番外編:どうやらボクは「本物のバカ」が好きらしい(再掲載/2009.11執筆)

2018年1月4日

このコラムは、ボクの公式サイト(www.urutaku.com)上で以前に公開していた「イバライガー観察日記」という連載コラムに掲載していたものを抜粋・一部改定して再掲載したものです。

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あるボクシング選手との出会い

 イバライガーとは関係ないのだけど、ちょっと過去に遡って、ボクが「愛すべきバカ」に惚れ込んでしまうタチらしいと、自覚せざるを得ないエピソードを書いておきたい。
 なんで、そこまでイバライガーが好きなの? とか言われることもあるしね。

 ボクはイバライガーの姿やショーの内容も好きなんだけど、何よりも彼等の活動そのものに惹かれている。
 ああいう「本物のバカ(もちろん褒め言葉だ)」がいてくれることが嬉しいんだ。

 たぶん、ボクもそうだから。

 我ながらバカだなぁと思いつつも、一所懸命入れ込んでしまったことは、結構ある。
 その代表的な例が、後に様々なバラエティ番組などでお馴染みになった、元ボクシングWBCフライ級世界チャンピオンの内藤大助選手

 彼の試合のパンフやグッズ類は、実はボクがやっていた。
 パンフをよくみると、ボクの名前がクレジットされているんだよ。

 彼を知ったのは、ボクの営業パートナーであり、無二の友人でもあり、ライバルでもあるホームページ制作会社「株式会社アームズ・エディション」の社長・菅谷信一氏を通じてだ。

 菅谷氏は、内藤選手が所属する「宮田ボクシングジム」の元練習生で、彼はボクシングから引退した後も、ずっと同ジムを支援し続けていて、ボクを宮田ジムが興業する試合に招待してくれるようになった。
 それでボクも内藤選手のことを知るようになったんだ。

 菅谷氏はいくつかのビジネス書を執筆していて、全国で講演したりもしている。
 そうした本にもボクとのエピソードが紹介されていて、講演でも「自分を変えた10人」というテーマの10人目でボクのことを語ってくれている。

 ボクにとっても菅谷氏は「自分を変えた?人」の一人であり、尊敬できるライバルだ。
 マンガではよくある「かつての強敵が味方になる」ってヤツ、実際に体験すると、アレほど頼りになる援軍はないね
(このことは「広告漫画家物語10:宿命のライバルとの再会」の記事で詳しく書いている)

 

 はじめて見た内藤選手の試合はスゴかった。

 当時、彼は(一般的には)無名に近かった。ボクも全然知らない。
 でも、その試合には魅了された。
 ゴングと同時に飛び込み、ガンガン攻め込みつつ、独特のフットワークでかわす。すれ違いざま、斬って落とすようなカウンター。腕をぶんぶん振り回すパフォーマンス。そして2ラウンドでの圧倒的なTKO。

 全部がかっこいい。興奮した。
 K-1でも、こんな痛快なシーンは滅多に見られない。
 これがボクシングか!

 マンガでは何度も読んでいたけれど、本物の凄さには驚いた。

 リングサイドに近い席に招待されていたから、よく見える。
 パンチが当たる度に、汗が霧のように飛び散る。

「はじめの一歩」で描かれている通りだ。すげぇ!!

 その後も何度も試合に招待してもらい、菅谷氏に色々な話を聞いた。

 日本の恥。
 それが、当時の内藤の評価だった。

 内藤大助は、2002年4月19日、タイに乗り込んでポンサクレック・シンワンチャーが持つWBC世界フライ級王座に挑戦している。
 が、フライ級タイトルマッチ史上最短の1ラウンド34秒でKO負けしてしまう。

 ボクはその試合をビデオで見せてもらったが、周囲を軍隊(タイでは国技だからね)が囲み、観客の全てがタイ人という完全なアウェー。
 しかも40度以上の熱気の屋外特設リングという、日本人にとっては異様とも言える状況だった。
 日本人の応援団なんかまったくいない。

 内藤は、そういう状況を吹っ切るように前に出たが、そこに出合い頭の交通事故のようなカウンターを食らってしまったのだった。
 こうして「史上最短KO負け」という屈辱的な敗北を喫し、帰国すると「日本の恥」と言われるようになってしまったのだった。

 このときに使用したグローブは菅谷氏が所有していて触らせてもらったが、信じられないほど薄い。
 クッションほとんどなし。

 これで殴り合ったのかよ!?
 素手と変わらないんじゃないの?
(どうやらグローブの重さの規定はあっても、厚さには厳しくないらしい)

 菅谷氏は、この試合に同行していて、リングサイドから試合をビデオ撮影していた。
 後に内藤が有名になったとき、かつての彼を撮影した映像がなく、テレビ局各社から菅谷氏の元にビデオを貸してくれというオファーが殺到した。

 日本の恥のままでは終われない。
 内藤も、関係者も、そう誓って再起する。
 菅谷氏も、今まで以上に支援するようになっていった。

 ボクが試合に招かれたのは、そういう時期だったんだ。

 

共感して踏み込んでしまったボク

 この後、内藤は2004年6月に日本タイトルを奪取。
 同年10月の初防衛戦では、日本タイトルマッチ史上最短となる1ラウンド24秒KO勝ちという快挙を成し遂げ「最短男」の名を奉られるようになる。

 この試合はボクも、北海道から駆け付けた内藤の両親のすぐ隣で見ていて、すごく興奮した。
 そういう席にいたせいで、家に帰ったら家族に「テレビに何度も映っていたよ。おと~さん、興奮しすぎ」と言われてしまった。

 さて、ボクはずっとタダで試合を見ているだけだったわけじゃない。
 招待してもらう代わりに、宮田ジムの看板や練習生募集の広告等を無償でデザインしてあげていた。

 宮田ジムは東京葛飾区にある、まるで「あしたのジョー」の丹下ジムみたいに小さなジムだ。
 会長の宮田氏は、業界最年少のジム経営者で、金もコネもない。内藤も、宮田氏も情熱だけを武器に、世界を目指していたのだ。

 そして菅谷氏は、一銭のお金にもならないのに、献身的に支援し続けていた。

 内藤だけでなく、同ジムの試合の全てをビデオに撮影し、世界タイトルマッチなどの試合となれば、ジャッジを空港に迎えにいき、チェックインさせる。
 対戦相手との打ち合わせに同席し、対応する。
 選手の計量にも同行し、メンタル面で選手を支え、試合当日は控え室でも、リングサイドでも(セコンドとして)選手を支援する。
 遠征の際には引率を買って出る。
 無償で、そういうことを10年も続けていたのだ。

 いつか、彼等が世界に雄飛することを信じて。

 ボクは、その姿に共感した。
 ボクら漫画家の世界も似たようなものだからだ。

 自分の作品が面白いかどうかなんて、誰にも分からない。
 分かれば誰だってヒットできるんだから。

 それに面白かったとしても運もないとヒット作家にはなれない。
 それでも自分を信じて前へ進むしかない。
 信じられなくなったヤツから消えて行く世界なのだ。

 また、個人事業主としても、ちゃんとやっていけるのか自信や根拠があるわけじゃない。
 それでも勝つためにやるしない。

 ボクにはコレしかできないんだから、コレで結果を出すしかないんだ。逃げ場なんかないんだ。
 ボクが逃げたら家族を苦しめてしまう。

 なによりボクは、この仕事が好きだ。絶対にやめたくない。だからこそガンバるだけじゃ何の意味もない。
 あえて挑んで、そして勝つしかないんだ。

 そういう状態でずっと仕事し続けてきたからこそ、ボクは彼等を放っとけなかった。

 この「愛すべきバカ」の力になりたい。
 そして勝ってほしい。夢は届く、ということを見せつけてほしい。
 そう願った。

 それで、せめて広告類のデザインなどで協力しようと思ったのだ。
 頼まれたからじゃない。ボクがやりたかったからだ。

 

借りを返すまでは終われない

 その後、2005年、内藤は因縁のポンサックレックに2度目の世界タイトルマッチを挑む。
 このときは前回の轍を踏まぬように、日本にチャンピオンを招いての試合だった。

 ボクはテレビカメラのすぐ隣で応援していた。
 だが、第7ラウンド、負傷判定で敗れる。
 悔しかった。

 チャンピオンに挑むにはカネがかかる。
 ポンサクレックに挑むには4000万円というファイトマネーを用意しなくてはならない。

 弱小の超零細である宮田ジムの資金力は、ボクと大差ない程度でしかない。
 4000万円という資金を集めるのがどれほど大変なことか、痛い程分かる。
 内藤にはファイトマネーすら支払えない。

 信じがたいほどの巨額借金を宮田会長はあえて被り、内藤は勝利以外の全てを犠牲にして挑んだ。

 これほどの覚悟で挑んだ世界タイトルマッチにも関わらず、世間の注目はほとんどなく、当時無名の内藤には、スポンサーもあまり集まらなかった。
 菅谷氏もスポンサーとして出資し、リングマットには彼の会社のロゴが大きく描かれた。
 菅谷氏が高額な出資をしたわけじゃなくて、その程度でもリングマットになってしまうほど、スポンサーに不足していたということだ。

 また、リングマットの中央に番組ロゴを入れる事でフジテレビに中継してもらうことになっていたのだが、そのロゴデータがなく、ボクが大急ぎでロゴをトレースしてデータを作ったりした。
 ロゴを自前で用意するのさえ面倒がるほどに、周囲はあまり乗り気ではなかったのだ。

 関係者以外の誰も期待してくれない試合。
 それでも、全員が、勝利だけを信じて大勝負をした。

 そして敗れた。

 ボクは、もうこれで終わりだろうと思った。

 内藤はこのとき30歳を超えている。すでに引退を考えるべき年齢だ。
 ボクシングという危険なスポーツでは、ほんのちょっとしたことで致命的な悲劇を呼ぶこともある。
 敗れたとはいえ、彼は勇敢に戦った。もう「日本の恥」なんかじゃない。
 それはみんな分かったはずだ。

 でも、彼等は誰もあきらめなかった。

 2007年、宮田ジムと内藤は、3度目の世界タイトル挑戦を表明した。
 前回以上にスポンサーは集まらず、スポンサー募集のための記者会見を開いたりもした。
 会見のバックになる宮田ロゴのパネルは、ボクが作ったものだ。

 そうして再び(いや三度)巨額の借金を背負って、内藤のタイトルマッチが決まった。

 3回の挑戦ということは、4000万円×3で合計1億2000万円。
 その多くはスポンサーの出資によるものだろうが、宮田氏も大きなリスクを背負ったことは間違いない。

 結果を出せるかどうか分からないのに、そこまでの借金を背負う覚悟を持てるものなのか?
 ボクは本当に驚いた。

 それに、世界タイトルはポンサクレックが持つWBCだけではない。
 もう1つ、WBAがある。
 ほとんど無敵に近いポンサクレックを避けてWBAを狙う手だってあるはずだ。
 試合前の下馬評でも7対3でポンサクレック有利だったし、ボクもそう思った。

 実際、彼は強い。
 しかも前回は下痢気味で調子を崩していたという。
 それでも勝てなかったのだ。

 一方、内藤は31歳という年齢的な問題もある。
 これではリスクが大きすぎる。

 なのに内藤はポンサクレックにこだわった。

 借りを返すまでは終われない。
 世間がなんと言おうと、彼はそこにこだわっていた。

 

奇跡が起こった最後の挑戦

 こうして「最後の挑戦」が始まった。

 年齢的にも資金的にも、これ以上は無理。
 負ければ引退。
 本人も周囲も、それを覚悟していた。

 ボクはこのとき、試合パンフレットやスタッフのシャツ、帽子といったグッズの全てをデザインした。
 今まではモノクロだったパンフもカラーにして、正式なギャラのある仕事以上に打ち込んだ。

 花道を飾ってやりたい。悔いのない試合にさせてやりたい。
 ボクにできるのは、そのくらいのことだからだ。

 パンフ完成直後、宮田ジムから届いたメールにこんなのがある。

> グレイテスト!すばらしい仕上がり。
> とくに会長の挨拶、文章の切れ目など非常にいいところで切って
> 右の段へ移行させてくれて本当にすばらしい。

 ありがたいお言葉である。

 ボクらは全力でタイトルマッチを盛り上げようと頑張った。

 でも、この試合には、ボクシング業界以外の誰も注目してはくれなかった。
 それまで内藤の試合を、深夜枠とはいえ中継してくれていたフジテレビも、今回は降りた。
 中継してくれれば放送料はいらないとまで言ってもダメで、結局TBSに今後(年内)の放送権も含めて提供する条件で、BSでのみ放送してくれることになった。

 当時TBSは亀田兄弟を支援していて、もしも内藤が勝てば、次に亀田(弟)との試合を組める。
 それを見越してのことで、視聴率なんてまったく期待していなかったはずだ(実際、視聴率は悪かった)。

 この契約はかなりキツイものだったが、それでも放送がないとスポンサーを獲得できない。
 どんなに悔しくても、条件を呑むしかなかった。

 ボクはいつもようにカメラの脇で見ていた。

 内藤は控え室でボヤいていたという。

 時間が止まらね~かな。
 やりたくね~なぁ。

 覚悟を決めて挑んだとはいえ、やはりそういう言葉が出てきてしまうのだろう。
 これは試合後に菅谷氏から聞いたことだ。

 ボクも準スタッフのような関係だったから控え室には自由に入れたのだけど、試合前に邪魔しちゃいけないと思い、このときは遠慮していたんだ。

 リングでの内藤は、まさに鬼気迫るといった姿だった。
 実力の差を気迫で押し返す。採点も内藤有利のまま、後半戦となった。

 ボクが本当に怖くなったのは、そんな8ラウンド頃からだ。

 このままなら勝てる。
 それが分かってから恐ろしくなった。

 ラッキーパンチが怖い。一瞬の隙が怖い。
 無理すんな。もう判定で勝てる。乗り切るだけでいい。
 心臓が止まりそうだった。
 インターバルの度に呼吸を整えた。
 試合中は、呼吸すら満足に出来ない。
 怖くて怖くて、でも目は離せない。

 内藤は最後まで前に出続けた。
 そして12ラウンドを戦い抜き、判定になった。
 ほとんど確信しつつも、やっぱりボクは怖かった。
 もしかしたら負けているのかもしれないと思った。

 そして勝利が決定した。

 あのとき、どれほど泣いたか。
 試合に勝てて泣いたというよりも、極度の緊張から解放されてホッとして涙が出たという感じだったようにも思う。
 すぐに控え室に駆け付けて、菅谷氏と抱き合って泣いた。
 記者に囲まれた内藤がすぐそばにいて、そこにいられることが誇らしかった。

 内藤は世界チャンピオンになった。

 それでも彼は無名のままで、ファイトマネーすらほとんどない。
 極貧生活は変わらず、月収10万円のままだ。
 家族も苦しんでいたはずで、内藤の膝の上には彼の息子が座っている。
 腫れ上がった顔で、眠そうな息子を抱いている内藤を見て、また涙が込み上げてきた。

 よく耐えた。よくやった。

 ポスターのデザインはボクらが無償でやっても、印刷費はかかる。
 内藤大助様と書かれた印刷会社からの請求書を見たこともある。
 彼が実費で支払っていたのだ。
 ゼロに等しい収入から。

 やめてしまえば楽になれたのに。
 普通の社会人として生きるのだって正解なのに。

 それでも、やめなかった。やめられなかった。

 ボクも、彼ほどではないにしても、やはりやめられない。
 家族がいても、もっと楽な道があっても、やはりマンガをやりたいしデザインの仕事をしたい。

 ボクにとっては、どんなに嫌な事があったとしても辛いとしても、この道しかないんだ。
 この道しか歩きたくないんだ。

 内藤もそうだったに違いない。
 だから泣けた。嬉しかった。

 後日、ボクは取材を兼ねて宮田ジムを訪ね、そこでチャンピオンベルトを巻かせてもらった。
 同行したカメラマンは、リングでスパーリング(内藤相手ではないが相手は日本ランカー)もさせてもらい、1ラウンドで5回も倒れた(笑)。

 あのチャンピオンベルトは、待ち合い室(ていうか入り口の脇の通路って感じ)の長椅子の上に無造作に置かれていて、その上で猫が寝ていた。
 ベルトが欲しかったんじゃなくて、誇りを取りかえしたかったんだということが、よく分かる光景だった。

 

アナザー・ヒーローの誇り

 その後、世界戦の疲れも抜けないうちに亀田大毅との初防衛戦が決まった。
 亀田大毅が挑戦権の圏内にランク入りした報告が入ったのは、ボクが取材している最中だった。

 このときも、ポスター、パンフ、グッズなどを手伝い、内藤は勝利した。

 その顛末は今では有名だから、ここでは書かない。
 挑戦者が約1億でチャンピオンがその10分の1という屈辱的なファイトマネーで、関係者のほとんどが亀田寄り、こっちのパンフには亀田大毅の写真すら提供されなかった。
 お前らなんか、ただの通り道とバカにされながらの試合準備で、だからこそ「何くそ」と思ってボクも気合いを入れていたものだ。

 この防衛戦をきっかけに、内藤は著名人となっていく。
 彼の幼少期からの苦労話なども披露されて人気に火がつき、お茶の間の人気者になっていく。

 だが、彼と同時期にWBA世界チャンピオンであった坂田健史の名は、ほとんどの人(ボクシングファンを除く)は知るまい。
 つまり世界チャンピオンになったからといって、有名人になれたり生活が楽になったりはしないものなのだ。

 内藤はたまたま幸運に恵まれたが、そんな結果を予想していた者は誰もいない。
 売れっ子になってもらって、美味しい思いをしたいなどと思っていた者は、周囲に一人もいなかった。

 みんな、ただ、内藤に夢を託していただけだ。
 無理でも無茶でもあきらめずに、挑み続けた。それだけなんだ。

 ボクは毎回パンフを担当し、試合当日には宮田ジムの物販ブースで売り子も手伝った。
「内藤パンフはこちらで~~~す!」って大声を張り上げてね。
 大抵は正面ゲートの脇でやってたから、内藤の世界戦を観に行ったことがある人の多くは、ボクとすれ違っているはずだよ。

 ちなみにボクは、内藤が有名になって以降も含めて、一度もパンフレットなどのデザイン費を請求したことはない。
 今まで内藤に関連することで一銭のお金も受け取っていない。

 ボクはそんなことじゃなくて、彼の姿に共感したから支援していたんだから。
 有名になったんだからカネをくれ、なんて死んでも言わね~よ。

 そんなモン受け取ったら、これまでのボクまでオカしくなっちゃうもん。
 有名人のそばで甘い汁を吸うためにやってたんだろ、などと言われたくはない。
 だから求めないんだ(向こうからくれるって言い出したら遠慮なくもらうけど、言われたことはないなぁ)。

 さて、そういう内藤も、今は有名人でバックにテレビ局が付いている。
 大きな力が動くようになると、ボクみたいな弱小がデザインするなんてことはなくなってしまう。
 だから、今はボクは内藤と何の関係もない。
 無名時代を支えただけだ。

 でも、それは仕方ないことだと思う。
 巨額が動くような世界に巻き込まれるのも嫌だし、ボクはそれでいいと思っている。

 そもそも内藤本人が、ボクがパンフやグッズを作っていることを知っているかどうか。
 菅谷氏をはじめとして内藤の周囲にいる関係者はもちろん知ってるんだけど、ボクは「恩着せがましく本人に言わなくていい」と言ってあるので、気付いてないんじゃないかな。

 それに内藤は有名人になったけれど、周囲までそうなったわけじゃない。
 例えば宮田ジムは、内藤効果で多少の練習生は増えたかもしれないけれど、今も零細ジムのままだ。
 他の支援者だって相変わらずの日々を送っている。

 みんな、内藤のためにやったことじゃないんだ。
 彼を通じて、自分にエールを送っていたんだと思う。

 日々は変わらなくても、内藤選手を支援することで心のありようは変わったと思う。
 ヒーローを支えるアナザー・ヒーローとしての誇りとでも言うのかな。
 そういうものをはっきりと感じることができたもんね。

 そして、今の仕事にも、もっと自信と誇りを持てるようになった。

 ボクの仕事は企業を支えるアナザー・ヒーローを目指す事だからね。
 ボクが目立つ事よりも、依頼者をどう盛り上げるかなんだ。
 そのことに打ち込んで、ああいう成果を出せたんだから、自信がつくのも当然でしょ。

(あ、それとね、内藤だけじゃなくて、他にも人生を賭けてボクシングに打ち込んでいる人々と会えたのはよかった。才能じゃなくて情熱で戦っている人たちとね。敗れても敗れても挑み続ける。そういうのを間近で見ると、勇気をもらえる。ボクは内藤よりも、そういう選手に心惹かれた部分があるな)

 素敵な男のドラマを書いてしまったが、関係者全員がいつも無欲であり続けた、というものではない。
 一部の関係者には、ときには初心を忘れて、ゼニカネを求めてしまうといったこともあった。

 グッズの売り子を手伝っているときも「パンフなんか無料でいいんじゃないかな?」「ポスターやポストカードはもっと安くなきゃ」と思いながらやっていた。
 ジムで決めたことだから仕方ないけど、せっかく来てくれたお客さんに申し訳なく思っていた。

 そもそも無名の頃はパンフも無料で配っていたし、ボクも無料配布を前提に作っていたんだよね。
 それが有名になったら有料ってのは、ちょっと抵抗があったんだ。
 今こそ感謝の気持ちを込めて無料にすべきじゃないかなって。

 もしくはお金を取れるレベルの内容に仕上げるかだな。
 ボクは作家のはしくれだから、カネを取れるクオリティじゃないものを売るのには抵抗があるんだ。
 で、売るなら、もっと充実したものにしようって何度も提案していた。

 でも企画段階では乗り気になってくれるんだけど、結局は他のドタバタに終止してしまい、時間がなくなって無料レベルのモノになっちゃう。
 で、それを有料にしようとするから、毎回、少しでも値段を抑えるように説得する。
 その繰り返しだった。

 そういうわけでパンフやグッズを買ってくれた皆さん、どうか許してやってくださいね。

 ただ、ボクはそういうことに批判的ではあるけど、声高に批難もしていない。
 本当に苦しい状態だったのは知ってるから、少しでも資金が欲しい気持ちも分かるんだよ。
 だから強く言えなかったの。

 本当の志はあるんだけど、それでもつい、お金を欲しがっちゃうことがあるのは、社会で生きている人間なら当たり前のことだもんな。
 ボクだって、欲しくないわけじゃないんだから。
 欲しいけど、そこをグッとやせ我慢してるわけでさ。

 それに、ドタンバでは必ずカネより志を選ぶ人たちばかりだったのは間違いない。
 そうじゃないヤツが付き合えるようなレベルじゃないからね。

 何があろうと、最後の最後のところでは信じられる。そういう連中だったからこそ、ボクも踏ん張れた。
 内藤に関わった数年間は、素晴らしい思い出なんだよ。
 有名人に関わったんじゃなくて、無名の素晴らしい人たちと出会えた事が素晴らしいんだ。

 そして、内藤が売れてボクが関わることが少なくなっていった頃が、ボクとイバライガーの出会いだったんだ。
(内藤が亀田興毅に敗れた最後の試合は、BOSS氏たちを招待して一緒に観戦していた)

 ボクは内藤以上にイバライガーに期待している。

 内藤と関係者たちがあきらめなかったのは、ある意味で無謀な行為だった。
 そういうバカげた夢でも、追い掛け続ければいつか巨大な花が咲く。それをボクは眼前で体験してきた。

 夢でも幻でもないことをボクは知っている。

 だからイバライガーを支援する。
 菅谷氏がそうであったように、ボクはイバライガーを支えようと思う。

 イバライガーは内藤以上に「愛すべきバカ」そのものだ。
 だからこそボクにとってイバライガーは熱いんだ。

 ボクは、そのバカのひとりであることを誇りに思っているんだ。

 


※個人情報や固有名詞はできるだけ伏せていますが、やりとりしたメール文面などは原文のママです。

 


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