ボクはボクのイバライガーを目指す

2018年1月8日

 ボクはイバライガーの友人ではありたいと思うが、彼らの一員となって一緒に活動したいと思ったことは一度もない。

 もちろん、イバライガーは好きで、応援も支援もしたい。
 彼らの活動がいつまでも続くことを心から願っている。

 だからこそ依頼があれば、ポスターやWEBサイト、各種広報物のデザインは担当しているし、時には物販コーナーを手伝ったりもしてきた。
 スタッフ用のTシャツをいただいたこともあって、臨時スタッフとしてイベントに参加したこともある。

 だけど、それでもボクは部外者……イバライガースタッフではない。
 そして、それを望んでもいる。

 ボクには、ボク自身の夢があるからだ。
 自分で志したことがあって、目指すものもある。

 ボクは自分で選び創り出したもので成功したいと思っている。
 それは簡単なことではないし、成功と自分が感じるモノに届かないで終わる可能性だって小さくない。

 それでも、ボクはボクの道を歩きたい。
 イバライガーがどんなに魅力的でも、それは彼らの夢でボクの夢じゃないのだ。

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ブレてしまう人たちを何人も見てきた

 イバライガーと出会い親しくなってから、10年以上。
 その間に、様々な人がイバライガーに関わり、そして消えていった。

 中心である茨城元気計画代表は、ずっと変わっていない。
 中身だけでなく外見も、普段から鍛えているから、ずっと若々しいままだ。

 ボクなんか、年々腹が出っ張り、若い頃の名残なんか消え果てようとしているっていうのに。
「代表ってホントに時空の流れの外にいるんじゃないか?」と思いたくなるほどだ。

 とにかく代表は全く変わらない。ブレていない。

 だけど周囲の関係者には、ブレてしまう者がけっこういた。

 個人の事情でやめたりするのは、ボクも何とも思わない。
 そういうことはあって当然で、例え関わったのがわずかな期間であろうとも、その体験を糧にして、素晴らしい人生を掴んで欲しいと願っている。

 だけど、いなくなった人たちの中には、その後を案じざるを得ないような人も少なからずいた。
 本当は裏方のはずなのに、自分こそがヒーローであり中心だと思い込んでしまう人がいた。
 中にはイバライガーを乗っ取ろう、奪い取ろうとした者さえいた。

 漫画家のアシスタントになって長く手伝っているうちに、そのプロダクションに欠かせないスタッフとなっていくことはある。

 作品の魅力は誰よりもわかっている。
 作者よりも深く理解してることだってあり得る。

 だが、どれほど重要なスタッフになったとしても、作者本人には決してなれない。
 会社なら乗っ取れても「著作物」は、どこまでいっても作者のものなのだ。

 これは当たり前のことなのだが、その当たり前を理不尽と感じてしまう人がいた。

 スタッフとして関わるとなれば、ときには自分の都合を犠牲にしてでもやらなければならないことがある。
 そしていつしか……

 自分はこんなにまで関わってるのだから、作品を自由にできてもいいはずだ。
 いや、これは自分の作品のはずだ。あのコマの背景を描いたのは自分だ。こっちのページのアイデアも自分が提案したんだぞ。
 それを認めない作者はひどい。

 そう思ってしまうらしい。

 同じ仕事や組織に関わっていても、人はそれぞれ違うゴールを見る。
 ある者にとって決戦と感じることが、他の者には前哨戦に過ぎないということはある。

 ブレてしまった人たちは、きっと本当は「作者」になりたかった人々だったのだと思う。

 だが、作者になりたいというだけで、自ら作品を生み出そうとはしなかった。

 だから誰かの作品を欲しがってしまった。
 出版社を乗っ取ったとしても、作者まで乗っ取れるわけではないのだけど、彼らはそれに気づいてなかった。

 ボクは、これからもイバライガーを手伝い続けたいと思っている。

 だけどアシスタントになろうとは思わない。

 ボクは「作者」であることを選んだ人間だからだ。

 人気作家のアシスタントになるよりも、売れなくても著者でいたい。
 小説版イバライガーも、ボクはボクなりのやり方で「ボク自身のイバライガー」をやっているだけだ。
 原著作者(代表)の思惑に乗っかってるわけじゃない。

 お互いに重なり合う部分が重なれば、それでいい。
 重ならない部分は、重ならないままでいい。

 ボクはそれこそが、いつまでも気持ち良くイバライガーを支えていける方法だと思っているんだ。

 ボクは彼らの夢を壊したくないし、自分自身の夢も、決して手放したくないから。

自分の正義だけが正義じゃないよねぇ?

 イバライガースタッフとして活動した人の中には、ブレてしまった人もいたと紹介したが、そういう人の中には、その後「イバライガーは偽善だ、実は悪なのだ」と主張するようになってしまった人もいる。

 彼らはイバライガーのウィキペディアを改ざんしたり、時にはショーの妨害に等しいこと(観客の中に紛れ込んでブーイングするなど)さえやろうとした。

 彼ら自身は、自らが正義であり正しいと思っている。
 自分たちの意見を聞こうとしないのは間違いで、正しい自分たちが関わっていない今のイバライガーは偽物なのだと思っている。
 そして彼らは彼らなりのヒーローを作って「我こそは正義」と主張し続けている。

 だけど、それは根本的に間違っている。

 今のイバライガーだって、ちゃんと世の中のためになる活動を続けている。
 彼らがやりたかった活動ではないかもしれないけれど、それは単なる思い込み。
 今の形が間違っているわけではない。

 そして、彼らが掲げる正義も、間違っているわけではない。
 彼らだって世の中のためになりたいのだろうし、それはそれでいいのだ。

 イバライガーとは別に共存していけるではないか。
 なのに彼らは「自分の正義じゃなきゃ嫌だ」と言い続けた。

 一方でイバライガーは何も言わなかった。

 誹謗されても言い返しもしない。
 ただ黙って、イバライガーとしてやるべきことをやっていた。

 ボクは、それでイバライガーを選んだ。
 中立の立場だったから両方の意見を聞いたけれど、ボクが考えるヒーロー像はイバライガーのほうだったから。

 人はそれぞれの正義を振りかざす。

 その多くは、どれも一理あるといったものだ。

 他の正義を否定しなきゃならないわけじゃない。
 アンタがゴミ拾いするなら私は草刈りをするよ、というように、それぞれに正義を分担しあっていけるはず。

 そもそも本当のヒーローってのは、過去がどうあれピッコロでもベジータでも受け入れちゃうモンだろ。

 


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