広告漫画家物語02:広告漫画家の誕生/広告業界でも最大の武器は漫画だった

2018年1月4日

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広告会社に就職する

 そういうわけで、ボクは求人雑誌を買い、自分の考えたことをやらせてくれそうな会社を探した。

 フリーランスのままで、というのは全く考えなかった。

 広告で漫画と言ったところで、広告のコトは素人同然なのだ。
 広告会社にいたとはいえ、下っ端の雑用みたいなモンで実力はゼロ。
 右も左もわからない。

 だから、まずはどこかの会社に入って広告を学び、自分の意見が通るくらいに力をつけなきゃならない。

 グラフィックデザイナーを募集している会社を見つけた。
 東京を中心に支社が4つほどある、総勢100名程度の広告代理店。
 大手マスコミのグループ会社でもあり、業界では中堅規模だ。

 要経験者との条件だったが、ボクにはデザイナーのキャリアなんかない。
 グラフィックデザイナーがどんな仕事かは見たけど、チラ見しただけというのが正直なところ。
 やったことは全くない。
 サボっていたから学校の課題ですらやってない(そもそもボクは編集デザイン科でグラフィック科じゃなかった)。

 けれど、すでに自分は新卒じゃないんだし、中途採用してもらうしかない。

 漫画のキャリアがデザイナーのキャリアに匹敵するものと勝手に決めつけて「経験者」として応募した。
 漫画だってレイアウトとかデザインはするんだから、デザイナーだってやれるに決まってる。
 というか、そう思うしかない。

 面接には作品持参と書いてあった。
 もちろん漫画の原稿を持っていった。他には何もないんだから。

 面接官は、若いプランナーさんだった。コピーライターでもあるという。
 当時のボクより2~3歳上というところ。

「へぇ、漫画家なの? こりゃ珍しい人が来たなぁ」

 しばらく雑談をした。デザイナーなんかやったことないんだから、デザインの話はできない。
 とにかく漫画を広告に生かせるはずだっていう持論を喋った。
 そしてデザインだってやればできるはずだ、とにかくボクはやればできる子なんだと言い張ったの(笑)。

 なお、既存の漫画界を完全に見限ったわけじゃない。

 チャンスがあれば、いつでもソッチにも挑む気でいたから、そのことも正直に言った。
 そういう機会を掴んだら辞めちゃうかもしれないと。
 どこにいようと漫画家であることは捨てられないと。

 面接の最後にプランナーさんが質問してきた。

「キミ、ギララって知ってる?」
「はぁ? ギララ? そ、それは松竹唯一の怪獣映画で、ギララニウムが弱点で、こんな顔してるヤツ?」

 ボクはメモ用紙にギララを描いた。

「よし、採用!」
「えええええっ!?」
「いやぁ、ボクのアシスタントをしてる女の子がいるんだけど、その子の髪型がね、ピーンと触覚みたいにハネていてギララなんだよ。でも誰もわかってくれないの。寂しかったんだよ~~」
「そ、そんなコトで採用!?」

 いや、コレ本当にそうだったんだ。
 話を盛ってるわけじゃない。盛るのなら、もっと本当らしい話をデッチあげるよ。
 世の中、ナニがあるかわからんよねぇ。

 そういうわけで、ボクはその広告代理店に就職した。

 名刺の肩書きはグラフィックデザイナー。
 漫画が広告に使えるとしても、そんなレアな機会のために専属漫画家を雇う広告会社なんかあり得ないからね。
 この1ヶ月後に昭和が終わって平成になる。

 そんな頃のことだよ。

何も知らずに最前線へ

 さて「漫画家だけどデザイナー」になったわけだけど、そもそもキャリアゼロなんだから、即戦力として役に立つわけがない。
 結局は下働きばっかりの日々で、あんまり面白くないの。

 漫画を生かすなんていっても、そもそも主業務のデザインのほうができないんだから、チャンスも来ない。
 ボクを採用してくれたプランナーさんは、たまに近付いてきてバカトークをしていくけど、部署が違うので直接の関わりはない。
 なんとなく会社にいて、なんとなく作業モドキなコトをしてるだけ。

 先輩のデザインに色鉛筆で大ざっぱに色を付けたり、どこでやるかも知らないイベントのために、どこの誰だか知らない人の名前を切り抜いてネームバッジにハメ込んだり。
 そんな雑務ばっかりで、とにかくデザイナーっぽいコトは何もしていなかった。

 もっとも、そうだから残業もあまりなくて、夜や休日は漫画を描き続けていられた。
 出版社も近くだったから、会社帰りに顔を出したりして、縁が薄れないように気をつけてもいられた。
 この分じゃ、いつまた辞めることになるかわからなかったしね。

 彼女のためにも、そう簡単に辞めるわけにはいかないんだけど、ボンクラのままじゃ、早々にクビになるかもしれないもん。

 そんな状況が劇的に変わったのは入社4ヶ月目だ。

 デザイン課の先輩社員が一斉に辞めてしまったのだ。
 それも突然。

 残されたのはボクと、アルバイト1名と、管理職の課長だけ。
 この実務能力ゼロのメンバーで、50人近くいる営業マンが持ち込んでくる全ての広告を手掛けなければならなくなった。
 会社側は慌てて求人したけど、援軍が来るまでは事実上ボクがチーフ。

 ちょっと待て。ボクがチーフ!?

 ただの漫画家だぞ。デザインなんか見様見真似でしかできないんだぞ。
 写植の指定(今の人にはわからんかも)も知らないんだぞ。
 どうすりゃいいんだよ!?

 だけど。

 ボクの悪いクセでね、こういう状況になると開き直っちゃうんだ。
 やるしかないなら、やってやる。どうなろうと知るか。
 他にいないんだから文句言うなよ。

 そんな感じで逆に燃え始めた。
 うぉおおお!!ってな感じ。

 むろん燃えたからって、優れたデザインを生み出せるわけじゃない。
 けど、やるからには負けたくない。
 何とかして他社に負けないアイデア出して、クライアントが満足する広告にしなきゃならない。

 漫画しかなかった。
 ソレしかボクには武器がない。

 幸い、例のプランナーがボクの直属の上司として配属(さすがにボクをチーフにするほど会社は無謀ではなかった)されて、彼がボクを生かすような広告企画を考えてくれた。
 元々、初対面のヤツにギララを聞いてくるような人だしね。

 彼はオタクというほどじゃないけど漫画にも詳しく、面白いコトが好きなアイディアマン気質だった。
 普通のコト、鉄板なコトには、あまり興味がないタイプ。
 つまりハミ出し者。「そんな無茶な!」って言われるのを喜ぶタイプ。

 ただ、彼にしてみれば、歴戦の兵士に包囲された中で、そこにあるモノを使って反撃し、突破口を開くようなモンだったろう。

 武器(デザイナー)はないけど、代用になるモノ(漫画家)はある。
 使い方次第では武器以上に強力な力になる。

 そんな感じだったんだろう。
 奇策に走るしかなかったんだ。

 実際、ボクとプランナーはいいコンビだったと思う。

 彼は「予算があろうがなかろうが、とにかくオレはこうしたいんだよ!」っていうタイプだった。
 彼は常に、結果に到達するための手段を考えるのだけど、それは普通の人には、突飛で、無茶で、バカバカしいお遊びに思えたんだ。
 だから多くの場合は「そんなの無理に決まってるだろ」と言われてオシマイだった。
 社内の誰も彼の考えに応えてくれない。そんな日々を送っていたらしい。

 そこにボクが来た。

 漫画家というのは個人事業主だ。根っこの部分が会社員とは違う。
 戦う以上、絶対に勝ちたい。負けたら死ぬ。そういう前提でやっている。

 それにボクには広告業界がどういうモノかも、よくわかっていない。
 何も知らないから頭から無理だと決めつけることもない。

 元々、全部無理なんだ。
 それでも何とかするしかない。無理を何とかするのは漫画家としても前提だ。
 無名であっても、化け物のような人気連載陣を向こうに回して戦って、一定の人気をもぎ取らなきゃ生き残れないんだから。

 だからプランナーさんとウマが合う。面接の時にはバカ話ばっかりしてたけど、そういう会話の中で彼は、ボクがどういう奴かを見ていたんだと思う。
 マニアックなギララトークも、そういうのでさえ面白がるような部分があるかどうかを見ていたのだろう。

 そんなコンビが、乱戦の中に解き放たれたわけだ。

 そりゃもう
「追いつめられた人間が何をするか、見てろぉおお!!」
 ってなモンである。

 迷ったり悩んだりしている暇もなかったから、自分がやってるコトがそれでいいのかどうかもわからない。
 ダメだろうが立ち止まれない。進むしかないんだ。

 人手自体が決定的に足りなかったから、デザインだけやってるわけにもいかなかった。
 コピーライティングも自分たちでやった。

 プランナーはコピーライター上がりだから任せたかったけれど、彼は本業のプランニングの仕事もしなきゃならないから、足りない分は自分で書くしかないんだ。
 彼に指導を受けながら「ええい、漫画のナレーションみたいなモンだと思えばいいんだっ!」って書いてた。

 結局ボクらは、広告なんか作ってなかったんだと思う。

『修羅の門』という漫画で、伝説の武術を受け継ぐ主人公がボクシングに挑戦するシリーズがあるんだけど、アレと同じだ。
 ボクサーになるんじゃなくて、ボクシングルールの中で自分の武術をやるだけ。
 広告ルールの中で漫画家として戦うだけ。

 でも、それが功を奏した。

 デザイナー不在の穴埋めをするというだけじゃない。
 今まで勝てなかったプレゼンに勝てたりした。

 やがて支社からも依頼されるようになった。
 本社に面白い広告を考える、ちょっと変わったヤツらがいるらしいぞ。

 連日、残業だらけになった。
 泊まり込みになる日も少なくない。
 真夜中にエアガン持ち出して、プランナーと二人で営業部長の書類を撃ち抜いたりした。
 テメーのせいで残業なんだよって。

 でも、そうやって文句を言いながらも、気分はハイだった。

 広告の仕事では、プレゼンで他社とぶつかり合うことも多い。
 企画を練り上げ、デザインカンプを作り、各社ごとに企業に提案する。負ければ仕事を奪われ、負け続ければ会社は死ぬ。
 ある意味で、本気の殺し合いなんだ。

 漫画界だってそうなんだけど、プレゼン現場で直接ぶつかることもある広告のほうが生々しい。
 斬り結ぶ。血が吹き出す。それを頭から浴びる。そんな感じがある。

 ボクはそんなコトに酔ってしまった。
 血に酔ったんだ。

 漫画を使った広告で戦う。自分たちの企画で他社を倒す。殺し合ってガハハと笑う。
 それに魅せられていた。

 ボクは広告の仕事自体にも面白さを感じるようになっていたんだ。

 なお、何でもかんでも漫画で広告を作っていたわけじゃないよ。
 普通の、記事や写真で構成した広告のほうがずっと多い。

 一応、肩書きはグラフィックデザイナーだしね。
 いつまでも普通の広告はできませんっていうわけにはいかないし、いつでも漫画なら勝てるというほどアマくもない。
 漫画は、ここぞっていうときの切り札なんだ。

 だから、デザイナー、広告事業者としてのボクも、少しずつ育っていった。
 勝利の体験があったから、そういう仕事の面白さも感じられた。

 ただ、どれだけデザインを覚えても、ボクの根っこは漫画家のままだった。
 自分で意識してそうしていたというよりも、例のプランナーや、ボクらの面白さをわかってくれた一部の同僚などが、漫画家である部分を見失わないようにしてくれていた、という感じではあったのだけど。

 とにかくボクは漫画家の自分を失わずに済み、漫画以外の広告物を作るときも、漫画家の思考で作ることができた。

 同じ創作業とはいえ、漫画家の思考とデザイナーの思考は全然違う。
 漫画家にとってはアタリマエの発想が、広告の世界では異質だったりする。

 つまり意外な目のつけ所ってヤツになるんだ。
 漫画を描くことだけじゃなく、漫画的な発想……つまり漫画家であること自体が武器になるんだ。

 だからソレを武器に、ボクはデザイナーとして沢山の経験を積むことができた。

 漫画をつくる。広告をつくる。
 両方が混じったものを作る。

 そういうコトを繰り返しているうちに、元々は全然別の職種だった漫画家とデザイナーが混じり合い、融合していく。
 自分でも気付かないうちに、漫画家でもデザイナーでもない別の生き物になっていったんだ。

偏ったチーム、偏った時代が、偏ったキャラを生み出す

 その後、新たに経験豊富なデザイナーが入社し、さらに新人も入社してきて、チームは充実していった。
 かつての先輩たちが居た頃の、無難なモノばかり作っていた時代とはまるで違うチーム。

 しかも、すごく偏ってた。

 中途採用で入ってきたデザイナーは、すでにデザイナーとして完成されていたから、これは偏ってない。
 むしろボクらの、特定の方向だけに異常に偏ったスキルバランスを整えてくれて、ありがたかった。

 見様見真似しか知らなかったボクも、彼に色々なコトを教わることができた。
 新たな仲間が彼だけだったなら、ボクはもっと広告寄りになっていっただろう。

 けど、新人たちがね、よくも悪くも偏ってた。

 二人いたんだけど、どちらも漫画畑出身だったんだ。

 いや、これも全くの偶然だよ。
 たまたま、そういう奴らが集まった。
 面接し採用したのはボクでもプランナーでもないのだけど、ボクという前例もあったから、採用になったんだろうね。

 でも4人いるデザインスタッフの中の3人が漫画家出身(厳密に言えばアルバイトの仲間がさらに4名いて、その内の二人も漫画系)って、これで偏るなってのが無理でしょ。

 そんなメンバーと一緒にボクらは、ますます色んなコトを経験した。
 ドイツもコイツも漫画畑(しかも映画好き)だから「ここは『伝染るんです』っぽく」「こっちはメル・ブルックスっぽく」といったマニアックな指示が通じる。

「そんな濃いネタ、誰もわかんないんじゃないの?」
「そこが面白いんじゃね~か。いいからやっちゃえよ」

みたいな。

 今思い返すと、ずいぶん無茶なコトをやっていたモンだと思う。
 よく企画通ったよな~。

 ここでちょっと触れておくけど、ボクにはもう1つの幸運もあったと思う。

 それは当時がまだバブルの余波があった時代だったということだ。

 ボクらが勝てたのは、自分が有能だったからとか、秘めていた潜在能力が目覚めたとか、そういうことじゃないと思う。
 時代がソレを許したんだ。

 みんなが浮かれていて、無茶な企画やアイディアにも予算がついた。
 その広告を見る消費者にどれだけ受けていたかは別の話。

 庶民そっちのけでお祭り騒ぎだったんだよね。
 だから、今だったら絶対NGだろうと思えるようなコトを、多くの企業が面白がってくれて、ノリや勢いだけでも、そこそこ仕事になっちゃったんだ。

 特に不動産業界はスゴかったな。
 未経験の新人がテキトーに作ったロゴが2000万円とかね。
 あり得ね~よ、そんなの。

 その後、バブルが崩壊して、世の中は変わる。

 まぁ、バブルのおかげで仕事できたとは言え、自分たちがオイシイ思いをしていたというほどではなかったので、そのときは、それほど変わったとは思ってなかったんだけどね。

 ボクがバブル終焉を肌で感じたのは、後日、とある求人広告を見たときだったな。
 それまでの求人コピーは「アフターファイブは銀座でウキウキ!」とか「残業なしの簡単なシゴト! 年間休日125日保証!」とか、そんなのが多かったんだけど、バブル終焉後のソレには「会社のためならパンツも脱ぎます」と。
 ああ、時代が変わったんだな~って思ったよ。

 とにかく、そういう時代だったことも、ボクが色々なコトを経験できた大きな要因の1つだった。
 今、かつての自分が目の前に現れて、当時のノリの広告企画を提案したら、ボクは必ず却下するよ。
 バカじゃね~のかって。

 ギララのプランナーさんと出会ったこと。
 先輩デザイナーがみんな辞めちゃう事件が起こったこと。
 そのおかげで(あるいは、そのせいで)本来なら未熟すぎて立てないはずの場所に立ってしまったこと。
 普通のデザイナーなら経験しないはずのアレもコレもやれたこと。

 まさに幸運だったと思う。

 そしてそれが「今の自分」のコアになっているのは間違いない。

「あの時代」があったから、ボクは「広告と漫画が融合した変異体」となった。

 漫画家のままで広告で戦うコトを覚えられたからこそ、広告に侵食されながらも、漫画家である自分を失わずに済んだんだ。

 その後まもなく、ボクはこの会社を離れ、自由業=フリーランスの道を歩くようになる。

 自由業というのは、会社員以上に自由じゃない。

 生け簀から出て、大海原を自由に泳ぐ、何者にも縛られないというのは、いつ誰に襲われるか分からないということと表裏一体なんだ。
 油断すれば食われる。
 自由とは、そういう世界だ。

 フリーの道を選んだときには、そこまでの覚悟はなかった。
 頭ではわかっていたけど、覚悟はなかった。だから甘く見て、何度も痛い目に遭った。

 だから自由の世界で生き延びていくために、何でもやった。
 会社で身に付けた広告漫画を本格的にやるためにフリーになったのに、漫画どころじゃなかった。

 ボクはフリーランスとしては未熟すぎた。
 覚悟も足りなかった。

 だから、やりたいコトじゃなくて、やらせてもらえるなら何でもやるってコトじゃないと、とてもじゃないけど生きていけなかったんだ。
 そうするコトが自分を殺していくと気付きながらも、そうするしかないと思ってた。

 けど、そこまで追いつめられても、ボクは漫画を手放さないで済んだ。

 というよりも、手放せなかった。
 漫画ではない仕事をいくつやっていても、根っこにはいつも漫画があった。

 それは切り札だった。拠り所だった。

 アノ手、コノ手を全部封じられたときでも、最後の最後にはコレがある。
 最後に残ったたった1つの、そして最初から続けてきたモノ=漫画が、いつもボクを救ってくれたんだ。

(「広告漫画家物語03」につづく→)

 


※このブログに掲載されているほとんどのことは、電子書籍の拙著『広告まんが道の歩き方』シリーズにまとめてありますので、ご興味がありましたら是非お読みいただけたら嬉しいです。他にもヒーロー小説とか科学漫画とか色々ありますし(笑)。