があるの?

 確かにそうだ。
 仕事でも何でも、結果を目指して頑張るのが普通だ。
 それが見届けられない、結果を得られないなんて空しいと思うのは当然だ。

 でも、ボクは結果が見えないことに挑み続ける人々を知っている。

 それがKEKで出会った博士たちだ。

 宇宙の果ての謎。素粒子の謎。この世界はどう生まれたのか。

 彼らは、そうした疑問に挑み続けている。
 それは簡単には答えが出ないことだ。
 いや、永遠に謎であり続けるかもしれない。

 何かがわかっても、その先に別の謎が必ずある。
 解いても解いても永遠に近づけないようなもので、しかも、解いたことにどんな意味があるのかさえわからないことも少なくない。
「その発見にどんな意義があるのですか?」という問いに「全くわかりません」としか答えられないのだ。

 では意味はないのか。

 そうではない。

 百年以上前、電子が発見された。
 そのときには、それが何の役に立つのか誰にもわからなかった。
 発見した当人も、ただ発見しただけで、それが何をもたらすのかわからない。

 けれど、現代ではそれは欠かせないものになっている。

 電子が発見されなければ電気は使えない。電子機器も生まれない。
 エックス線もそうだ。何だかわからないから「X」と名付けられた。でも今ではXどころではない。
 医療でも工業でも、様々に利用されている。

 ゼロをイチにする。

 イチが何かはわからない。
 それでもゼロがイチになるのは大きなことなのだ。

 イチがあれば、その後の誰かが「ニ」や「サン」あるいは「ジュウ」へと応用を見出していける。

 百年後には大きな意味を持つ何か。
 そのために、見えないままに、それでも最初の一歩を踏み出す人たち。
 そういう人々のおかげで、ボクらは暮らしているのだ。

 もっと身近な例もある。

 ボクには娘がいる。
 彼女がこの世に生まれたのは、ボクたち夫婦が求めたからだ。
 娘に産んでくれと頼まれたわけじゃない。
 誰でもそうだ。

 子供を育てるには、様々な苦労がある。お金もかかる。
 親ではなかった頃にやれていたことのいくつかを我慢しなきゃならないこともある。
 病気にならないか、いじめられないかと心配も絶えない。

 そして……そこまでして育てるのに、彼女の人生は彼女のもので、ボクはそれを支えるだけで過度の干渉はできない。
 してはならない。

 また、そうまでしても彼女が幸せになるかどうかはわからないし、彼女の人生がどのような完結を迎えるのかも知ることはできないだろう。
 というよりも、それだけは見たくない。

 それでも娘は大切で、自分自身の命よりも大きい。
 ボクはまさに結果が見届けられないことを望み、命さえ賭けているのだ。

 これは普通の親なら誰でも同じだろう。
 我々はみんな、結果が見届けられないことのおかげで生きている。

 では、ボクらは何故、子を産み、育てるのか。

 本能だから?
 人類を存続させる使命感?

 いや、それでは納得できない。

 子供を持とう、親になろうと思ったときに、人類のためなんていう使命感は何も感じてはいなかったし、生殖可能な年齢に達したら本能によって子供を作ることを求めるように遺伝子にプログラムされているのなら、子を作らなかった人は欠陥があるということになってしまうではないか。
 そうではないはずなんだ。

 ボクらは子供たちに、次の世代に希望を感じている。

 みんなから尊敬される人物になるかもしれない。
 犯罪者になってしまう可能性だってある。
 科学や技術が発達して豊かになるかもしれないし、環境が悪化したり、戦争などの悲劇が待ち受けているかもしれない。

 未来は誰にもわからない。

 でも希望を持ち、子供に託す。

 それは可能性なのだと思う。

 良い可能性と悪い可能性じゃなくて、とにかく可能性。
 それを断ち切ってはいけないのだと思う。

 理屈ではなく、それを感じているのかもしれない。

 金を稼ぐ。仕事や研究の成果を出す。子供を育てる。
 どれも何かの可能性を次の何かにつなぐことだ。
 生きるとは、そのことではないのだろうか。

 可能性をつなぐ。
 バトンを受け取り、手渡す。

 それこそが生きる意味だとボクは思うようになった。

 破滅に向かう世界。

 それは可能性が断たれた世界だ。

 だが、それでも人は可能性をつなごうとする。

 イバライガーがいなくても、それはつながるのかもしれない。
 ジャークなど出現しなかった世界がどこかにあって、人々は平和に豊かに生存し続けるのかもしれない。

 でも、そうではないかもしれないのなら……どこかの世界に、自分たちの可能性を残し、つなぐことができるのなら……。

 ボクは、そう考えたんだ。

 滅びゆく世界の最後の希望として生み出されたヒューマロイド。
 救えなかった世界を背負って、救えるかもしれない世界に挑む者。

 それがボクが想像するイバライガーになった。

 そして、そこから『彼らがいる世界』が生まれていったのだ。

 なお、他にもボクがパラレルワールド説を選び、歴史改変説を採らなかった理由がある。

 その1つが、ドラえもんに登場する「セワシくん」だ。

 セワシくんは、のび太の子孫で、ドラえもんを現代に送り込んだ少年だ。
 これがちょっとねぇ……ボクには受け入れがたくて。いやドラえもんは大好きな作品なんだけどね。

 のび太のことはいいんだ。
 彼がどんなにダメでも、それは今現在のことで、ドラえもんと共に生きるうちに彼は変わっていくだろう。
 未来へ帰るドラえもんを安心させるために、ボロボロになりながらジャイアンに挑む「最終回(ボクはそう思っている)」があるが、まさに素晴らしいエピソードだった。未来からきたドラえもんにも文句はない。

 でも、セワシくんはダメ!
 貧乏で不遇だとしても、それはキミの問題だ。
 自分の不幸をご先祖様のせいにして押し付けて、自分自身では何の努力もしないなんて考えに、ボクは共感できない。

 タイムスリップして過去を変えられるというのは、そういうことを肯定することになる。
 ゲームをリセットしてやり直すように、しでかしたことをなかったことにできる思想だ。

 ボクにはそれでいいとは思えないのだ。

 しでかしてしまったことは背負うべきだ。
 それが重たいものだとしても、それに耐えて前に進もうとするからこそ感動できるし、意義もあると思う。

 イバライガーは子供たちに人気のヒーローなのだ。
 その子供たちに「やっちゃったことでも、なかったことにすればオッケー」という考え方を示すのは正しくないと思ったのだ。

 過去は変えられない。自分の責任は自分で背負う。

 そうでこそヒーローだとボクは思う。

タイムトラベルの制限事項

 さて、そういうわけでパラレルワールドにならタイムトラベルしてもいいと考えたわけだけど、では、どの時代にも、自由に行けていいのだろうか。

 矛盾の心配がないとしても、自由な時代に、何度でもタイムトラベルできて歴史に干渉できるのだとしたら、それは神にも等しい力だ。

 先に述べたように、モノゴトには原因と結果がある。
 タイムトラベルは、その原因を好きなように操作できるということなのだから、あまりにも強力すぎる力なのだ。

 というよりも、歴史改変が可能なら、イバライガーは必要なくなってしまうハズだ。

 イバライガーはジャークによって未来が破壊されるのを防ぎに来た。
 ジャークは、とある実験が原因で生まれた怪物たちだ。

 であれば、その実験を止めてしまえばジャークは生まれないではないか。

 水がこぼれてから拭きにくることはない。
 こぼれるのを防いでしまえばいい。

 失敗しても構わない。
 成功するまで、何度でもやり直せばいいんだから。

 自由にタイムトラベルできるというのは、そういうことだ。
 イバライガーなんかいなくてもいいのである。

 仮に、人間(生命体)にはタイムトラベルできないという設定を考えてみたとしても同じことだ。
 イバライガーが作られ送り込まれるかもしれないが、やることは実験を止めることだけでいいのだから、その後の活躍は不要になってしまうのだ。

 もう1つ、気にいらない設定上の矛盾があった。

 当初のイバライガーの設定では、最初に「初代イバライガー」が未来からやってきて、その後「3体のミニライガー」が来て、さらにその後に、イバライガーR、ブラック、ガールといった仲間が来るということになっていた。

 だが、これも変だ。

 ロールアウトした時期がバラバラだとしても、過去に送り込むことができるのなら、現代に現れるのは同時でいいはずだ。

 戦力を分散させることはない。
 全員を集中させて一気にジャークを片づけてしまえばいいではないか。
 そんなこともわからないほど、未来人はバカなのか?

(ターミネーターなどの映画でも、同じような矛盾があって、映画自体は大好きなのだけど、スカイネットのコンピュータはバカすぎると思っていた。もっとも1作目の段階では、過去に送り込まれたターミネーターは1体だけで、それを追ってカイルがタイムトラベルすると共にタイムマシンは破壊してしまったから、もう二度と来ない、ということになっていた。ヒットして続編ということになって、その辺りの設定が変更されたのだろうが、そうした矛盾点への説明が不足していて、そこがちょっと残念。大好きな映画だからこそ悔しいのだ)

 こうした矛盾を起こさせないためには「水がこぼれた後の時間にしか行けない」「何度もタイムジャンプできない」といった事情を考えるしかない。

 だいたい後からどんどん援軍が来るようだと、緊張感もナニもあったもんじゃないし、それまでのヒーローが後出しで性能のいい新キャラに座を奪われてしまうのも困るんだ。

 実はボクは、セワシくんだけでなく『グレートマジンガー』にも抵抗があるのだ。

 それは子供時代に初めて放送を観たときから感じていた抵抗感で、後から出てきた性能のいい後継機に乗ったヤツが、それまでの主人公を押しのけてしまうってのが、どうにも気に入らなかったのだ。
 グレートマジンガーという機体そのものは好きだし、パイロットの剣鉄也くんが悪いわけでもないんだけどね。

 でもボクが応援してきたのは、マジンガーZだけじゃないんだ。
 パイロットであり主人公でもある兜甲児を応援していたんだ。
 そんな強いのを作る技術があるなら、なんでマジンガーZを改造してやらないんだ。

 強けりゃいいってモンじゃない。
 ヒーローは特別なんだ。友だちなんだ。

 ガンダムシリーズなどでも、番組後半になると新しい主役メカが登場するのがお約束なのだが、この場合はパイロットは同じだから抵抗は感じない。
 主人公が新たな力を得ただけで、全然知らない奴に主役を乗っ取られたのとは違うもんね。

 信じたヒーローを最後まで信じ抜ける。
 ピンチがちゃんとピンチとして描けて、それを乗り越える姿に感動できる。

 ボクはそういう物語であって欲しかった。
 だからイバライガーに様々な制約を与えることにしたのだ。

 登場するヒーローたちを、最後まで応援するためにね。

 


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